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地震があったそのとき

もう1週間経ったのか…
久しぶりのnoteには元日の震災のことを書こうと思う。
(大きな被害はありませんが、読んで辛くなる方は閲覧をお控えください)

元日は富山東部の自宅に居て、夫と息子2人とダラダラしていた。
午後からは近くの神社に初詣に行っておみくじを引き、お守りを買い、帰ってからはまたゲームしたりダラダラ過ごしていた。

夕方16時すぎ、スマホの通知と共に揺れ。
すぐに子どもたちに寄り添ったが激しくなってきた。動揺して少しオロオロ。
「テーブルの下に!」子どもたちはすぐに小さなテーブルの下にギュウギュウになって収まり、私は自分のパソコンテーブルの下へ。夫は子どもたちの近くで頭を隠していた。
なんだか…シルバニアファミリーの家を持ちながらガシャガシャ振っていて、その家の中に自分たちがいるみたいな。初めての大きな揺れだった。
何秒だったかはわからないけどとても長く感じた。
上にあるiMacが落ちてこないか心配だった。
自分が居た富山県東部は震度4強程度だったそう。これで4…??


揺れがおさまってテーブルから出る。
幸い何か落ちたり壊れたりということもほぼ無かったが、初めての大きな揺れに動揺している皆。すぐにスマホに津波警報が鳴り、地域のサイレンも鳴りはじめた。居間のテレビではアナウンサーが「逃げて」と叫んでいた。

いつものカバンを持ち、子どもたちに上着を着せて避難へ。
同居家族は全員で9人。一番上のおじいちゃんが座って「行ってこーい」と笑って呑気にしていたので、義母さんが声をあげて無理矢理避難させていた。
家に一つしかない防災バッグを持って車に詰めた。


津波といえば高い場所。山が割と近いからそこへ行くべきなのだが、
考えることはみんな同じらしく、その道はすでに渋滞が起きていたのがすぐにわかった。東日本大震災のことを思うと渋滞は怖い。
結局、近くに高速道路の入り口があるのでそこへ上がる。そこは高さがあってまだ良いかな、という考えに。ETC専用ICなので、上がればトイレもある。
家族全員(車2台)でICへ避難。2時間くらい様子を見ていた。
ICには車がたくさん停まっていたが、徒歩で上がってくる人もいた。
その間にスマホチェック。
石川県にいる家族、友人に連絡したりXで情報を見たり。


津波警報が注意報に変わった時点で帰宅。
しかしまた地震や津波が来るかもしれないので準備することにした。
非常食や飲み物、カイロ、ブランケットなど。
9人も居るから…とモリモリに詰んだ。笑
子どもたちは自分のおやつを詰め込んでいた。

揺れない間に!と家族が夕食を準備してくれた。
揚げ物をしようとしていたがいやそれは怖いから…と、やめた。
ささっと食べて子どもたちとシャワーを浴び、就寝。ベッドのすぐ横に靴や上着、カバンを置いて寝た。
余震で目が覚めたが、たくさん眠れたと思う。

1月2日は何したか覚えていない。
多分、情報にのまれていたと思う。インスタ、X、LINE、TV…ぐちゃぐちゃ。
たまに余震が来るので子どもたちとは離れないようにしていた。
揺れがわかるたびにテーブルの下へ。
「熊本の地震みたいに大ボスが次の日かもしれない」
子どもたちに本震のことを「大ボス」と表現して伝えていた。


実家は石川県金沢市。家族親戚はみんな無事だった。
実家は台所の食器がたくさん落ちて割れ、庭の小さな灯籠がバラバラになった。
友達も知人も知っている限りは無事で本当によかった!
情報が入るたびに、当日自分が感じた地震が軽く思えてくる。

帰省のために能登に行ってた友人が多くいた。
よく生き残った!と思えるくらい悲惨な目にあった友人だらけで泣けてくる。
今はその友人たちに何ができるか、少しずつ連絡をとっているところ。
同じ北陸なのに直接の助けができないのが悔しいけれど…
今はできる範囲のことを。


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