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"選択的子なし"と輪廻転生


noteをはじめてから、選択的子なしやDINKSというスタイルについて発信する人たちの文章をよく読むようになった。もちろん理由は自分が同じ境遇だから。

そこで、枕詞のようによく書かれているのが「自分の代で子孫が途絶えてしまうのは先祖に申し訳ない」という言葉。

確かに、歴史を知れば知るほど「困難な時代でも命を紡いできた先祖は偉大だな」と思うし、膨大な血の歴史を自分が断ち切ってしまうことへの罪悪感は、まあ、私もわからんでもない。

中には途中で子供を持つという考えに変わる人もいると思うが、基本的に"子なし"という選択をした以上は、その人生を生きていくしかない。
どうせなら他の視点から自分の人性の物語を見出してもいいんじゃないか、と最近の私は考えている。

私の頭の中にあるのは輪廻転生のイメージで、
私の前世も前前世も、子供を持たないまま死んではあたらしく生まれてを繰り返しているんだろうな、私も同じ道を辿るんだろうな
という解釈。

なんなら「前世は子沢山だったかもしれないけど、今世は産まない、それでも輪廻は繰り返される。ただそれだけのこと。」でも良い。

子孫を絶やす"断絶"というイメージで自分の人生を解釈するよりも、終わりなき"輪廻"に思いを馳せてみるのはどうか。

どうにもこうにも人生は続くので、なるべく自分の負担にならない解釈で押し進めていきたい。そんな私の提案。

私がこんなことを思い浮かんだのは映画や小説の影響だと思うので、影響を受けた作品たちを最後に紹介しておく。

読書が趣味じゃないという方には宇多田ヒカルの『Deep River』もオススメ。

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