見出し画像

うさつむりちゃんといっしょ-邂逅(後編)

これは何だ?これはいったい何だというんだ?かたぎは自問自答を繰り返す。生まれながらに慣れ親しんだ怒りと憎悪、それと同じ場所から今同時に発され湧き上がり続けるこの感情は何だ?

「…こんばんは、うさつむりちゃんです…!」
熱に浮かされたか弱い声が、真夜中の古い小さな水車小屋の中に吸い込まれて消えたとき、かたぎは思わず音を立てて立ち上がった。そしてさっきの、蝸牛だとばかり思い込んでいた小さな生き物の、本当の姿を認めた。薄紅が透けて見えるふわふわの おみみ、にまめのような まっくろな ひとみ!ちこちこと うごく おはなは あいらしく、ふくふくとした おてては しろい ゆきのよう。あめにうたれ かわにながされても なお、やわらかさをうしなわなず かがやく けなみ。そしてそれらを おそらくやさしくつつみこみ、まるで さくらがいのようなはかなさを もつ、せんさいな もようの うずまきの から!


「……お前の名に興味などない。」
呻き声にも似た罅割れた低い声を、吐瀉物か臓物の様に喉の奥から引き摺り出す。長らく発していなかったせいで自分でさえも久々に聞いた声。
「でも、おかあさんが、しらないひとには
ごあいさつを ちゃんとしなさいって…」
不審者向けで変質者除けのお決まりの台詞だ、
なのにこいつは自分の名まで名乗りやがった。
余程治安や躾が良いのかそれとも頭が弱いのか?
「ごあいさつは だいじな ことだって…」
こいつは何を言っているんだ?そんなものは身分がなければ出来やしない。挨拶とは即ち何らかの意味に於いて互いに関係しているということなのだ。しかしこの世には自分と関わり合いがあるなどとは死んでも思われたくない奴等しかいない。たかがご挨拶すら、行使するには「存在してもいい」という許しが要るのだ。生まれてから、誰とも挨拶を交わしたことがない。世の中にはそんなことを決してしてはいけない身分の者がいるのだ、そしてこいつはそれを全く分かっていないのだ。

あの日自分を殺すつもりで投げられた石打ち下ろされた棒食べ物に盛られた毒、かつて受けてきた全ての痛みが濁流めいて一気に全身に襲い掛かる、頭痛と眩暈と吐き気がする。こっちに来るな死んでしまえこんな生き物は存在すべきではない、それらの言葉はかたぎを一つの答えに導く。

自分は、この世に生まれるべきではなかった。

生きることには意味がある、生きてさえいればいつか必ずいいことがある。そんな冗句を言う奴等はその強者の理論がこちら側の生命を確実に損ない蝕んでいくことを知らないのだろうか、いやきっと一秒でも早く死んで欲しくてそう言うのだろう。自分だってこんな生き物に生まれたくはなかった、できるなら、正反対に生まれたかった。しかしその片割れが今、現実に目の前に居るのだ。憎しみと怒りに燃え滾るかたぎの眼にも、暗闇に紛れてすら猶、それはあまりにも愛らしかった。忘れそうになる我を引き戻す為に遥か遠くの記憶を辿る、糞の様な過去ばかりが鮮明にしかし重たく去来する。かつての痛みがまた押し寄せて噴き上がり激しい怒りで脳が熱く赤黒く点滅する。


こいつの所為じゃないのか?
こいつがこんな姿に生まれたがために、自分には残りのおこぼれの肉体しか与えられなかったのではないのか?短絡的とはいえ正しい閃きに似た強い確信をかたぎは感じる。熱に喘ぐ小さな小さな兎牛をじっと力一杯首と眼を延ばして見つめる。
こいつの、所為じゃないのか?
自分が今まで苦しめられてきた全ては、このちっぽけな兎牛の責任じゃあないのか?

此処に来るまで恐らく誰にも見られなかった。そして今、誰も見ていない。一捻りで殺せるだろう、全身をすぐ喰えるだろう、出る液体は舐め啜ってしまえばいい。鮮やかなまでに残酷な思念が天啓の如く首を擡げて肉躰を操りかけたその瞬間、またか細い声がした。


「あのね…たすけてくれて、ありがとう……」

助けてなどいやしない!お前に気がついてなんかいなかった!死ぬのを待って喰うつもりだった、いっそ今すぐ殺して喰う気でいた!春の樹木の花弁の如き柔らかな薄い耳!星を授かり輝く漆黒の瞳!すべらかな おてて!あいらしく ささやく こえの、ああ なんという すなおな こころからの ことば!
あたまのなかで ていこうしても
それらはぜんぶ むだでした。
みうごきひとつ とれや しませんでした。
かたぎのこころのなかに、いま はじめて
あたたかくやわらかくまっすぐな なにかが、
やさしく はげしく ながれこみました。
そしてそれは まるで なつのあめのように、
かたぎのからだじゅうから おそろしいほどの
ねんえきを ふきださせました。

画像2

しらない かんじょうが よびおこした、
いままでにないりょうとねんどの たいえき。
とまどう かたぎに、兎牛は熱で潤んだ瞳を向け、ふうふう荒い息を挟みながらも無邪気に話しかける。
「おかあさん…あのね のどが かわいたの…
すりおろした にんじんが たべたいな…」

かたぎは固まった。そもそも自分はお母さんではないがそんなことはどうでもよく、さっきの人参はとっくに食べてしまったのだ。今俺は本当のことを言いたくない、こいつにだけは軽蔑されたくない、いや違う。こいつを、悲しませたくないのだ。かたぎは慌てて闇の中で目に力を入れビームを放ち、その光でわずかに食べ零した人参の残滓を見つけた。急いで拾い上げてコンクリートの床に擦り付ける。そして粘液で自らの角に付着させうさつむりちゃんの ちいさな おくちに はこんでやりました。うさつむりちゃんは おかあさんが たべさせてくれた ときみたいに、おおきく おくちをあけて、ちゅうちゅうと ちいさなおさじごと、にんじんを すいました。
じゃり、じゃり!と、ときどき なにかがまじって おとを たてましたが、みずみずしく やわらかな にんじんが おいしくて、たくさん たくさん たべました。うさつむりちゃんとにんじんのゆめカラー




おかあさんの こえが きこえてきます。
―――いいこね ぜんぶ たべられたのね。
きっとすぐに よくなるわ。
さあ、また ぐっすり おねむりなさい―――






夜明け前、かたぎは水車小屋を立ち去った。

暫くしてから明けた空に遠く響いた銃声を、
うさつむりちゃんは まだ しりません。





うさつむりちゃんといっしょ-邂逅 前編
うさつむりちゃんといっしょ(第一回)


さく・え @kiris_kirimura うさぎとかたつむりのことが好き。 



この記事が参加している募集

スキしてみて

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?