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因果関係が好きすぎる私たち

私たちは因果関係を説明するのが好きすぎではありませんか?

突然そんなことを訊かれてもあまりピンとこないかもしれませんが、これは最近僕がよく感じることです。因果関係というのは、簡単に言えば原因と結果のことです。因果関係を説明する時には「〜だから(原因)、〜なのだ(結果)」という風に説明します。僕の母もよく「歳を取ったから、涙もろくなったな」と言いながらドキュメンタリードラマとかを観ているんですけれども、ここでは「涙もろくなった」という結果の原因が「歳を取ったらだ」と言っている訳です。このような「〜だから、〜なのだ」あるいは「〜なのは、〜だからだ」という因果関係の説明は、世の中にうんと沢山存在しています。ただ、僕が好きすぎているという風に感じているのは、因果関係の説明を好むあまり、本当は分からないはずの因果関係にまで、何かしらの説明を当てはめて、いかにもそれらしく話してしまってはいなか?という疑問にあります。これがこの投稿で言わんとしていることなのですが、少しだけ深ぼってみたいと思います。

なぜ私たちは因果関係を説明するのが好きなのか?

まずはそんなことを考えてみるのが自然な流れかなと思ったわけなのですが、早速「なぜ〜なのか?」という原因を求める問いかけをしてしまっています。少なくとも僕は因果関係を考え説明するのが好き、ということが如実に露見してしまいました。

さて、本題の「なぜ因果関係を説明するのが好きなのか?」という問いの答えは、大きく2つあると僕は考えています。

一つは、因果関係を説明すると言葉の説得力が増すからです。例えば、農家さんが、単に「うちの野菜は美味しいよ〜」と言ったところで、そりゃ誰だってそう言うだろと思います。しかし、「うちは独自にブレンドしたこだわりの有機質肥料を使っているから、美味しい野菜ができるんだ」と因果関係を挟んであげれば、なるほど!だから美味しいのかと納得してしまいます。僕だって「有機質肥料を使うと、作物体内の硝酸態窒素濃度が高くならないから、糖度の高い野菜ができるのだ」という風な因果関係を説明すれば、「なるほど」と思ってもらえますし、なんなら頭の良い大学生を演出することもできます。因果関係による説得力の強化とはそういうことです。

二つ目は、原因がわからないことへの不安や恐怖があるからです。ちょっと哲学的な話になりそうな雰囲気もありますが、私たちは何でも原因不明なものに対する恐怖や嫌悪感があるのではないかと僕は考えています。科学の発達していなかった時代に、身の回りの様々な現象の原因が宗教(神)に結び付けられていたのも、この原因が分からないことへの畏怖があったからなのではないでしょうか?また、科学で様々な物事が解明された現代でも、本当は分からないことだらけで、余計に原因不明なものに対する不安や嫌悪感が増しているのではないでしょうか?だからこそ、本当は原因がよく分からないことでも、分からないままで放っておくことができず、ついついそれらしい因果関係を求めて、食らいついてしまう心理が私たちの中にありそうな気がしています。

どうでしょうか?因果関係を説明することが好きな原因について、まさに説明をしてきました。あくまで僕の主観で本当はそんな原因なんて知る由もありませんが、以上のように因果関係を説明すると少し説得力がありますし、僕自身すっきりした心地がしています。あながち、間違いでもないのかなと思えてきます。

私たちの説明する因果関係は本当に正しいのか?

Twitterとかを見ていると色んな人が色んな情報を発信しています。その中には今回対象としている「〜だから、〜なのだ」系のツイートも沢山あるわけですが、それって本当に正しいのか?という疑問をよく感じます。僕の専門に近い農業という分野でも、実に色んな言説が飛び交っていて「こういう方法をすると、(土が〜/微生物が〜/作物が〜)こうなるから、結果が良くなる」みたいな話もよく聞くわけです(因みに、さっきの有機質肥料のブレンドの話は、最近テレビで農家さんが仰っているのを観ました)。実際に現場で色々試した結果、その方法で上手くいくようになったのであれば、そこに因果関係がある可能性は十分にあります。また、その因果関係が正しかろうが正しくなかろうが実際に農家さんが上手くできているのであれば良いではないか?と言われれば、それももっともだと思います。ただ、上手くいく原因が実は何か他のものにあった場合、その方法を他の場所で再現しようとしても再現できずに、効果のない方法にコストや時間を費やしてしまう、というデメリットは往々にしてあるわけです。したがって、少なくとも誤った因果関係にはなるべく騙されないような、批判的な目を鍛えておく必要はあるのではないでしょうか?

では、どのようにして私たちは誤った因果関係を信じてしまうのでしょうか?色々あるとは思いますが、ここでは大きく二つ、「バイアス」と「相関」について説明していきます。

バイアスとは何か?

一番大きいと思うのは、認知バイアスです。バイアスとはつまり偏見です。この偏見というのは私たちが思う以上にずっと根深いものです。心を海に例えるならば、偏見は深海魚みたいな存在でしょうか。最近は特に偏見や差別に対する議論が活発ですが、偏見のない世界に近づくためには、自分のリベラルをアピールすることではなく、自分がいかに偏見に塗れているかというのを常に疑って正しにかかることが必要だと僕は思っています。それだけ偏見は根深く難しい問題だと思っています。

ついついカッコをつけて話が逸れてしまったので、話を戻します。バイアスにも色々あるようなのですが、例えば確証バイアスと呼ばれるものは「自分に都合の良い情報だけ集めて、そうでない情報は無視してしまう」ような傾向のことです。心当たりはありませんか?例でよく挙げられるのは、血液型と性格の話です。血液型と性格に因果関係があると信じている人は、几帳面なA型の人に出会った時だけ「あ、やっぱりA型だから几帳面なのか〜!」と感じて仮説を強化するため、本当に因果関係があるように感じてしまうわけです。ちなみに、僕は割と几帳面なB型なので「A型でしょ?」と訊かれがちです。他にも、かつて「○大生のノートはかならず美しい」という本がありましたが、○大生が思うにこれもバイアスの類が発揮されていると思います。ノートの取り方なんて十人十色です。読んでないのであまり適当なことを言うのも申し訳ないのですが、たまたま著者の巡り合った学生が綺麗なノートを取っていて、それが確証バイアスによって強化されただけではないでしょうか。さらに、実際に○大生の綺麗なノートの実例を本の中で紹介しているようですが、当然汚いノートは載せず綺麗なノートだけを集めているでしょうから、ここではサンプリングによるバイアスが発生しています。本当にノートが共通して美しいのかを検証するためには無作為に学生をサンプリングして検証する必要がありますし、そもそもどんなサンプリングをしても”かならず”と謳うのはどうかなと思います。なんて言うのは無粋でしょうか?

バイアスに関して、真面目な例も挙げると、人の健康に関わる医療・食・農業の分野で特に蔓延しているように思います。例えば「〜を食べたことによって体調が良く/悪くなった」と実体験に基づいて因果関係を説明する人がいたりします。ここでは、体調が良く/悪くなったタイミングと何かを摂取したタイミングが一致したのは、本当は何か別の原因があって偶然一致しただけの可能性があるにもかかわらず、本人にとっては「〜によって体調が良く/悪くなった」という非常に強い印象が確証バイアスによって確立してしまうわけです。また、SNSなどを使って自分の考えを補強する情報だけ収集・拡散して、そうじゃない情報は無視するというような態度の人もごく一部いる感じがします。そういう情報収集の仕方をすると、本当はもっと検討が必要なのにも関わらず、自分の思う因果関係が確証バイアスによって非常に揺るぎのないものになっていきます。(ちなみに、こういう話で”利権”という言葉もよく耳にして、実際そういうのがあるのかも分かりませんが、中には自分の動機は不純じゃなくても他人の動機は不純であるというバイアスが機能してしまっているケースもあるのかなと思います)Twitterはフォロー機能とリツイート機能というのがありまして、自分の気に入った人をフォローして、気に入った情報を共有することができます。それによって、価値観の偏ったコミュニティ内では、どんどんこういったバイアスが確立されていくわけです。上手に使えば色んな情報に触れらるSNSも、現実にはバイアスを強化するツールになってしまってはいませんか?もちろん何事も「信じるか信じないかはあなた次第!」で、それぞれの価値観が尊重されるべきだとは思いますが、バイアスの強い価値観を人に押し付けると迷惑がられてしまうので、気をつけたいところです。

相関とは何か?

誤ったデータの解釈はバイアスを一層強化します。「データは嘘をつかないが、嘘つきはデータを使う」みたいな言葉ありませんでしたっけ?まさしくそういったものです。割とよくある見るケースは、相関関係と因果関係を混同することで、本当は検証が不十分な因果関係を強く信じてしまうということがあります。

「相関関係と因果関係は違う」というのは良く言われますが、実際にどう違うのかと聞かれると意外と難しい問題です。例をあげて考えてみます。以下のグラフは、有機食品の売り上げ(四角)と自閉症の診断数(三角)の推移をプロットしたグラフです。見事に増加のカーブが一致していて、これは相関関係があると言えます。相関係数は0.9971と非常に強い相関です。

 出典:https://boingboing.net/2013/01/01/correlation-between-autism-dia.html

しかし、だからといって「有機食品が自閉症を誘発している!」という因果関係を正当化するのは、流石に無理があるだろうと誰もが感じると思います。それぞれ別の要因によって増加していて、その増加のパターンが偶然一致しているため、強い相関が現れているといのが自然な理解だと思います。これは「相関関係があるからといって因果関係があるとは限らない」ことを理解するわかりやすい例です。しかし、上のグラフの「有機食品」が、「ワクチン」や「食品添加物」や「農薬」になったらどうでしょうか?たちまち「ワクチンが/食品添加物が/農薬が自閉症を引き起こしている!」という風な因果関係を考える人も多いのではないかと思います。この自閉症増加の原因は良くわかっていないくて、相関関係が因果関係を含む可能性もあります。原因の一部は診断基準の変化による増加で説明できるようですが、それだけでは増加の全てを説明することができないため、他の環境要因と自閉症との因果関係を調べる研究が行われていることは事実です。このように科学的な検証を経て因果関係があるかないかを判断しようとするのが正しいプロセスなのですが、相関のデータだけを見て因果関係があるように言うのは、「有機食品が自閉症を誘発している」と言うのと同じであることに注意する必要があります。

こういった話を擬似相関と呼んだりします。ここでは表面的な説明だけしましたが、相関関係と因果関係の違いをより詳しく理解したい方は「統計的因果推論」という学問を勉強してみることをお勧めします。(僕は勉強中です)

科学は完璧か?

では、どうやって正しい因果関係かどうかを判断すればいいのでしょうか。となると、研究論文であったり科学者の情報発信というのが客観的な判断基準の一つになってくると思います。でも、最後に考えなければいけないのは、研究論文や科学者の言うことは100%正しいのかどうか、ということです。

科学の知恵を正しく使うためには、科学の本質を理解する必要があると考えます。研究論文というのは、発表前にも査読というプロセスはありますが、発表されて終わりというわけでもありません。発表後も、本当にその発見・仮説は正しいのか?再現性があるのか?というのを、別の研究者たちが検証することで、科学の知恵が形成されていきます。そうした検証の中では、科学者同士で意見が対立することもありますし、結果的に「最初の研究論文は正しくなかった」というのがわかることも往往にしてあったわけです。現にSTAP細胞というのも発表後の検証によって、正しくないことがわかったわけです。これが科学の正当な流れです。

こうしたことを理解していないと、例えば、発表後に他の研究によって多くの反対意見が示されているのにも関わらず、自分の都合にあった一つや二つの研究結果だけを引用して自説を強化するということもできてしまいます。こういった言説が蔓延してしまうのも、「〜という研究結果があって」と言われれば、専門家でないと反論するのは難しいからなんだと思います。また、科学で一般的に受け入れられていることなのか、まだ検証が不十分な仮説の一つに過ぎないのかを判断するのは容易ではないと思います。しかし、科学の本質と自分自身のバイアスを十分に認識した上で情報に向き合えば、安易な因果関係に騙されるリスクも少なくなるのではないでしょうか。

最後に – 世界はわからないことだらけ

以上つらつらと書いてきましたが、思えば「なぜ私たちは因果関係が好きなのか?なぜ誤った因果関係に陥ってしまうのか?というものの原因(因果関係)を考える」という、メタで見ると非常に滑稽な文章になってしまいました。他の人の意見を聞いて、自分の考えを検証できたら嬉しいです。

僕自身「なぜ?」というのを考えるのは非常に好きなのですが、考えて調べて勉強するほど、なぜなのか分からなくなってしまうことが沢山あります。それだけ現実は複雑で、分からないことだらけの世界だということなのでしょう。でも、私たちは「分からない」と正直に言うことに、時に無責任さを感じてしまいます。その結果、なぜか?と聞かれれば、尤もらしい因果関係を考えて何でもわかったように説明してしまう場面が多々あるわけです。しかし、その因果関係は本当に正しいことなのでしょうか?案外研究者やプロの人ほど、分からないことを分からないときっぱり言ったりもします。もしかしたら、分からないことを分かったように言う方が無責任なのかもしれません。

最近は本当にいろんな人がいろんなことを言える時代になっています。こんな記事を書くと過去の自分に盛大なブーメランが帰ってくるのかもしれませんが、今この大変な時期だからこそ、分かることと分からないことを見極める能力の大切さを感じていて、学生のうちに鍛えておきたいなと思いました。

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