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連載小説 『引力と重力』 第一回(森田 七生)


増田壮太さんに



引力と重力
森田七生

 「よくできました。」の『よ』を書くには、まずやや右上がりで、控えめに横線を引く。その左端をかすめるように、まっすぐ縦線を引いたら左にカーブする。右方向へターンしながら戻ってくるときには、少しだけ三角形を意識すると締まって見える。『く』は難しくない。斜め右下への線を心持ち長くすることだけに気をつければいい。『で』は『よ』と比べてさらに角度をつけ、斜め右上に線をすっと伸ばす。ぐっと一時停止してから左に折り返すところが重要で、しっかり重なりを持たせてから徐々に分岐しつつ、しなやかに弧を描く。濁点は上ではなく下の方に打つとバランスが整う、ということにも気がついた。続くひらがなも念入りに書き進めていく。「まい先生より」と書いて日付印を押せば、残りの答案用紙は一枚。私は赤いペンを持ったまま伸びをして、ふうっと息をついた。

 金曜夜のオフィスに残っているのは採点アルバイトの私だけだ。フロア内の照明スイッチは二つしかなく、私のいない西側の照明は既に落とされている。整然と並んだデスクに置かれているパソコンのディスプレイは、ソフトウェア更新のために青い光を放っていたものがいくつかあったけれど、一つ、また一つと黒い画面に変わっていき、今では全てシャットダウンされている。フロアの中央、東西の境目で島のように固まる営業部のデスクのうち一つは、キーボードが見えないほどに書類が散らかり、小型の扇風機は夏から放置されたままだ。対照的にきちんと整頓された隣の机には早くも卓上用加湿器が置かれている。そこは中途入社の成績不振おじさんと彼の教育係を任された悩める女性チーフの並びで、二人を観察することは私のささやかな愉しみとなっている。

 暗くなった西側の奥は一面ガラス張りで、俯瞰では扇形に見えるこのフロアの曲線部分を成している。一枚ごとにつけられた角度が、オフィス内の景色を歪めて映し出す。会議前には順番待ちができる唯一のコピー機は分裂して二つに見えるし、月間契約数の張り出されたホワイトボードのグラフは事実に反して右肩上がりだ。唯一ブラインドが下りた窓からは、毒々しい赤い光が漏れている。ビルの向かいにあるネオンだろう。白い光がところどころ混じっているけれど、文字として認識はできない。確か消費者金融の看板だったと思う。

 扇の中心角付近のデスクに座っている私の背後には、大きなキャビネットがそびえ立っている。最下段の引き出しには採点済のテストが山積みになっていて、一定期間経過した後、シュレッダーにかけられる。中段から上の書棚には教材とテスト問題、さらに小学校の教科書や百科事典が並び、私がつま先立ちをしても届かない最上段に四文字熟語や方言などの特殊な辞典、クラゲや鉱物を始めとしたマニアックな図鑑が収まっている。手に取る頻度は少ないものの、いざというときには必要になるので厄介だ。踏み台はあろうことか自腹で購入させられた。

 普段はほとんど他の部署から無視されているこのデスクから、無人の空間を時折見渡して、フロアを独占していることを確かめるのは気分がよかった。頑丈なキャビネットが背後を固めてくれているのも心強くていい。私は首や肩のストレッチをやめて自分のデスクに視線を落とした。週明けには子供たちに返送される封筒の束、宛名を書くための油性マジック、模範解答集、半分飲み終わったミネラルウォーター、そしてピルケースが置かれている。

 答案用紙最後の一枚はこれ以上ないくらいだらだらと。ノルマを超えて添削したところでインセンティブがもらえるわけでもないし、かといって早退してしまうと時給制のため給料が減ってしまうのだ。過去最高の丁寧さで採点を終えた、十九時五十九分。赤いキャップをペン先にはめて、斜めに置いていた紙をまっすぐに戻し日付印を押すと、業務用電話機の着信音が鳴った。

’06.10.07

「おでんわ、ありがとうございます。こどもでんわしつもんがかりです」

「六年の、ゆき、です。こんばんは」

「こんばんはー。ゆきくん? でいいのかなー」

「……はい。あーその感じやめてもらうことってできますか。六年なので」

「えっ」

「担任だってもっと普通な感じで話します」

「……そっか、はい。わかりました。質問はなんでしょう」

「一年の女子が僕の腕を噛んできます。どうしてですか」

「えっ? 誰が噛むって? ごめんなさいもう一度お願いします」

「だから、次の運動会で、一年生の女子と二人一組にされて、一緒に玉入れをするんですが、練習の時間に僕の腕を噛んでくるんですよね」

「えっと、ごめんね。うちの教材やテストについての質問じゃないの」

「もう夏休み中に全部終わらせました。テスト、簡単すぎ」

「……うーん。中学受験用ってわけじゃないからね。ごめんなさい」

「とにかく『なんでもしつもんしてください』と書いてあったので、この番号に電話しました」

「それはあくまでテキストについて……そうか、確かになんでもだよね。わかりました。運動会の玉入れを一年生と一緒にやるんだね」

「はい。他学年との絆を深めましょう、ってやつです」

「はあ。どっちが玉を投げる係なの」

「一年生です」

「じゃあ上級生が玉を集めてあげるってことね」

「そうです」

「それで、いつどうやって噛まれるの」

「玉を渡すとき、腕を掴んできていきなり。ガブって」

「結構痛そうだね」

「そうでもないです。歯の跡がちょっとつくぐらいで」

「先生を呼ばなかったの」

「泣かれたりしても嫌だなと思って。やめてって言うと離すけど、またすぐやられます」

「その子に直接理由を聞かなかったの」

「答えてくれないです。というか全然喋らないです」

「あー、お話するのが難しい子もいるよ」

「でも練習が終わったら、ヤー、って言いながら元気に整列してました」

「そっかあ。最初に意地悪してないかな」

「一年生にそんなことしません」

「じゃあ、先生にもちょっとわからないね」

「あー、やっぱり。まあそうですよね」

「本番はいつなの」

「日曜です。玉入れはどうでもいいですけど、その子の親も来るのが」

「好きだから噛むの、って聞いてみたら」

「えっ」

「それでもやっぱり噛むかどうか、また電話して教えてよ」

「はあ」

「金曜の夜は先生が担当だから」

「……わかりました。今日みたいに終了時間ギリギリになってもいいですか。塾の帰りにかけます」

「いいよ。その方が繋がりやすいし」

 オフィスの施錠を済ませてエレベーターに乗り、一階裏口の守衛室でバインダーを受け取る。所定の用紙に社名と部署、氏名、退出時間を書く。オフィスカジュアルではない私を不審に思うのか、きまって視線を感じる。それが嫌でどうしても殴り書きになる。鉄製の扉を開けて空を見上げる。赤いネオンは消費者金融ではなく、パチンコ店だったか。背後から金属同士のぶつかる大きな音がして驚く。裏口のドアダンパーが壊れかかっていることを、私はいつも忘れてしまう。

 池袋東口パルコに向かってまっすぐ進む。このタイミングだと、ロータリーにある二本の横断歩道の二つ目で信号に捕まりそうだ。広場とも言えない中洲のようなエリア内の左側は喫煙所になっていて、誰もが携帯の画面を見ながら煙を吐き出している。ようやく二本目を渡り切り、JRの改札に通じる地下道に下りる。途中ワッフルの甘い香りがして空腹に気がつく。横目で見るとちょうど四人から五人へと、並ぶ人数が増えた。うまい場所にあるテナントだなと思う。しかし私はそんなものを差し入れするようなタイプではない。山手線内回りに乗って新宿で降りる。総武線快速のホームに向かうと、階段を上り切る手前から人が詰まっていた。スーツを着た男二人の肩越しに電光掲示板を覗くと「間での人身事故のため遅」という表示が見えて、かかとを下ろした。これなら池袋で丸の内線に乗った方が早かったかもしれない。

 十五分ほどでやってきた電車に押されるまま乗り込む。身体が宙に浮きそうな六分間。黒髪ミディアムにほぼノーメイクで、白無地のロングTシャツにスキニージーンズ、そして黒いリュックを抱えた私の格好に需要はなさそうだけれど、一応は警戒する。痴漢なんて替え刃を取り外したカッターでカチカチって音をさせれば一発だよ、と言ったのは中学のクラスメートだ。「女性専用車両と男性専用車両の是非」についてディベートをさせられたときのことだった。みんなは笑っていたけれど、あれは本気だったんだろうか。その子の顔と名前を思い出そうとしても、吊り革広告の中で四つん這いになっているグラビアアイドルの顔に邪魔をされて、うまくいかなかった。
 
 四谷駅の改札を抜け、半地下からスロープを上り交差点を渡る。牛丼屋を過ぎると、店外にもスピーカーがついているカフェから、ピアノと管楽器、ビブラートの効いた鉄琴の音がする。徐々に遠ざかる音を背に一つ目の角を右に曲がり、直進して突き当たりの郵便局を裏手に回る。映画研究会の「巣」と私たちが呼んでいる一軒家は、さらに七、八分ほど進んだところにある。

 「巣」は木造の古い建て売り住宅で、元々は映研会長の祖父が所有者だった。しかし名古屋から上京した孫が下宿を始めてほどなく、脳卒中で亡くなってしまったらしい。仕送りはなくていいから売らないでくれって親を説得したんだよ、と会長はまるで自分の功績のように言う。とはいえ家賃がタダだとしても、まるでバイトをしている様子がないのはあやしい。棚を埋め尽くし、じわじわと確実に増殖している大量のレンタル落ちビデオやDVD、書籍の数々をどうやって手に入れているのか説明がつかない。おそらくいまだに仕送りはもらっているのだ。そう思いながらも、もはや実質的にはサークルの部室となっているこの家の主の顔を立て、私たち後輩は何も言わないでいる。
 
 学生会館にある本来の部室は、そこをラブホテル代わりにした三つ上の先輩カップルのせいでほとんど使われなくなっている。大学からの処分を受けて単独部室の使用権を失い、学内ラジオを制作しているサークルとの共同利用に格下げされてしまったのだ。どちらも音を出して編集作業をするので、絶望的に相性が悪い。今では古い機材を保管しておくためのただの倉庫になっている。ベータ方式のビデオデッキやランプが切れたままのプロジェクタ、リニア編集のためのコントローラ……。今年の梅雨頃、一年生男子のうちの一人が、そこに転がっていたカビ臭い8ミリカメラで短編を作ろうとした。一応撮り終えたんですけど現像代が高すぎて、カメラ、フイルムともども文字通りのお蔵入りっすね、とそいつは私に言った。いい画が撮れなかった言い訳じゃないの、と私は質した。そもそも実際には撮影さえしていないのではないかと内心疑いながら。夏休み以降そいつの顔を見なくなったのは、大学近くにイベントスペース兼カフェを作るのだ、とのたまう怪しい男とつるみ始めたのが理由らしい。なんでも、暇を持て余している大手学習塾の元社長から一千万円も引っ張ってきたとか。これも会長から聞いた話で、本当かどうかはわからない。ともあれ、顔すら知らない先輩の「不適切行為」が後輩にまで影響を与えているのは馬鹿らしい。でも結果的には良かったのかもしれない。監視された学生会館よりも、私はこっちの方がいい。「巣」はもう目の前だった。

 玄関は引き戸になっていて、いつも鍵はかかっていない。常に誰か居座っているからだ。戸を締めて靴を脱ぐ。きちんと揃えることを知らない映画オタクたちのスニーカーは野暮ったく、そして汚い。むしろ綺麗であってはならないと主張しているかのようだ。自分の靴を揃えて立ち上がり、洗面所に足を向けると、トイレから水の流れる音がした。誰もがガサツに開け閉めする薄っぺらい木製ドアを、静かに出入りする人間は一人だけだ。革靴が一足混ざっていたのはそういうことだったのか。真部さんだ。

「遅いな。あ、黒ペンか」

「ギリギリに質問の電話が鳴ったんですよ。あれ残業代出ないの、違法ですよね」

「あるある。早く帰りたいときに限って鳴る」

「バイトに戸締まりさせるのもセキュリティ甘すぎ」

「そのゆるさがいいのよ。あんな楽で時給いいバイトないしさ」

「あの古臭い教材のカタマリを何十万で押し売りしてる会社、キツくないですか」

「紹介しておいてもらって文句言うな」

「だまされて買っちゃってる親もキツい」

「教育業界の闇だよ。だから黒ペンって俺は呼んでる」

「えっ、単にパクりだからそう呼んでるんだと思ってました」

「そういう意味でもある」

「……というか真部さんなんでまたいるんですか、広告マンが」

「借りてたカメラ返しにきただけ」

「へえ。にしても金曜の夜に接待とかないんですね」

「あるよ。苦手だから逃げ回ってるけど」

「そんな人がよく採用されましたね」

「俺、一応役者もできるから」

「はあ。絶対同期に嫌われてるでしょ」

「するどい」

「なんでもいいですけど、編集には絶対に口出さないでください」

「わかってるって」

「あと、何か甘いものないですか」

 この三連休は泊まり込みで編集作業を進める。学内の映画祭に出品する予定の自主製作映画で、夏休み中に撮影したものだ。締め切りは十月末。私は二年生で助監をやっている。

 舞(まい)という名前はインテリアデザイナーの父親がつけました。踊りの舞いではなくて、舞台の舞(ぶ)が由来だそうです。「そもそも舞台は踊りのステージって意味なんだから同じことでしょ」と私が言うと、かつて役者を志していた父は「確かに」と笑いました。

 父子家庭です。母は私が幼稚園に入っていた頃に乳がんで亡くなりました。さびしくはなかったです。自宅兼事務所でしたから。ファザコンだと思います。中学は美術部の幽霊部員でした。読書が好きな地味でおとなしい生徒に、教師からは見えていたと思います。私が高校に入ると、父は大きな商業施設の内装を任されたらしく、夜遅くなっても帰らないことが多くなりました。「やりたいことをやればいい」と父は言い、それで演劇部に入りました。でも、部長が台本を書いたという演目がうすら寒くてすぐに辞めました。『春がボクらを照らす色』……タイトルだけで背中が痒くなりました。「一年生はラストシーンで撒く花びらを作ってね」卒倒しそうでした。

 帰宅部になり、父の知り合いが所属する社会人中心の小劇団に顔を出すようになりました。基礎練習を覚えて稽古に混じり、台本を読み込んで仕事や急病で来られなくなったメンバーの代役を何度か務めました。しかし厳しくダメ出しをされて、役者は諦めました。「頭で考えるんじゃなくてまずは体当たりでしょ」「見た目はそんなに悪くないのに華がないね」「照れを捨てて笑えないようだと結局シリアスな演技もできないでしょ」「だからAVの小芝居みたいになってるってば」……等々。でも、歯に衣着せぬ物言いをする一風変わった大人たちのことは好きでした。彼らも、その頃は私を可愛がっていたと思います。衣装や美術、メイクを手伝い、裏方の面白さを覚えました。照明のアイデアを出して少し褒められもしました。今思えば、平日でも作業を進められる高校生がいいように使われていただけかもしれません。だけど私はいつか演出をやりたいと思っていました。

 のめり込むうちに、高校の授業はサボりがちになりました。父親は長期出張で海外にいました。生活費は振り込んでもらっていましたが、プロの芝居を観て勉強するには到底不足していたので、十八歳になるとファミレスでバイトを始めました。通信制の高校だと偽り、時々日勤でも働きました。当然の結果として定期テストでは赤点が増えました。学校側にはバイトのことも感づかれていたと思います。特進クラスにいたため、私一人のために補講や追試はできないと言われ、自主退学になりました。でも、むしろ清々しい気持ちでした。

 自由になった私はカンパニー──私たちは劇団をそう呼んでいました──その広報担当を買って出ました。夏のあいだ汗だくになりながら、都内のありとあらゆる小劇場にチラシやリーフレット、ポスターを配って回りました。どの支配人も私に優しくしてくれました。あの手の人たちは、不良少女にめっぽう弱いのです。そのうち一人の紹介で、中野富士見町にあるスタンディングバーで働くようになりました。カラオケこそありませんでしたが、実質は若い人たちも来るスナックのような雰囲気でした。若手のお笑い芸人もよく訪れていました。年齢を偽って客の何人かと性的関係を持ちました。中には既婚者もいました。避妊はしていましたが、一人のクズのせいでモーニングアフター・ピルをもらいに婦人科に走ったことがあります。演出家になるための芸の肥やしとしか思っていなかった私は、彼以上にクズだったのかもしれませんが。

 カンパニーの公式ホームページやブログの更新も、多忙な年上の団員に代わって私が担当するようになりました。当時、同じような規模の劇団でインターネット上の広報がまともに機能しているところは多くありませんでした。最初のうちは頻繁に記事が更新されても、しばらくすると放置されるのが常なのです。私は熱心に役者のプロフィールや稽古の進捗、裏方の苦労話を紹介する記事を書きました。ブログに対してのコメントや観劇レビュー、匿名掲示板での書き込みを自作自演したこともあります。足がつかないように複数のネットカフェを使っていました。それなりに効果もあって、その秋の公演は過去最高の動員数を記録しました。つけ上がった私はリピート上演の会場手配含め、渉外活動を一手に引き受けました。ところが、冬を前にしてあっさりカンパニーは解散してしまいました。主役を演っていた女優にお子さんができたのです。社会人中心の小さな演劇集団を空中分解させるには、それだけで十分でした。私はその夏作ったコネクションを使って代役を立てようとしましたが、手遅れでした。家業を継ぐ、親を介護する、正社員になる。おそらく嘘も含まれていたと思います。中途半端な理由だと私に引き留められますし、泣かれでもしたら面倒だと思ったのでしょう。

 「舞ちゃんのおかげでいい思い出になった」座長の一言がぎゅっと胃を締め付けました。「最後に集合写真を撮ろうよ」という言葉が胸をえぐりました。そんなことのために、私は頑張っていたのです。アルバイトは遅刻欠勤が続いてクビになりました。そもそも、続ける理由がもうありませんでした。私は家に引きこもって酒を飲み続けました。夜のバイトで客に奢ってもらっても、美味しいと思ったことなんてなかったのに。もう気にする必要のなくなったはずのことが頭の中に居座っていました。増刷予定だったポスターの発注期限、導入しようと思っていたプレイガイド経由でのチケット販売、取得しようと思っていたホームページの独自ドメイン、暗転中に舞台装置を入れ替えるための効率的な手順。自分の意志で追い出すことはできませんでした。眠れなくなりました。というより、それ以前からほとんど眠っていないことに気がつきました。

 半年ほど入院した病院で、私はそんな経緯を話した。退院すると父に諭されて予備校に通い、高卒認定試験を受け、演劇が盛んな大学の夜間学部に入った。演劇サークルの新歓公演をあれこれと回ったけれど、私がいたカンパニーの舞台と比べるとどうしても見劣りがした。戦争や性愛など、演目のテーマがハードであればあるほど稽古が足りないと感じた。舞台装置の汚しが甘い。サンドペーパーでおざなりに傷をつけたのが丸わかりで、ストーリーを陳腐に見せていた。中途半端にやるくらいなら、いっそのこと演技だけで表現すればいいのに。新入生相手で金を取っていないからこうなるのだろうか。これなら全国大会に出たいという一心で青臭いセリフを叫んでいる高校演劇の方がよっぽどいい。

 浮かれた新入生たち──もっとも私自身も新入生だったけれど──その騒がしい群れは大通りに沿って駅へと向かう。私は彼らを避けるため、多少大回りになっても都電荒川線に揺られて帰った。停留場のベンチに座って線路の枕木と砂利を見るようにしていても、近くの川沿いで咲き誇っている桜の色が視界の端に入り込んでくる。高校一年の春に花びらを作っておけばよかったんだろうか。

 葉桜に変わった頃、大学の講堂裏で学内一の伝統を謳う演劇サークルの公演を観た。フィジカル面の鍛錬をしっかり積んでいるのはよくわかった。しかし私にはチアリーディングのように感じられた。「頭の後ろから、もう一人の自分が自分を見ていないとダメなんだよ」というカンパニーの座長の言葉が思い出されて、途中で会場を後にした。ブルーシートで作られた劇場テントの外に出ると、コンクリートの壁に沿って積み上げられた木の箱から湿った臭いがした。同じボロボロの箱馬でも、空調の入ったレッスン場とはまるで違う香りがする。パイプ椅子に座っていたせいで腰や坐骨が痛かった。授業が始まるまでは大学図書館のソファで昼寝をしよう。軽く柔軟運動をしてからキャンパスに向かった。途中、反対側の歩道に面した定食屋の店先に行列が出来ていた。ラケットケースを背負った男女グループ、その後ろで黙ったまま列が進むのを待つ学生服を着た男……高校生なのか大学の応援部員なのか、背中からはわからない。横顔をちらっと見てから視線を前方に戻すと、一枚の紙に行く手を阻まれた。新入生だと見るや無遠慮に押し付けられる、それらビラの類には心底うんざりしていたけれど、拒否のジェスチャーすらこのときは面倒になっていた。B5のコピー用紙には文字だけが印刷されていた。『学生会館地下二階C室 本日十三時上映 映研』それは真部さんが撮った作品の上映会だった。プロのミュージシャンを目指す親友、夏目拓(たく)を追った作りかけのドキュメンタリー。

’06.10.14

「六年のゆきです。こんばんは」

「ゆきくん、こんばんは。待ってたよ」

「はい」

「で、どうでしたか」

「よくわかりませんでした」

「好きなのかどうか、聞かなかったの」

「聞きました。でも、やっぱり答えてくれませんでした」

「そうかー。玉入れの本番は、結局噛まれたの」

「いえ、噛まれませんでした」

「なんだ。じゃあ当たりってことだよ」

「でもたくさんの人が見てたから。そのせいかも」

「ふーん。なるほどね」

「まあ、でも噛まれなかったので良かったです。ありがとうございました」

「どういたしまして。あ、ちょっと待って」

「なんですか」

「この電話、一応さ、質問係だから何か聞いてくれないかな」

「え、特にありません」

「どんな質問だったか、記録をつけないとまずいんだよね。なんでもいいから」

「はあ。じゃあ一個、言いづらいんですけど」

「どうぞ。なんでしょう」

「泥棒しても怒られないのはどうしてですか」

「えっ」

「あの、一緒に住んでるおじいちゃんは結構若くって、まだ仕事をしています。会社から帰ってくると財布から小銭を出して、枕元にあるお菓子の空き箱に入れるんですね」

「へえ。小銭は持ち歩きたくないって人、いるよね」

「で、そこから時々五百円玉を盗んで、漫画とか釣りのルアーを買いました」

「あーあ」

「怒られても後から謝ればいいや、と思ってました。それから何度もやったので絶対わかっているはずなのに、怒られないんですよね」

「それは早く返して謝った方がいいよ」

「はい。僕も怖くなって、盗むのをやめてお小遣いを貯めてから返そうとしました。でもおじいちゃんは、要らない、何のことだかわからないって」

「謝らせてくれないんだ」

「そうだと思います」

「この質問も先生にはちょっと難しいな」

「あーほら。だから特にありません、って」

「まあとにかく、ゆきくんがお金を盗んだ、ってことはわかりました」

「はい」

「代わりに先生が認めます。それでどうでしょうか」

「はい。もうしません。ごめんなさい」

「私に謝ったってだめでしょ」

「えー、そうですけど。どっちなんですか」

「盗んでしまったことを認めはします」

「はあ。ありがとうございます。よくわからないですけど」

「でもやっぱりこれ、質問記録には書けないね」

「うーん。じゃあ人類が最初に家畜にした動物はなんですか」

「あ、いい質問だね。えーと、犬じゃないかな。エジプトのピラミッド? の壁画にも犬が描いてあるでしょ。あれってものすごく昔だよね。……でも自信ないからちょっと調べてもいいかな」

「半分正解で、半分外れです。最初に人間と一緒に暮らした動物は犬で正解です。だけど、犬は人間が飼い出したのではなくて、犬の方から近づいてきたんです。だから家畜とは別だ、という人もいます」

「へー、何のために近づいてきたの」

「残飯をあさるためとか……色々説があります」

「そうなのか、すごいね。先生が答えたことにさせてもらっていいかな」

「はい。ちなみに犬を除くと、山羊か羊らしいです」

「そうなんだ。どうもありがとう。じゃあ、また電話してね」

 ビル風を受けながら携帯でライブの情報を確認していると、背後から例のドアが閉まる音が響いてまた驚く。私は何度同じことを繰り返すのか、と半ば呆れながら携帯をジーンズのポケットにしまう。山手線に乗って新宿で降りる。押し寄せる人込みをかき分けながら東口アルタ前広場に出る。再度携帯で場所を調べていると、街頭募金を集める男女の声が交互に聴こえた。西武新宿駅に向かい、車道を挟んだ左側に茶色い駅ビルを見ながら直進する。車道は一方通行になっていて、私とすれ違う車の大半はタクシーだった。褐色の肌をした外国人女性が、横断歩道のない場所でこちら側に渡ってくる。車に轢かれないように彼女はストップ・サインをしていた。渡る方向から考えて普通は左手を使うところを、右手を向けていたのは宗教上の理由かもしれない。

 路地を曲がってすぐのラーメン屋の向かいで、看板を確かめる。薄汚れた雑居ビルのエレベーターに乗り五階に昇る。ドアが開くとタバコの臭いが鼻をついた。ポスター、ステッカー、フライヤー、バックステージパス、ポスター、その上に重なってまたステッカー、チェキで撮られた記念写真、フライヤー。一枚一枚の販促物はバンドの個性をそれぞれアピールしようとしているけれど、年季の入ったライブハウスの壁は結局どこも同じに見える。混沌としているように見えて、私でも名前を知っているようなバンドのステッカーはそれとなく残されているのが痛々しい。財布を出すためにリュックを下ろそうとしたけれど、思い直して携帯で時間を見る。夏目さんの出番までにはまだ少し余裕があった。

 男女共用のトイレに入ると、便器の蓋にはまたベタベタとステッカーだ。手をかけたドアノブには「使用不可」と書かれたガムテープが貼ってある。プッシュボタン方式の鍵が壊れているらしい。その代わりにスライド式のロックが付け足されている。応急処置としてホームセンターで買ってきたものが、結局そのまま使われているのだろう。そしてまた四方の壁にはポスターやフライヤー。中にはちゃんとしたコート紙で印刷されているものもある。ある程度売れているバンドなのかもしれないけれど、ライブの日付は過去のものとなっている。〝ADV、DOOR、/w、ex.〟といった内輪(うちわ)っぽい略語の数々。本当にどこのライブハウスも同じだ。きっと受付には、金髪のボブヘアでキャップを深く被った女の子がオーバーサイズ気味のパーカーを着て無愛想に座っているに違いない。手を洗って受付に向かうと、実際の店員は金髪に緑のメッシュが入っていて、パーカーではなくスカジャンを着ていた。財布から五千円札を出してお釣りをもらう。「そのチラシ、要らないです」と彼女に伝えてドリンクチケットだけを受け取り、エントランスとフロアを隔てているドアへ向かう。遮音のためにガッチリとロックされたハンドルは重く、左利きの私は苦労した。鼓膜を痛めそうなほどの大音量に思わず眉をひそめた。

 ギターロック、もしくはギターポップというジャンルだと思う。男女ツインボーカルの五人組で、ステージ前にはバンドと同じ人数の男女五名が、横一列に並んで演奏を聴いている。男女比もバンドと同じだ。逆光で黒いシルエットになった彼らは、リズムに合わせて体を揺らしながら、鳩のように首を前後に動かしたり、膝を曲げたり伸ばしたり、うつむいて頭を振ったりしていた。その人たちを除いてフロアには誰もいなかったので、私は彼らを優しい連中だと思った。この状況下においてステージ前で演奏を聴く潔さが、私にはない。しかも彼らは「ちゃんと聴いていますよ」というポーズまでしているのだから偉い。演奏しているバンドの友達か恋人、あるいはその知り合いなのだろう。もしくは別のバンドを観に来たものの「せっかくなんで前に来てください」と言われてしまったのかもしれない。仮に後者だったとしたら、早めに来なくて正解だったと私は思った。

 カウンターでドリンクチケットを渡してコーラに替える。後ろの方で座っていたかったけれど、物販ブースになっていた。仕方なく、フロアにある丸テーブルの一つにグラスを置く。安い漫画喫茶や、カラオケのドリンクバーに置いてあるのと同じようなプラスチック製だ。私はリュックを片手でぶら下げてステージの照明器具を眺めながら、サークルの補助金で電球をいくつ買えるか計算していた。口に含んだコーラの炭酸が弱くてやけに甘ったるかった。

「……でした。名前だけでも覚えて帰ってください。次で最後の曲です」

 ステージ前の五名が知り合いだとして、私だけに向けた言葉なのだろうか。だとしたら聞き逃してごめん、でも聞いていたとしてもすぐに忘れてしまうだろうな、と私は思った。

 あまりの手持ち無沙汰にグラスがほとんど空になるくらいの、長くて退屈な曲が終わった。ひとしきり拍手をしてステージ前から散っていく五人は、ホームルームが終わった直後の中学生のようだった。炭酸の抜けきった最後の一口を飲み干すと、後ろから三脚を伸ばす小気味いい音が聴こえて真部さんだと気づいた。「手伝います」と私は声をかけた。

 「じゃあこっちのカメラ、セッティングはするからRECだけ押して。俺は今日も手持ちで撮るから」

 ファインダーのモノクロ画面を覗き込む。画角とピントはしっかりステージに合わせられていた。真部さんは二台のカメラを同期させるために必要な、カチンコ代わりの手拍子を打つ。後藤の顔を初めて見たのも、このファインダー越しだった。けれど、どんな顔をして演奏していたのか、私はまるで覚えていない。

第二回へ続く)


作:森田 七生 もりた ななお
twitter @wallflower7O

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