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「廃棄前提」じゃなくても、旅館の食事スタイルは見直しが必要なのではないか?

先日「廃棄前提おじさん」というツイートが話題になりました。事の発端となった元ツイートがこちら。

このツイートから始まる一連の流れがツイッター上で炎上したわけですが、個人的にはこの人の主張は一理あると思いました。こういった主張が取り上げられるようになった現代では、旅館の食事スタイルは見直す必要があるのではないかと思ったのです。

そもそも元のツイートがなぜ炎上したかと言うと、このあたりが原因だと考えられます。

・頑張れば食べ切れる量の食事を「廃棄前提」と言い切ってしまった
・コロナ禍における宿泊業者への配慮の欠如を感じる人が多かった
・宿泊市場の相場からすると高い旅館とは言えない事が判明した
・元ツイとは別の人の「炎上マーケティングでした」という二次炎上で注目が増した
etc.

詳細はこういった記事を見るとよく分かると思います。

「廃棄前提おじさん」が炎上してしまった3つの理由を論考する黒坂岳央(くろさか たけを)です。 ■Twitterアカウントはこちら→@takeokurosaka Twitterで「廃agora-web.jp

これらの原因によって、「旅館の食事はこんなものだ」「料理人の気持ちを考えるべき」といった批判が相次いだようです。(ヤフーニュース調べ。)

ですが、SNSで批判されていることは、今後の改善を考えるとあまり意味がない議論のように思います。「旅館での普通の食事スタイルとはなにか?」「廃棄前提だったのか?」それらを追求したところで、じゃあ旅館としてはどうするべきだったのかということは見えてきません。

批判されることが多い「廃棄前提おじさん」ですが、私はこの方の意見に一理あると思いました。それは「廃棄前提」だろうがなかろうが、旅館の食事スタイルには見直しが必要なように思えたからです。

表現が良くなかった部分はあると思いますが、元のツイートをした人は「食事を食べきれない。廃棄されると思うと心苦しくて旅行全体が楽しめなくなってしまう。」という気持ちを抱いたのだと思います。(*個人的意訳。まちがってたらごめんなさい。)この気持ちに対して私は共感しました。

そもそも私は旅館の食事にとても好意的です。普段は食べない料理がたくさん出てくるのでとても嬉しいです。しかし、嬉しい食事ではありますがプレッシャーも感じます。大抵の旅館では普段の夕飯のおよそ1.5倍ほどの食事が出てくるためです。今は完食できるから良いものの、それは25歳という若さゆえであって5年後には食べきれなってしまうんだろうなと。

旅館の食事は会席料理であり、その形式と献立を守っているために量が多くなっていることはわかっています。それでも、色々な料理を食べて腹八分に収まったら良いなと私は思います。図々しいですがこれが25歳の本音です。

この本音に旅館側が廃棄前提に食事を準備しているのかどうかは関係ありません。顧客が食品ロスを気にするようになったという話なのだと思います。これまで旅館の主な客層はバブルの時代を知っている世代の方々でしたが、これからはミレニアム世代も成人となり、「贅沢の価値観」も全く違う顧客を相手にしなくてはいけません。

自分がミレニアム世代の代表だと言うつもりはありませんが、少なくとも私は食べ物を残すくらいなら少し無理してでも食べようと思いますし、たくさんの料理が出てくることが贅沢だとは思いません。

これまでの旅館の伝統を守るも良し、新しい時代に向けて変わるも良し。今回のSNSの炎上はそんな旅館のあり方を問う、いわば転換点にいることを示唆しているように感じました。

余談:
会席料理と懐石料理って違うんですね。調べていてとても勉強になりました。懐石料理食べてみたい。

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