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「農業生態系のデジタル化」ってなんだろう1

少し前のことですが、「農業生態系のデジタル化に成功」という以下の理化学研究所のプレスリリースを目にした方がいるかもしれません。Twitterコメントがいくつか投稿されていたように思います。

一体どんな研究かと、このプレスリリースの冒頭部分を読んでみると、

農業生態系における植物-微生物-土壌の複雑なネットワークのデジタル化に成功し、これまでは熟練農家の経験として伝承されてきた高度な作物生産技術を科学的に可視化できるようになりました

という風に書いてあります。「複雑なネットワーク」「デジタル化」「高度な作物生産技術を科学的に可視化」といった言葉の並びを見れば「何だか凄そうな研究が行われたんだなあ」ということは何となく分かります。が、実際のところ「ネットワークのデジタル化」「生産技術の可視化」ってどういう意味?と聞かれるとなんだかよくわからなくなります。そこで、今回勉強したこととしては、一体どういう研究が行われたんだろう?という疑問を深ぼってまとめてみました。なお、栽培・分析の細かい条件などを知りたい場合は、先ほどのリンクか、英語が読める方は以下の論文もぜひ読んでみると面白いと思います。

どんな実験を行なったか?

まず、どんな圃場試験を行なったのかという点です。キーワードの一つが太陽熱処理です。太陽熱処理とは、作物の栽培前などに、透明なビニールのシート(透明マルチ)を敷いて一定の期間放置するような処理で、これは土壌の温度を上げることで土壌の消毒や雑草の種の除去などを行う目的で実施されています。特に有機農業の現場など、殺菌剤や除草剤などを使わない場合(*有機農業でも使える殺菌剤はある)では太陽熱処理が重宝していたりして、この研究も実際に千葉県の有機の農家さんの畑で行われています。

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論文より(https://www.pnas.org/content/pnas/117/25/14552.full.pdf

上の図のような配置で、太陽熱処理を行なった畝と行なっていない畝を一つずつ設けて、それぞれでコマツナの栽培を行っています。なお、肥料の種類による効果の違いを見るために、太陽熱処理を行う前に肥料を散布し、それぞれの畝に化学肥料を使う区画と堆肥を使う区画を2つずつ設けています。コマツナが大きくなったら、A)コマツナと B)コマツナの間の土壌と C)コマツナの根圏(土壌および根を含む根の付け根の周囲3cm)のサンプルを、一つの区画から2つずつ取って分析にかけています。このような形で、
 ① まず、圃場試験を行なって、
 ② 得られたサンプルを分析してデータを取り出し、
 ③ データを統合して可視化(ネットワーク解析)を行い、
 ④ 解析結果から関係が示唆されたものに関して追加で実験を行う。

というのがこの実験の全体的な流れになっています。この流れに沿ってまとめていきたいと思います。

どんなデータを分析したか?

さて、得られたサンプルからどのようなデータを取り出したかを整理します。一言で言うならばマルチオミクスデータというものになりますが、生物系に馴染みがない人だと、ここが一つ目の”?”ポイントになると思います。

オミクスとは、分子の情報を”網羅的”に解析する学問・研究手法を言います。例えばヒトの遺伝子配列を全て決定するヒトゲノム計画というのがありましたが、このように遺伝子の塩基配列情報を網羅的に調べるような研究を”ゲノミクス”と言ったりします(”ゲノム”+”オミクス”=”ゲノミクス”)。他にも、タンパク質を網羅的に調べならば”プロテオミクス”、代謝産物を網羅的に調べるならば”メタボロミクス ”などがあります。こうした解析は様々な計器の発達によって可能になっていて、ここでは詳しくは説明しませんけれども、今回の研究では、磁気共鳴装置(NMR)という機械を用いたメタボローム(代謝産物)解析や、次世代シーケンサーという(カッコいい名前の)機械を用いたゲノム(遺伝子)解析(→遺伝子の情報から微生物叢(マイクロバイオーム)の組成を特定しています)、発光分光分析装置を用いたイオノーム(イオン組成)解析などの複数のオミクス解析を行なっています。実際にこれらの測定項目の大まかなカテゴリーとその項目数をまとめたものが以下になります(測定項目数はSupporting Informationのcsvファイルに記載の項目数をまとめています)。

作物(コマツナ)のオミクス
・形質情報:18項目
 収量、SPAD、糖度、酸度、ビタミンC含量、硝酸含量、官能評価など
・イオノーム(イオン組成):8項目
 Ca、K、Mg、Na、C、H、N、C/N
・メタボローム(代謝産物):119項目

土壌微生物のオミクス
・根圏のマイクロバイオーム(微生物叢):518項目
・土壌のマイクロバイオーム:54項目

土壌のオミクス
・イオノーム:45項目
・メタボローム:106項目

測定した項目は全部で868項目あり、これが16サンプル分ありますので、合計で868×16=13,888個のデータ数になります。圃場試験の研究としては、かなり多いデータ数なのではないかと思います。さらに注目したいのは、データが土壌・土壌微生物・作物という風に階層構造になっていることです。これまでの研究では、各階層内のネットワーク(例えば微生物叢のネットワークや作物の代謝産物のネットワークなど)を調べた研究はあっても、階層を超えたネットワークの解明の取り組みというのはなかなか行われていなかったようです。したがって、土壌-土壌微生物-作物という3つの階層のデータを統合してそのネットワーク構造を解析した、ということがこの研究の新しいところなのだと思います。

以上がデータについての説明ですが、ではどのようにしてネットワークの解析を行ったのか、という肝の部分を次の投稿で整理してみたいと思います。

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