【震災】【教育】大学教員になって感じる災害ボランティア経験の意味

2011年 東日本大震災のあとに

 13年前のあの日、東日本大震災が発生した。当時大学3年生だった筆者は、大学でアルバイトをしているときに激しい揺れを感じ、停電と断水が続くなか、春休みを過ごした。
 それから、大学生活最後の1年と大学院生のときに、筆者は様々な災害ボランティア活動に携わった。当時、震災を契機に生まれた団体が各地に林立していた。ボランティアどうしは団体が違っても同じ目標に向かう仲間同士で、個別の活動やミーティングに参加する形で様々な団体を渡り歩いてもよいという雰囲気があった。
 あの日からたくさんの人に出会い、知らなかった世界を知った。筆者は学生時代は人と話すことが苦手で、自分と似た仲間としか話さなかったが、震災後は自然に人と話せるようになった。
 災害ボランティアに参加する学生は背景や関心も様々である。社会やビジネスに関心のあるいわゆる「意識高い系」から、大学や社会のしがらみの外に居場所を見つけたい人まで、外から想像されるより多様な人々がいたと思う。地域社会に出れば、地域の人々や他団体の支援者、行政の関係者など、価値観の方向性からして根底から異なった人々と協力することになった。
 また、団体活動を通して、アイディア出しやミーティング、傾聴などについて、コミュニケーションを活性化させ深化させるための方法があることを知った。いま、授業でグループ活動を課すときにも同じ方法を使っている。自分が学部生だった時とは異なり、今日の大学では議論や参加を重視する。授業に出るだけでは、現代社会に対応するような授業実践ができなかっただろう。

 しかし、今の自分が他人の痛みの上に成り立っていることの疚しさと苦しさはいつまでも消えない。いま、わたしにできることは何があるだろうか。



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