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毒親だった母から、愛の言葉をもらえた日

先日、介護施設から、
入所中の母の手の震えが酷くなってきたので
いちど脳神経外科で診察を受けて欲しいと
連絡があり、母を病院に連れていきました。

病院で待っている間、
普段寝たきりの母は身体を支える筋肉もおちて
車椅子に座っていても姿勢を維持できずに
後ろに下がっていったり、前のめりになったり。
30分置きに座位を変えていました。

そんな母と待合室のテレビを見たり
スマホにある子供の動画を見せたりしていて
時間を潰していました。

喉に詰まらせることを恐れて
施設では飴を食べさせてもらえないようで
「ないしょだよ。飴食べたいっていっていたから
一緒に食べようね」
と飴を食べさせると
「美味しい、美味しい」
と何度も言って、食べていました。

母がふと、
「やっぱり女の子じゃないと、
ここまでしてくれないね」
と言いました。
認知症になる前、わたしが帰省して
家事を手伝ったりすると
よく言っていたので
兄と比べて言っているのだと思いました。

「あなたを産んで良かったよ」

母が言いました。

わたしが40年近くも思い悩んで
自分の存在価値について
「うまなきゃよかったじゃん」
「生まれてこなければよかったんだ」
と思い続け、
母親を責めていた私が
本当は求めていた言葉を、
もう認知症だし
言ってもらえないだろうなと
諦めていた言葉を
言ってもらえました。

今までカラカラだった土地に
水が吸い込まれてあふれるように、
涙も、寂しかった思いも溢れ出し、
静かに泣いていました。

横でわたしの様子に気づいたのか
母も涙を流していました。

認知症で肉親のことは覚えていても
わたしの夫や兄嫁のこと
甥のことは、忘れている様子もありました。
その母から
愛の言葉をもらえたこと、
それが嬉しかったのです。

いえ、きっと
母はずーっとわたしに愚痴や
不平不満をいいながらでも
わたしには愛の言葉を伝えていたのかもしれません。

でもわたしの頑なな母を否定する気持ちが
その言葉すらも素直に受け取れずに
「構ってほしいからそんなことをいうんだ」
と、自分でこじらせていたんだと
今になって思うのです。

そう思えるようになって
今まで憎しみしかなかった
母への思いに
素直に「わたしは、母が好きで
母にも好きでいてほしかったんだ」

と思えるようになりました。

長くかかりましたが、
親への憎しみを断ち切れることができた
瞬間でした。





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