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そこに行けば知ってる誰かが居ることの価値

大学時代、軽音楽部だった僕は
部室に入り浸り、入り浸たし、
見事なまでに留年を決めた。

とにかく居心地が良かった。
朝大学に着いたら部室でジャンプを読んで
授業が終わったら部室でご飯を食べて
タバコを吸って、おやつを食べて
先輩が打ってる麻雀を覗いて

夜になれば誰かを誘って
飲みに行ったり、ファミレスに行ったりした。

とりあえず部室に行ったら誰かがいた。
音楽の話をした、ギターを弾いた。
軽音楽部なのに大喜利大会をした。
後輩の恋の相談に乗った。
留学生になぜか、神風特攻隊の説明をした。
とにかく部室に行ったら誰かがいた。

それは当たり前のことだった。

そんな大学を5年かかって卒業する。

社会人になると、当然だが
みんなバラバラになった。

たまに連絡を取ることもあるが、
基本的には会わないし繋がらない。

「そこに行けば、知ってる誰かがいる」

当たり前は当たり前じゃなくなった。

社会人になって、

1人で京都に飲みに行くようになった。
最初はちょっとした非日常を味わう為に足を運んだ。

飲んだことのない日本酒を飲み、
隣のおじさん達は僕に日本酒のウンチクを語りかけた。
女将さんとも仲良くなって、音楽好きが相まって、
一緒にライブを観に行ったこともある。

50代の女将さんが、こっそりペットボトルに日本酒を入れ、
20代のバンドに熱狂する姿は滑稽だけど素敵だった。

1人で飲みに行くことに慣れた僕は
地元でもいいお店がないかと検索し、
駅前のバーに辿り着く。

何を話していいのやら分からないまま、
飲んだことのないウイスキーを飲んだ。
出迎えてくれたバーテンダーは
僕の1つ上だった。

歳が近いこともあって、
結婚の話、将来の話
行き詰まる30歳前独特のモラトリアムに花を咲かせた。

その人は、新しい道を歩き出し、
ほどなくその店を去った。

いつの間にか僕はそのお店の常連になっていた。
マスターとたわいもない話から
日々の話、結局はなんだかんだ未だに
行き詰まる30歳後のモラトリアムを聞いてもらっている。

顔なじみのお客さんがたくさん増えた。

常連さんのお誕生日にはパーティーをして
年越しはみんなで乾杯をするようになった。

「そこに行けば、知ってる誰かがいる」

僕はいつの間にか
いつかの「当たり前」を取り戻していた。

お酒を飲みに行くことももちろんだけど、
京都のお店も、地元のお店も、
僕らが大人になるほどに失っていくその価値を
大切に守り続けてくれていることが
1番の価値なのかもしれない。




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