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ベビー用品と友情をめぐる葛藤と決意と

最近台風や雨にすっかりやられていたところに、ささやかながらかけがえのない、友情が深まる出来事があったからちょっと聞いてほしい。
俺は泣いたよ、嬉しくて。

* * * * * *

学生時代から繋がってる友人グループでの話。

俺以外全員シスヘテロの女性で、皆結婚し、子どももいるの。
で、いつも誰かに子どもが生まれたら、合同でお祝いを贈る流れがあるのね。

セクマイあるあるで、結婚式のご祝儀やらお祝いやらって、もらう機会がない割に出て行く一方だ、みたいな話ってよくあるんやけど、この子たちは俺にとって皆すげー大事で、喜んでお祝いできる間柄の子達なんよね。

ただ、いつもこの『出産祝い』に、実は頭を悩ませていた。

出産祝いって、子どもに贈るものやから、ベビー用品や服が多い。
しかし、日本のベビー市場は見事な男女二元論が染み渡っているのはご存知だろうか。
すんごいよ。色分けから柄からかたちから、男の子と女の子でぱっかり。

だから、候補を探す俺の友人たちの会話に、そんな話題が上がってくるのは自然なことだった。

「今回は女の子やからやっぱり赤のチェックで…」
「お兄ちゃんとは違うもんね」
「女の子のものはやっぱかわいいよね」
「男の子の時はさ…」

そんな会話を眺めていると、俺はなんとも言えず苦しい気持ちになっていった。

『俺の親もこんな風に、「女の子だから」って喜んで、うきうきと服や靴を選んだのだろうか』

『この子がトランスだったら、大きくなったらどんな気持ちになるんだろう』

トランスでない友人たちは、当然俺のこんな困惑はわからない。
それに、いわゆる「女の子っぽい」ものを、素直に可愛い、素敵だと感じる友人たちの感覚は、それも彼女ららしい感覚で、あげて喜んでくれるものを贈ろうとすることは間違いなく愛だ。

でも、俺はどうしても自分や自分の親のことと重ねてしまって、しんどくなってしまった。
プレゼント選びに少しは参加しなきゃなとベビー用品を見ていても、胸はどんどん苦しくなって、いっそやり取りしているグループLINEから抜けるかも検討したくらい。
結局、プレゼント選びは他の子達に任せきりで、俺は最終決定したものに「いいね」と言って折半分を払うだけになった。

お祝いごとに水を差したくなかったし、皆子育てで大変な合間をぬって一生懸命選んでくれているのに、傷つけたり萎縮させたり罪悪感を感じてほしくなかったから、俺のこんな感覚や考えは、今まで一切明かさなかった。

でも、全て贈り終わって、代金の振込を終えた後、どうしても拭えないものが俺の中にあって。
「もし次に同じことがあると、もう我慢できない気がする」
「繋がり続けるために、やっぱり自分の思いを明かしておきたい」

そう思って、俺は一人の友人に連絡をした。不思議と、その時はするすると文章が書けた。


お祝いに水を差したり、一生懸命選んでくれてる気持ちを傷つけたくなくて言えなかったこと。

自分の子どもの頃の親を思うと、親に申し訳ない気持ちが強くて、ベビー用品を見られなかったこと。だから候補を出せずに任せきりにしてしまい、そしてその理由も言えなくて、心苦しかったこと。

でもそれは、皆の子どもに何も関係ないことで、俺が友達の大事な子どもをお祝いしたい気持ちも本当であること。

今まで言えなかったお詫びと、俺に申し訳なく感じるのではと心配していること。

何よりも、俺も含めて一緒に祝おうとしてくれた感謝と、子育てはしなくても仲間に入れてくれてる感じがずっと嬉しかったこと。これからもお祝いしたい気持ちがあること。


文章を書きながら、じわじわ涙が滲んで泣けてきて、ああ、俺こんなに辛かったんや、こんなに悲しくて苦しかったんや、こんなに分かってほしかったんやって分かって、今まで我慢してきたことのやるせなさになお泣けた。

書き終えると、ほとんど読み返さずに送った。怖くて。

そしたら、間を待たずに、その子から返信が届いた。


本音を教えてくれたことの感謝。

俺が苦しい気持ちを抱えながら、何年もプレゼント選びに付き合わせてしまったことへのお詫び。

「女の子/男の子らしい」話をすることで、俺を嫌な気持ちにさせているかもしれないと心配したり、自分の発言を反省したり後悔することもあったこと。

俺が違和感を感じていて、グループを抜けづらく感じていたらどうしようと気がかりだったこと。

めでたければ全員で祝い、困ったら全員で助けたいと感じていて、俺に大きな幸せがあればきっと他の皆で祝おうと皆で話していたこと。(知らなかった)


一層、泣けた。

その子含めて俺以外の皆は、俺が困っているかもしれないことも気にかけてくれていた。
文面のあちこちから、俺が皆や子どもたちを大事に思っていることを喜んでくれていることが伝わってきた。


結局その子とは夜に電話して、お互い思っていることや気になっていることを、改めて話し合うことができた。

彼女は正直に、「男の子/女の子やから、とかは、自分が思ってることやしこれからも言ってしまうと思う、その辺りはどう感じるのか」といったことを尋ねてくれたし、俺も「時と場合によってはしんどくなる時もあるけど、だからといって思ってることを控えることで遠慮して疎遠になりたくないから、その時は俺がちゃんと思ってること言って、少し休憩したりスペースをとることを伝えたいし、それを許してほしい」といったことも話し合えた。

プレゼント選びに関しても、以後は選択は完全に他のメンツに任せ、最後の折半だけ参加させてもらいたいと伝え、了承してくれた。

とにかく、めちゃめちゃいい時間になり、俺たちはお互いのことがとても大切で、これからも一緒にいたいと思っているんだということを確認することができた。快挙。


っはーーーーーーーーーこわかったーーーーーーーー!!!!

でも言えてよかったーーーーーーー!!!!!


セクシュアリティの違い(それに伴う社会的立場の違い)で、大事な友人との間にギャップを感じさせられることに、幾度となく腹が立ったり苦しかったりうんざりしたり傷ついたりしてきた。

そしてそれは、明日変わるわけではない社会の中で、すぐには一掃されないと思う。俺にはきっと、これからも友だちを遠くに感じる日がくるだろうし、それは相手も同じく、俺を遠く感じる時もあるだろう。

でも、俺は友だちを諦めない。
学生時代、いつ離れてもいいように距離を置いてきたけど、そんなもんもうこりごりだ。
クソみたいな世間に俺の大事な友情を奪われてたまるかと思うし、俺の友人たちは、そんなにやわじゃないんだよ。ちゃんと俺のこと、大事にしてくれてるんだよ。俺がそれを信じないでどうする。


俺は君たちと、友だちでいる。君たちにも、俺の友だちでいてほしい。

違っていても話し合って明かしあえたら、きっとそばに居られるはずだから。

これからも、こんな風に。

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