見出し画像

私と孤独の相性

孤独には、lonelinessとsolitudeの2種類あるらしい。
Cambridge dictionary のWEBページで検索してみる。

loneliness: the state of being lonely (直訳すると孤独な状態)
どちらかというと悲しく、ネガティブな印象。

一方で、
solitude: the situation of being alone, often by choice
(しばしば自分の選択によって、1人である状態)
どちらかというとポジティブで「自由」な印象。

今回は、
solitudeと私、めちゃくちゃ相性がいい気がする、という話がしたい。

1人でいるのが大好き

この間、気の置けないマブと遊んだ時に言われたのが、「なんでも自分で解決できてかっこいい」「羨ましい」というお褒めの言葉だった。
初めてそんなふうに言われたし、そう言ってくれた彼女に対して私は「パートナーと一緒にずっといられるのすごい」「自分の弱みを見せたり本音を言えるのすごい」だったので、大変驚いた。

確かに私は、基本何でも1人でやりたいタイプだ。
1人で東京に旅行に行きました、関西に2泊で行きました、アーティストのライブに行きました、というと少なからず驚かれる。私は私で「そんな驚くことか?」と不思議に思う。ホテルの予約を取るのも、行く場所を決めるのも、交通の便を考えるのも、本当になんてことないし、むしろ全部自分で決められて超満足な、「自己中」が「自立」につながった一見珍しいパターン。

これも友人に話すと大体驚くし驚かれるのだけど、夜に1人で部屋にいるときに寂しいと感じたり、誰かと一緒にいたい、人肌恋しいと思うことが本当に無い。あの子に凸電して深夜の散歩誘おうかなとか、誰かと遊びに行きたいなあとふと思うことはあるけれど、夜にいきなり寂しさや漠然とした孤独感に襲われることがない。

ただ休むだけの休日にしても、インドアもアウトドアも多趣味なので常に何かしているか何か考えている。それか寝ている。
暇を持て余してぼーっとする時ですら、大体何か物思いに耽っていたりするし、「寂しい」という単語すら頭に浮かんでこない。

長年付き合ったパートナーと別れたときや、大事にしていたペットを失ったら、きっと友人たちの気持ちもわかるのかもしれない。

これは余談だけど、小学校高学年あたりから1人の部屋で一つのベッドで寝ているのと、神経質な人間なので、誰かと同じベッドで寝ると全然寝れない。大好きな友人や恋人と眠る時ですら、相当寝つきが悪い。他人の動きや寝息、寝言によって睡眠への集中力が削がれる感じ。

圧倒的・単独行動派(自己中)

グループワークや団体行動が苦手で、ずっと周りの目を気にして生きてきて、いまだにその呪いが完全に解けていないというのも、私のsolitudeに影響していると思う。
昔は自己中で生意気なクソガキだったのに、いつからか周りに流されて生きるようになっていた。それは私が感受性の強い人間だからなのか、女性だからなのか、あるいは両方。

1人行動のメリットを挙げると、
自分の部屋なら何を飾っても置いても誰も文句を言わない。
1人で旅に行くならなんとなく気になった場所にふらっと立ち寄っても、チェックアウトの時間ギリギリまでだらだらしていても、場当たり的に行き先を変えても、誰も不快にさせない。
自分で課題を最初から最後までこなせば、ミスが見つかって犯人探しをしたりプレッシャーをかけたり〆切ギリギリまでのんびりしていることで他のメンバーを困らせることもない。

1人でいると、私の世界に入ってくるノイズが本当に少なくてとっても楽なのだ。安心していいろんなことが出来る。

人生観によるもの?

ここまで書いてみて思ったのは、私はlonelinessにならないために、solitudeを選んでいるのかもしれない。

他人と過ごすことで、周りの人間と良くも悪くも比べてしまったり、自分より前進しているように見える友人に嫉妬している自分に後ろめたさや自己嫌悪を感じることもない。
lonelinessというネガティブな意味合いの「孤独」を、中高で何度も味わってきて、これ以上他人に私の感情や気分を支配されたくないと思い始めたのだと思う。

たぶん、10代後半で「他人に期待しない」を実践できるようになった。
冷たい言い方になってしまうが、所詮は他人、いくら期待したって相手はいくらでも裏切ることができるんだから、最初から何も望まないこと。
もし何か望むなら、それが裏切られることを前提で望むこと。
それが今の私の、自分の軸で生きるコツだ。
自分自身を守るためには、私にはこのくらいの心構えが必要だった。

不器用な選択であることは分かっているけれど、私にしては実践できるまでになっただけすごいと思う。昔は、他人の言動に一喜一憂してまさに他人に感情を支配されていたようなものだった。今は大学生で周りとの距離感を自由に取れるからなだけ、なのかもしれないけど。

マブのことは大好きだけどね!!

ここまで他人や周りについてボロクソ言ってしまったが、私は人間関係は狭く深くタイプで、そのマブゾーンに入ってきてくれた人間のことは正直かなり大好きである。他の投稿でも度々書いているけど、彼らがいなかったら私の大学生活こんなに青春できていなかった、と思うことが本当に山ほどある。
人間関係の構築にこんなに時間のかかる私と懲りずに一緒に過ごしてくれて、くだらない話題も共有して、たまにディープな話もして、大学を卒業してからも私から定期的に会いに行ったるでと思うくらい、彼らのことが大好きだしこれからも仲良くしてくれたらいいなあ、、なんて思っている。

マブのことは大好き、知り合い以下の人間はうっすら嫌い、みたいな極端な不器用人間だけど、マブへの大好きはこれからも惜しみなく伝えていくし、行動していきたいと思っている!(宣誓)

結論

他人といると人一倍色々なことを感じてしまう・気にしてしまう自己中な人間が、たまたま1人でなんでもこなせるキャパシティを持っていた結果が、私なのだと思う。

旧Twitterで見かけた言葉、この通りだと思う。

この言葉は、独身に対する後ろめたさを感じさせてきた社会規範をひっくり返せるくらい、素敵な考えだと思う。
もちろん私にとっても最高にポジティブな意味合いであり、「やっぱ独身最高なのでは?」と思わせる言葉だ。

実際、私はこれからも1人でどんどん行動していくつもりだし、パートナーと生涯を共にするイメージが全然湧かない分、数年後今の自分が想像もしないような私だけの人生の楽しみ方をしているような謎の自信はある。

1人行動大好き、マブも大好き、そんな自己中な生き方をこれからも私らしさとして大事にして、ずっとsolitudeとともにハッピーに生きていきたい。