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連載小説 『引力と重力』 第三回(森田七生)

第一回第二回はこちら



’06.10.28

「おでんわ、ありがとうございます。こどもでんわしつもんがかりです……あれ? もしもし?」

「……はい」

「ゆきくん、ですか?」

「……先生」

「どうしたの」

「本当は僕、ゆきという名前ではありません」

「えっ」

「ゆきなり、って言います」

「そうなんだ」

「幸せに成る、って書いて幸成です」

「うん」

「……先生」

「はい、なんでしょう」

「僕の父と僕の母は二年前に離婚しています。僕は今、僕の母と、僕の祖父と三人で住んでいます。僕の父と新しい奥さんとのあいだには子供がいます」

「……そうなんだね」

「成美という名前だそうです。成るに美しいと書いて成美。どうしてですか」

「それは」

「どうしてですか」

「……お父さんから聞いたの?」

「いえ、夏休み中に父方の祖父のお葬式があって、父方の祖母が僕のことを『ゆきちゃん』じゃなく間違えて『なるちゃん』って呼んで……それで……」

「それでお祖母ちゃんから聞いたんだね」

「どうしてですか」

「先生には答えられないって、わかってて聞いてるんだよね」

「そうですね」

「本当に答えられないよ、それは」

「そうですよね」

「ごめんね」

「気持ち悪いんです」

「うん」

「別にいいんです。僕の父が僕の母を好きじゃなくなって、別の女の人を好きになっても」

「うん」

「別にいいんです。その子と僕の名前が似ていても」

「うん」

「僕の父にとっては二人とも自分の子供だから、っていうことなのかもしれません」

「うん」

「許せないのは僕の父が、僕に黙ってその名前をその子につけたことです」

「うん」

「それから、その子がいつか僕の名前を知ったときに、どんな気持ちになるかってことを考えなかったってことです」

「うん」

「裁判をすれば名前を変えられることも知っています。でもそれじゃ全然解決しないし、そんなこと別にしたくないんです」

「うん」

「僕の名前なんて本当はどうでもいいんです」

「……そうだよね」

「僕は一生、僕の父とはこのことについて話しません。いいですよね」

「それも先生には答えられないよ」

「お願いします」

「無理だよ」

「そうですか」

「……憎しみもいつか役に立つことがあるんじゃないかな」

「わかりました。もういいです」

 私たち映画研究会が夏休みに撮っていたのは、小さな市場(いちば)の最後を追うドキュメンタリーでした。その市場は、私たち学生やサラリーマンが行き交う大通りの脇道を入ってすぐの場所にありました。戦前からの長きに渡って地域住民に愛されていたのですが、次第に活気を失い、東京都から閉鎖を通告されたのです。近くにはチェーンのスーパーやホームセンターがありますし、ドンキホーテもできたので仕方ないですね。すぐそばを毎日歩いている自分たちでさえ、存在を知らなかったくらいですから。都は土地ごと売却するという方針でしたが、建物は残してほしいという町内会の要望があったので、リサイクルセンターに転用される予定です。

 九月末の閉鎖まで、私たちは交代しながらカメラを回しました。製作にあたって五つのルールを自分たちに課していました。一つ目は「ナレーションやスタッフの声を使わないこと、ただしテロップは可」二つ目は「事前に構成表・台本を書かないこと」三つ目は「フィクションを入れないこと」四つ目は「音楽・BGMを使わないこと」そして最後は「時系列を入れ替えずに編集すること」です。真部さんのドキュメンタリーとは真逆のことをしようというアイデアでした。

 市場は四階建て鉄筋コンクリート造の建物の半地下部分にあって、広さは約百二十坪、バスケットコート一面分くらいでしょうか。上の階は公務員住宅になっているということでした。以前は十一店舗あったそうなのですが、私たちが撮影を開始した時点で残っていたのはそのうち半分程度でした。八百屋さん、魚屋さん、肉屋さん、酒屋さん、花屋さんの五つです。撤退してしまった店舗があったスペースには何も置かれておらず、がらんとしていました。その空白が徐々に増えていく様子を捉えることが、私たちの狙いでした。「台本なし」というルール上、誰も口に出してはいませんでしたが。
しかし、私たちの目論見は外れることになります。それまでほとんど誰も興味を示さなかった場所だったのに、閉鎖が決まった途端、噂を嗅ぎつけて色んな学生が集まってきたのです。もちろん私たち映研もその一部でしたが。市場の最後を盛り上げようとする学生の熱意に押され、どのお店も閉鎖の日が来るまで撤退することはありませんでした。

 美大生のグループがやってきて、DIYで店舗を作りました。地域住民から古着やアクセサリーを寄付してもらい、リメイクして販売するというのです。彼らは服を並べるためのディスプレイテーブルやラックを作り始めました。インパクトドライバーや丸ノコの音が鉄筋コンクリートの壁に反響しました。当初、魚屋さんが渋い顔をしていましたが「米屋の精米機はもっとうるさかったし」と花屋さんが言ったので、納得したようでした。美大生たちの試みは悪くないように思えましたが、実用的でないアーティスティックな服ばかり出来上がり、売上は芳しくありませんでした。また、彼らはあまり接客と宣伝が上手とは言えませんでした。揃いも揃って人見知りで、なおかつ声が小さいのです。彼らは、すぐそばで肉屋さんが揚げ物をしていようが、魚屋さんがデッキブラシで床をこすっていようが、話すボリュームを変えません。彼らにインタビューする際はマイキングや録音レベルの調整に苦慮しました。デザイン科の女の子がイラレを駆使してスタイリッシュなビラを作りました。しかし、近所の古書店店主が集まって設置した百円均一の古本販売コーナーに、集客数も売上も完敗していました。古本コーナーのビラはワードを使って作られていて、フォントは創英角ポップ体でした。古本市に集まるおじさん達はもちろん、ツモリチサトみたいなワンピースや、可愛く仕立て直されたベレー帽に興味がありませんでした。

 ボランティアサークルもやってきました。彼らはまずキャンドル・ナイトを企画しました。肉屋さんからもらった廃油をリユースして子供たちと一緒にキャンドルを手作りし、終戦記念日に火を灯そうというのです。八月十日頃までは狙い通り小学生が次々とやってきました。なかなか牧歌的で良い光景でした。夏休みの宿題工作を片付けることができたので、どの親子も満足そうに写真を撮って帰っていきました。問題はその子たちのほとんどがお盆で帰省してしまったことです。ボランティアサークルの人たちは東京大空襲を知る語り部さんまで用意していました。地元の地理を研究している老舗珈琲店のマスターです。彼らは慌てて知り合いをかき集めようとしましたが手遅れでした。せっかくやってきてくれた数少ない親子も、ガラガラの市場を見て気まずそうに帰っていきました。結局、その語りを聞いたのはボランティアサークルの会員数名と市場の店主たち、そして私たち映研の撮影隊だけでした。蛍光灯を消してキャンドルを灯すと、なんだか本当に防空壕の中にいるみたいでした。ボランティアサークルのメンバーがノートパソコンを開き、動画サイトから玉音放送が流れました。最初から最後まで聴いたのは生まれて初めてでした。

 そのサークルはめげませんでした。続けて子供たちのために立案されたのは、絵本の読み聞かせ会とお絵描き会の抱き合わせでした。親子読書会の講師を招いて、青い空がテーマの絵本を読んでもらい、子供たちにチョークを渡して空に浮かぶ雲の絵を描いてもらおう、というコンセプトです。ビラ撒きやブログでの宣伝といった広報活動は一生懸命やっている様子でしたが、実際に参加したのは当日朝のラジオ体操会場で捕まった十名足らずの子供たちと、その弟や妹でした。読み聞かせは滞りなく終わりました。白と水色のチョークを渡された子供たちは、大人が描いたお手本を無視して、市場の入り口スロープに線路や花の絵を描きました。しばらくすると、小学校低学年の男の子が他の色のチョークが意図的に隠されていたことに気づき、抗議を始めました。幼児たちもそれに加勢しました。全てのチョークを手に入れた子供たちは、市場の外壁タイル一枚一枚を、モザイク状に塗り潰す遊びを発明しました。壁はまるでルービック・キューブのようになりました。美大生たちがふらっとやってきて、余ったチョークを拾うとアスファルトの道路に大きく絵を描き始めました。一人は黄色や緑のチョークを使って羽の生えた妖精を、一人はオレンジ色のチョークで魚の絵を描きました。さすがに上手なので子供たちは感嘆の声を上げ、完成するまでの様子をじっと見つめていました。「つぎはピカチュウかいて!」女の子がそう叫ぶと、午後に予定されていたフリーマーケットのお客さんがぞろぞろとやってきて、お絵描きは終了となりました。その日は夕立ちが降りました。
 他には公民館でもできそうな催しが、地域住民たちの手によって五月雨式に開催されました。フェルト教室、ガーデニングの講習、外国人学校の生徒たちとTシャツを作る国際交流会……。

 もちろん私たちはそういったイベントごとばかり追いかけていたのではありません。通常営業している店舗にも密着していました。多少の差こそあれ、撮影を開始した頃はどの店主たちも私たちに好感を持ってくれていたと思います。少なくとも「原則として何の干渉もしない」という私たちのスタンスには理解を示してくれました。これまで散々あがいてきた上での閉鎖です。急にやってきてイベントを立ち上げる他の学生たちを嬉しく思いつつも、どこか虚しさを感じていたのかもしれません。インタビューでもありのままを真摯に話してくれたように思います。スーパーの社員になる予定の魚屋さん、親戚のぶどう農家を手伝うという八百屋さん、もう齢(とし)だからちょうどいいタイミングだと語る肉屋さん、副業で儲けてるから大丈夫だと笑う酒屋さん、自宅を改築して冠婚葬祭に絞って続けようかしらと呟いた花屋さん……。

 しかし、私たちのカメラは徐々に彼らの精神的負担となっていきました。「今日は何もないから」それが彼らの口癖……というより私たちが言わせてしまっていたお決まりのセリフでした。そもそも八月というのは商店にとって閑散期なのです。私たちは日常の機微も含めてカメラに収めようとしていたので、それでも撮影は続けました。一方で私たち映研のメンバーを含め、学生たちも中だるみし始めていました。雀荘から出てきたボランティアサークルの幹事、店番が終わった美大生と一緒に公園で酒盛りをする私の同期、OBの奢りでバッティングセンターに向かった後輩たち……。助監の私もシーン番号を記入するためのスケッチブックを抱えたまま居眠りをしてしまい、監督を務めていた会長に叩き起こされたことがあります。
 
 コップから水が溢れたのは酒屋さんでした。九月に入ったある日、自らカメラを回していた会長に「いい加減にしろ」と掴みかかってきたのです。その後、八百屋さんも加わって口論になりました。会長は「わかりました。止めます」と言いながらも赤いランプが点いたままのカメラを私に託しました。会長は「その怒りがどこから湧いてくるのか教えてもらえますか」と淡々と尋ねました。酒屋さんはビールケースからスーパードライの中瓶を出して振りかざしました。私はカメラ上部のハンドルに指をかけ、ぶら下げるようにして持ちつつあとずさりして画角を調整しました。恐怖を感じたのと同時に、撮らなくてはならないという義務感にも駆られていました。床に叩きつけられた瓶が砕け散って、白い泡がタイルの目地を伝いました。そのとき後ろから肩に手を置かれ、私は心臓が止まりそうになりました。花屋さんでした。「学生さん相手にやめなさいよ」彼女がそう言うと、八百屋さんも冷静になって止めに入り、その場は収まりました。私たちはそれ以来「今日は何もない」と言われた日は原則として撮影しないことにしました。同時並行で編集作業も進めなければならなかったので、ちょうどいいタイミングだったかもしれません。

 最終営業日の夜、クロージングパーティが催されました。ゲストとして夏目さんがソロで弾き語りライブを演りました。私たちが彼を呼んだわけではありません。それではルール違反です。長野から戻った夏目さんは一人でキーボードを抱えてやってきて、宴会幹事の魚屋さんと交渉し、企画が決まりました。私たちは作中に音楽を使うことを禁じていたので、ライブの映像は使えません。市場で行われたイベントの中で、純粋にお客さんとして参加できたのはそれが最初で最後でした。ライブを撮りに来た真部さんが、美大生の店からライトを借りてステージの照明をセッティングし、夏目さんは売れ残りの服を選んで着ました。南国の鳥の刺繍が入った奇抜なシャツでしたが、サイズもピッタリで少し彫りの深い顔とよく似合っていました。ライブには思っていた以上に多くの人々が集まりました。美大生が廃材を使ってベンチを用意してくれていたのですが、足りなくなったのでビールケースの上に合板を敷き、その場をしのぎました。駆けつけてきた人の多くは市場の常連客やその家族でした。ひと夏のイベントを通じてこの市場を知った人の数は、たかが知れていました。九十年近い歴史を考えれば当然のことです。それがあっけなく消えてしまう儚さを映画で表現することが、私たちの使命だと思いました。私は夏目さんを斜め後方から映すカメラのセッティングを手伝い、準備が終わると最後列に座りました。都議会議員が紋切り型の冗長なスピーチをして、一番の古株である肉屋さんが照れくさそうにあいさつの言葉を述べました。そして夏目さんが何も言わずステージに置かれたパイプ椅子に座りました。観客のざわめきがおさまると、真部さんがパン、と手拍子を打ちました。そこから空気が変わりました。

 低音から一気にかけのぼっては高いところからそっと飛び降りてくるピアノのフレーズが繰り返されて、私の胸を打ちました。斜め前方に座っていた小学校中学年くらいのポニーテールの女の子が肉屋さんのコロッケを頬張りながら、体をゆっくり前後に揺らして彼の演奏を聴き入っていました。衣(ころも)がはらはらと彼女の膝の上に落ちました。それさえキラキラと光って見えたのは、私が泣いていたせいです。音響機材は近所に住む軽音サークルのOBから借りてきた粗末なものだったにもかかわらず、市場は彼の歌声を響かせるためのホールとして存在しているようでした。というよりも事実、そうだったのです。夏目さんは空の色をテーマにした曲を歌い、間奏中におどけた顔をして目の前の子供たちを笑わせました。きっとチョークを渡せば、子供たちは思い思いに空の絵を描いたと思います。これはライブが終わってから聞いたことですが、夏目さんに機材を貸した男は嫉妬に駆られて聴いていられなくなり、途中で市場から出て行ったそうです。私が夏目さんと同世代のプロ志望のミュージシャンだったら、同じように出ていったかもしれません。ライブ後の宴会で酒屋さんは「もう全部使ってくれていいから。ありがとう」と私たちに言ってくれました。彼が下戸なのには驚きました。

 店舗の撤収作業は三日間で終わりました。十月三日、それが私たちのクランクアップ日でした。魚屋さんは転職先のスーパーの本社で研修があると言って、濃紺のスーツを着ていました。花屋さんの搬出を手伝う彼の姿は、あたかも葬儀の参列者のようでした。什器を運び出す大きなトラックが出発してしまうと、店主たちはそれぞれ帰途につきました。私たちに手も振らず、握手もせずに、目だけであいさつを済ませて。ラストシーンとして使えるように、あえてそうしてくれたのです。大通りに出た彼らが左右に別れて見えなくなるのを、私と会長は液晶モニタ越しに見守っていました。私はカメラを持った会長の肩を軽く叩いて人差し指を立て、パン・アップするよう促しました。安直過ぎる、という顔をして会長は笑いましたが、使わないなら切ればいいのです。
 
 私たちは学内映画祭の提出期限に追われながら、編集作業を進めました。授業やバイトの合間を縫ってかわるがわる会長の家に通い、週末に映像をチェックする、というルーティンでしたが、十月中に完成させられるかどうかは直前になるまでわかりませんでした。「時系列を入れ替えない」という縛りを設けていたおかげで、取捨選択のみを考えればよかったのですが、撮り貯めていた素材があまりにも膨大だったのです。導入部分における各店主たちのインタビューはそれほど難しくはありませんでした。彼らの伝えたいことを明確に、わかりやすくまとめることだけを心がけました。続いて八月のイベントを中心に、見栄えのする画を選び取っていきました。たとえば年代物のミシンを踏む美大生の脚、キャンドルを作る子供たちの横顔、雨で滲んだチョーク……。次はメッセージ性を含んだシーンです。対照的な二枚のビラ、玉音放送の流れる中で揺れるキャンドル、怒れる子供たち……。それから平凡な日常の描写です。これには時間を食いました。鯖が並んだ発泡スチロールの箱や、吊るされた豚肉を映しているだけなのに、なんとなく意図があるように見えてしまうのです。考えれば当たり前なのですが、無作為にカット位置を決めたつもりでも、編集画面の前でマウスをクリックした人間が持っている潜在意識が反映されてしまうのです。試行錯誤を繰り返した挙げ句、いっそサイコロを振ってクリップを切る秒数を決めようか、といった非現実的な案さえ出ました。ひとまず大雑把に仮の画で埋めておく、という結論に至るまでに週末が一つ潰れてしまいました。それから、先に見せ場の多そうな後半の編集に取り掛かりました。例の酒屋さんが掴みかかってきた場面は、散々検討した上で外しました。どう編集しても彼が演技している……というより私たちが台本を用意したようにしか見えなかったからです。煽るように言い放った会長の言葉をテロップに変えるのも、無理がありました。なにより飛び散った瓶ビールの破片にオートフォーカスでピントが合ってしまったという偶然が、かえって作為的にしか見えませんでした。撤収の日にスーツを着て菊の花を持っていた魚屋さんの姿も、画面に映すと私たちが用意したコスプレに見えて仕方ありませんでした。結局、撮影しているときにはドラマチックに感じられたショットのほとんどは使えませんでした。回り道した結果、保留にしていた前半の日常風景の中から、残すべきだと思えるカットが自然と浮かび上がってきました。その多くは店主たちが口にした「今日は何もない日」に撮っていた光景でした。山盛りの桃が入った籠を抱える八百屋さんの頬、酒屋さんが足でもみ消した煙草、蟻の姿を見つめる子供たちの日に焼けたうなじ、排水口を流れる向日葵の種……。クラッシュアイスの上に並んだ鯖も、フックで吊るされた肉の画も、違和感なく使うことができました。それらをまとめたシークエンスを観れば、私たちがひと夏を過ごしたあの、市場の匂いや温度を感じてもらえるような気がしました。

 私たちをどこまでも悩ませたのは、営業最終日の夜のシーンです。短くあいさつする肉屋さんの顔までは撮っていましたが、夏目さんの演奏中は一台も回さなかったので、ライブ前後の登場人物の表情がうまく繋がらないのです。これは致命的でした。しかし、店主たちの緩んだ表情や常連のお客さんたちが自ら教えてくれた思い出話、衣装で音楽に革命を起こすと大声で言い出した美大生、NPO起ち上げを真剣に考えると語ったボランティアサークルの面々……これらを切り捨てるということは到底考えられませんでした。かといっていまさらルールを変更することはできません。事前に説明会まで開いてコンセプトを被写体に伝えていたからです。フェードインにすれば安っぽいホームビデオのようになりました。細断したカットを畳み掛けるようにして誤魔化したり、逆にスローにしたりモノクロにしたりと散々悪あがきしてみたものの、お手上げでした。みんなで徹夜して正午になるまでモニタを見つめていましたが、煮詰まり切ってその日は一旦解散となりました。連日泊まり込んでいたメンバーは、会長の家を出て銭湯に連れ立って行きました。私は居間の掃出し窓から、彼らの後ろ姿を眺めていました。西日が差し込んでいて、足元にはカビ臭い寝袋が転がっていました。仮眠を取るために障子を閉めると、木と木のぶつかる乾いた音がしました。それで、私は思いついてしまったのです。

 私は真部さんがライブ撮影をする際に持ち出しているロングショット用のカメラからメモリーカードを抜き出して、Macのカードリーダに差し込みました。0930という文字列を探して動画ファイルをダブルクリックしました。もちろん真部さんがカメラを回し始めたのは夏目さんが歌う直前からでした。私は再生位置を細かく動かし、マウスを何度も何度も叩きました。頭に巻いていたタオルを取って涙を押さえる酒屋さんと、その横顔を見て隣で笑う花屋さんの姿を見つけました。それは最後の曲で夏目さんが同じ歌詞を繰り返し叫んでいるところでした。その数秒間を抜き出してからクロップ、つまり拡大して二人のバストショットにしました。そこに演奏が始まる前の喧騒部分の音声を切り抜いて貼り付けました。映研メンバーの話し声もかなり混じっているので、結局は無音にするか薄いノイズ音に差し替えることになると、私は読んでいました。念の為、元ファイルの撮影日時データは細工しておきました。映っている本人たちは私の嘘に気づかないでしょう。

「これで繋いだらどうかな。私がセッティングした真部さんのカメラ。肉屋さんのあいさつの後ね。夏目さんが歌う前だから使っていいでしょ」

 完成した映画は、あっさり学生審査による一次・二次選考を通過して最終候補に残りました。上映会を宣伝するための広告物が刷られ、各関連サークルに配布ノルマが割り当てられました。私は一人で大通りを歩き、定食屋やカフェ、ギャラリー、古本屋を回りました。店主はみなトートバッグからはみ出ているポスターを見るなり事情を察して、そっけなく掲示物コーナーを教えてくれました。キャンドル・ナイトや読み聞かせ会のビラがところどころ残っていたので、剥がして捨てました。ラーメン屋と工務店を通り過ぎた角で右に折れ、市場の跡地に向かいました。半地下に続くエントランスには立ち入り禁止のロープが張られ、覗き込むとシャッターが下りた入口の手前に、赤いコーンが置かれていました。店名が書かれた案内板は撤去され、イベントを告知するために美大生が手作りした掲示板も見当たりませんでした。代わりに区長選挙の看板が立っていて、三人の候補者たちが笑っていました。私は市場を通り過ぎて、緩やかな坂道とその先にある石段を下り、都電の停留場に行き着くとベンチに腰掛けました。一年生の春によく座っていた場所です。遠くの交差点にネパール料理店が見えて、ピューロランドで食べたカレーの色を思い出しました。後藤は夏休みいっぱい長野に滞在して東京のアパートを引き払うと、そのまま大学を休学し村に戻りました。今は村内に一つだけある旅館に住み込みで働いていると、真部さんから聞きました。都電の車内は大塚で混み合い、途中で妊婦さんに席を譲りました。家の近くの停留場に着くと商店街に寄り、電気屋を営んでいる組合長に残りのビラとポスターを渡しました。カンパニーにいた頃から私によくしてくれている人です。私の脚を気にかけてくれたので、もうすっかり大丈夫だと伝えました。街路樹として植えられている姫りんごの葉が風に揺れていました。夏の朝、市場に向かう私の影を映していた隅田川は黒く波打っていました。

 上映会は金曜日の正午からでした。プロの映画監督がゲスト審査員を務めるこの映画祭で大賞を取れば、メジャーなコンペに出すという話になっていました。市場の関係者は仕事でほとんど来られず、唯一、肉屋さんが奥さんを連れて来場しました。美大とボランティアサークルの面々は、バイトを休んだり授業をサボったりしてやってきました。私は会場となっている大学講堂入り口近くの石段に腰かけて頬杖をつきながら、広場で輪になり雑談を始めた彼らを遠巻きに眺めていました。映研のメンバーも加わり、打ち上げの参加人数を把握するために会長が音頭を取っていました。ほとんど全員が元気よく手を挙げ、私の視界の端にはコンビニの看板が見えました。会長が両手を口に添えながら私の名を呼んだので、私は右手で頬杖をついたたまま左の手のひらを見せました。風に触れてはじめて、手汗をかいていたことに気づきました。そしてまた青い看板が目に留まり、講堂の中に吸い込まれていく人々のざわめきが、動悸のせいで聴こえなくなっていきました。舌の先が痺れて喉が渇きました。このときはコーラを飲むつもりでいました。

 候補作は五つあり、私たちの作品はトリでした。最後列に座り、一つ上映が終わって休憩になる度に、私は席を立ってコンビニに向かいました。戻ってきて他サークルの映画を観ると、クオリティの低さに吐き気がしました。次第に動悸は治まりましたが、その代わり脚の傷跡が痛んできました。いつのまにかジーンズの上から爪で引っ掻いていたようです。司会者が四つ目の作品について紹介し終えると、前列に座っていた男女が振り向き、非難するような目で私を見ました。タイトルコールを聞いて笑いをこらえ切れなかったからです。『東京タワーから地獄の光』……私は秘密を隠し通すことを決めました。その青春コメディ映画が終わると、五つのルールについて説明するテロップがスクリーンに映し出されました。そこから記憶がありません。ラストシーンのパン・アップは削除したはずなのにおかしい、と思ったことだけ覚えています。

 ベッドの上にはバターと蜂蜜が混ざった甘い香りが漂っている。私はべとついた唇を紙ナプキンでぬぐい、他人の頭に振り下ろしたところで何の危険もなさそうなプラスチック製のくず入れに放り投げた。隣のベッドとを仕切る白いカーテンに当たって、丸めたナプキンは透明なゴミ袋の中に消えた。

「荷物チェックが厳しいわりに、中は普通なんだな」
 
真部さんは所在なげに椅子の座面の両端を掴みながら言った。持て余した長い足を組んでいた。普通の病室なら私が半身を乗り出せば手の届く場所、つまり真部さんの隣あたりにテレビを載せた床頭台が置かれているはずなのに、この部屋にはない。物が置けるのは、私の目の前にあるコの字型をしたキャスター付ベッドテーブルだけだ。その上に二人で空にしたワッフルの箱が置かれている。

「でもこれ、強化ガラスですよ」
 
そう言いながら私は左手で窓を指して、病院の中庭を見下ろした。手入れが悪く剥げかかった芝生にはピッチャーマウンドのような低い丘と、その脇には枯れた蔓が何本もぶら下がった藤棚があり、古ぼけた木製のベンチが置かれている。人の姿はない。

「十センチしか開かないですしね」と私は続けた。

真部さんは窓を見つめていた。真部さんがいる場所から庭は見えないはずなので、ガラスに映る私たちを見ていたのかもしれない。

「審査員、なんて言ってました?」

そう尋ねると、真部さんは冷たい目をして言った。

「画が軽すぎる。舐めるな。お前ら全員カメラに十キロの重りをつけてから出直してこい」

言い終わると真部さんは表情を緩めた。審査員の物真似だったらしい。私は鼻で息を大きく吸いこみながら天井を見上げた。業務用の四角いエアコンが取り付けられていて、私のベッドを向いている吹出口には、プラスチックのウイングカバーが取り付けられている。目が乾く、と私が苦情を言って取り付けてもらったものだ。

「講堂の中が一瞬でお通夜みたいになってさ。そしたらちょうど救急車のサイレンが聞こえてくるし」

私は吸い込んだ息を口からゆっくり吐き出した。

「私が本当にお通夜にするところだったんですね」

エアコンのフィルターはクリーニングされて埃ひとつ付いていなかった。

「だから笑えないんだって」

そう言いつつも横目で見ると真部さんは実際には笑っていて、椅子を軋ませながら続けた。

「演劇サークルのテントの中で死体発見って」

私は目をつぶって青いシートで作られた天井を思い浮かべた。そして体を向き直して真部さんの目を見ながら尋ねた。

「映画早く完成させないんですか? お金、貯めてるんですよね」

「俺の映画? ……あいつが死んだら作るよ」

「はあ?」

真部さんは大声を出した私をたしなめた。腕を組んで溜息をつき、スーツの内ポケットに手をやると、CDのジャケットサイズくらいに折り畳まれた一枚の紙を取り出して、私に差し出した。

「……怖いんですけど」

中指と親指でつまむようにその紙を受け取り、おそるおそる開いた。

『映画よかったよ。ハッピーエンドで 2006年8月15日 夏目拓』

「……何なんですかこれ」

「俺があいつに前もって書かせた遺書」

「どういうことですか? 夏目さん、死んでないですよね」

真部さんは頷いた。

「もし俺が映画をハッピーエンドで完成させたらあいつは自殺する。だから映画は作れない」

「いや、意味がわからないです」

「もしあいつが先に死んだら映画はハッピーエンドに出来ない。だからあいつも自殺できない」

「やっぱり全然わからないです」

「わからなくていいよ」真部さんはこともなげに言った。

「じゃあいっそバッドエンドで先に作っちゃいましょうよ」

「あいつはいつか売れる、って俺は思ってるから」視線を窓に移して真部さんは言った。

「だとしたらなおさら」

「……要するに、俺たちはそういう関係から降りたの。事故とか病気とか不可抗力で死んだら映画にするよ。だから金は貯めてるし、ライブも撮れるだけ撮ってるけど」

「そんなのずるくないですか」

私は広げた紙を見ながら続けた。

「じゃあ二十七で死ぬって言っていたのは?」

ボールペンで書かれた夏目さんの『よ』の字は、私が書くよりもずっと綺麗で丁寧だった。真部さんは私の質問に答えてくれなかった。

「……まあ、ずるをしたのは私も同じか」やはり何も言ってくれなかった。

「私、いつか真部さんの助監やりたかったんですけど」

「オーバードーズしたやつが言うことか」真部さんは腕を伸ばして返せと催促した。

「それもそうですね」私は夏目さんの遺書を折り畳み、ワッフルの空箱の隣に置いた。

「他人に頼るやつは何やったって結局ダメでしょ」そう言って真部さんは遺書を再び内ポケットにしまった。

「……きついこと言うなあ」

 私はまた殺風景な庭に目をやった。廊下からは塩化ビニールの床を引きずるようなスリッパの音が響いている。そのテンポから考えると、手すりに掴まりながら歩いているのだろう。

「そうだ、退院したら冬休みにみんなで長野行かない? どうせ半年は休学するんだろ」

「私のトラウマですよ、それ」私は窓ガラスを見ながら答えた。

「ほんと厄介だな……あっ、思い出した。最後の黒ペン、半休取って代わってやったから」

「えっ、最後って」私の上半身がテーブルに当たり、ワッフルの箱が落ちそうになった。

「だから声が大きいって」真部さんは私の足元にテーブルをスライドさせてくれた。

「強引な訪問販売のせいで業務停止命令だってよ」

「質問の電話、かかってこなかったですか?」

「そこかよ。ギリギリに一本だけ鳴ったな」

「男の子でしたか」

「そうだね。普通の質問だったけど」

「なんて言ってましたか」

「引力と重力の違いについて」

「どう違うんですか」

 真部さんは怪訝そうな顔をして答えを教えてくれた。私は手持ち無沙汰になって掴んだ真っ白なシーツの皺を見つめながら、私が曲がり切れなかったカーブと、二人の腕には残らなかった歯と爪の痕跡(あと)について考えていた。


(終)


作:森田 七生 もりた ななお
twitter @wallflower7O

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