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放送作家とは寂しい仕事なのかもしれいないっす

キー局と呼ばれる主要テレビ局の全てで仕事をさせてもらい、いくつかの番組ではチーフ作家もしてたりする。

そんなボクが思う。

放送作家の仕事の本質とは、なんだろうか。
誰か教えてほしい。

先日、とある女性プロデューサーと話していたときのこと。

ボクが、「あの演出さん(番組の主)と意見が合わない」と話した。
すると、「でも、放送作家ってさぁ、演出とかディレクターのやりたいことを具現化できるように考えるのが仕事だから、仕方ない部分もあるよね」と。

確かに、演出やディレクターの、漠然とした「推理とか捜査とか、探偵みたいなバラエティやってみたいんだけど、、、」という不明確なことを、様々な角度から考えて意見し、どうすれば具現化、番組化できるのかを提案することも多々ある。

ただ、ボク個人としてだが、それらは放送作家の仕事の本質ではないと思っている。
放送作家としての仕事ではあるが、本質ではない。

ついこの前も「〇〇(テレビ局)がG帯(ゴールデンタイム)のグルメ番組欲しがってるみたいで、サクっとネタ頼むわ」と制作会社のプロデューサーに言われ、その一言で、ボクら作家は数日後に5つほどの番組アイデアをその人に送る。

これこそが、放送作家の本質だと思っている。

違いがわからないかもしれない。

前者の演出さんは、やりたいことの骨格「探偵みたいなバラエティをやりたい」と言い、ボクらは探偵みたいなバラエティとして面白くなる企画を考える

後者のPさんは、「G帯のグルメ番組を」と言い、ボクらは一般受けしつつ、今までにない、グルメという広義のジャンルを軸としたバラエティー企画を考えられる

つまり、探偵バラエティがやりたい、いうのは、考える幅が相当限られる。
どれだけ新しい探偵バラエティーを考えたとしても、演出からすれば、「最初に推理とか捜査とかできる探偵バラエティーをしようと言ったのは俺」と堂々と言われる。
俺が探偵というキーワードを出したから生まれた企画、と本気で我が物顔をされる。

しかし新しいグルメ番組が欲しい、というのは、考える幅が無限。
0→1を作れる。この場合、新しく面白いグルメ番組を発案すれば、考えたのはボクになる。
発注した人は「俺がグルメというキーワードを出したから…」なんて、恥ずかしくて言いない。それぐらい広義ジャンルだからだ。
言ってしまえば、「探偵グルメバラエティー」は難しいが、「グルメ探偵バラエティー」は考える余地がある。

というわけで、冒頭の女性Pが言った
「でも、放送作家ってさぁ、演出とかディレクターのやりたいことを具現化できるように考えるのが仕事だから、仕方ない部分もあるよね」
は、間違ってはいないが、断言するのは違うと個人的には思う。

少なからず信用していた女性Pだったので、いいんだけど、間違ってはいないんだけど、ポロっと出た本心を聞いて少し残念に思った。

とはいえ、番組があって、演出がいて、プロデューサーがいて、ディレクターがいて、その中の歯車の1つとして放送作家がいるので、個人的なこだわりを持ちすぎると成立しなくなるのはわかる。
どんな職場でもそうだろうが。

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