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なぜ人は自然が好きで自然に癒されるのか?に関する進化的な仮説を提案した論文の日本語解説

本記事は、 以下の論文の日本語解説です。
Fukano & Soga (2024). Greenery hypothesis: an evolutionary explanation for why presence/absence of green affects humans. People and Nature.
 https://besjournals.onlinelibrary.wiley.com/doi/full/10.1002/pan3.10619

自然に対する心理的反応に関する新しい仮説を提案した論文で、実験などで何かを実証したものではありません。また、本研究のように進化心理学的な研究は誤解を生みやすいトピックです。こういった背景から、プレスリリースなどではなく、論文全体を(機械翻訳など使いながら)解説しました。興味がある方は、とても長いですが頑張って読んでみてください。15000字あります。

私たちが提案する仮説は、人間が持つ自然への反応を最もうまく説明していると思っています。しかし、あくまで仮説です。この論文を読んだ世界中の人が、批判的に、この仮説を検証してくれることを願っています。そしてあわよくば、時の試練に耐えて、生き残ってほしいです。

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1. 研究の背景

人類は古くから自然界と密接に関わり、自然界に魅了され、自然界から得られる幅広い恩恵を享受してきました。自然から離れ、都市に定住するようになっても、さまざまな種類の自然の要素を利用しています。例えば、都市の庭園はほとんどの古代文明から存在し、現在でも屋内で植物を育てることは世界的に人気があります。そして、自然との接することの重要性は、今や科学と政策の両方から認識されています。自然との接触がもたらすポジティブな効果(うつ病や不安症状の減少、認知機能や生活満足度の向上など)には膨大なエビデンスがあり、環境心理学、公衆衛生、都市計画、保全生物学など様々な学術分野で広く議論されています。その結果、特に先進国では、政治や行政が、人々のメンタルヘルスを改善するために自然との接触を増やすことを目的とした介入を行っています。

自然との接触が、メンタルヘルスや認知機能の改善を示唆する証拠は数多くあります。一方で、なぜ人間がこのような反応を持っているかに関する進化的説明(究極要因)に関する理解は、かなり限られています。近年、自然に対する人間のこのようなポジティブな心理的反応の至近要因については多くの研究が行われていますが、その進化的起源や究極要因についての研究は非常に少ないです。本稿では、人間の心理的健康が自然との接触によってポジティブに反応する理由について、進化心理学の観点から考察します。心理学の一分野である進化心理学は、人間の心理が自然淘汰の影響を受けて形成されてきたと仮定します。このアプローチは、人間と自然との関係の進化的基盤を調査するために用いられてきました。(例えば、Fukano & Soga, 2023、日本語解説はこちら:https://note.com/fukano_yuya/n/n6606aaed7b62)。

本総説ではまず、E. O. ウィルソンが発表したバイオフィリア(Biophilia)仮説に由来する、広く受け入れられている既存の仮説を要約します。そして、これまでの研究によって炙り出された、既存の仮説では説明できない課題と限界を説明します。そして、新たな進化心理学的仮説である「緑仮説」を提案し、既存の仮説が持つ問題点をいかに克服できるかを議論します。さらに、将来の研究者が、既存の仮説と緑仮説の妥当性を比較検証できるために、いくつかの検証可能な予測を例示します。最後に、緑仮説が正しいとすると、関連分野(精神病理医学、生物多様性保全、動物福祉)にどんな示唆を与えるか、概説します。

私たちの目的は、バイオフィリア仮説そのものの代替案を提案することではありません。E. O. ウィルソンが提案したバイオフィリア仮説の中には、生物恐怖症(バイオフォビア)、自然に対する好奇心、特定の動物に対する畏怖と愛情、見晴らしのいい景色への嗜好性など、様々な別個のトピックが含まれます。これらのトピックは、それぞれ異なる進化的要因や機能を持つ可能性があり、個々の進化心理学的アプローチで研究する必要があります。本論文では、バイオフィリア仮説で議論されているトピックのうち、その中心的な疑問の一つである「なぜヒトは特定の自然を経験するとポジティブな反応を示す心理的メカニズムを持っているのか」に焦点を当て、この疑問を解決するための新たな進化仮説を提案します。

2. バイオフィリア/既存の仮説とは

環境心理学のこれまでの研究では「なぜヒトは特定の自然を経験するとポジティブな反応を示す心理的メカニズムを持っているのか」を説明するため、ウィルソンのバイオフィリア仮説に由来する2つの主要な仮説を元に研究が展開されてきました。バイオフィリア仮説では、進化の結果として、人間には「生命や生命に似たプロセスに注目する生得的な傾向」があり、「情動」と「魅力」というふたつの心理的反応がそれらと結びついていると仮定しています。そして「情動」と「魅力」は、ストレス軽減理論(SRT; Stress Reduction Theory)と注意力回復理論(ART; Attention Restoration Theory)という2つの仮説の基礎となりました。

ストレス軽減理論は、人間が自然から”生物学的に準備された"即時的な情動的利益を得ていると仮定し、ある種の自然との接触が心理的・生理的ストレスを軽減する理由を説明します。ストレス軽減理論によると、ストレス軽減反応は(それ自体に適応的利益があるのではなく)即時的な肯定的情動反応の副産物です。ストレス軽減理論が自然に対する情動反応に注目しているのに対して、注意力回復理論は自然がもたらす認知的な恩恵に焦点を当てます。注意力回復理論は、「指向性注意」という認知資源に注目します。指向性の注意力は、長期的かつ/または集中的に使用すると枯渇する可能性のある限られた認知資源と考えます。そして注意力回復理論では、特定の自然景観からの手がかりが、認知資源の枯渇状態からの回復を促進すると主張します。注意力回復理論によれば、自然はしばしば「ソフトな」魅力的刺激を提供し(オートレース観戦のような「ハードな」魅力とは対照的、注:元論文の例え)、それが指向性注意の疲労からの回復の効果を高めると考えます。このように、注意力回復理論は、魅力的な自然環境に触れることで、枯渇した認知資源を回復させ、限られた資源である認知機能を改善することを提唱しています。

ストレス軽減理論と注意力回復理論は人間の異なる心理的反応に焦点を当てていますが、どちらの仮説も、ポジティブな心理的感情(=ストレス回復理論)や魅力(=注意力回復理論)を呼び起こす自然の景観やその要素には、人間の生存や繁殖に役立つ生息地の手がかりが含まれているという進化的仮定に基づいています。その意味で、両仮説はヒトの「生息地選択」に関する仮説と言えます。つまり、進化適応環境(ヒトが数百万年生活し、進化的影響を長期間受けていた生息環境)では、食料、水、シェルターなどの必須資源に関連する手がかりに対して情動や魅力を感じる心理的反応が、これらの資源の効率的な発見を促進し、生存と繁殖の向上につながるはずであるという仮定です。これが、多くの現代人が自然に対して魅力を感じ、肯定的な感情を抱く理由だ、とも説明します。

ストレス軽減理論と注意力回復理論は、自然に対する人間の心理的反応の一般性とメカニズムに関する研究の多くを推進する重要な理論的基盤となり、公衆衛生、環境心理学、生態系管理、都市計画などの様々な研究分野で膨大な研究を生み出しました(注:両仮説を提案した論文は数万回引用されてます)。しかし、自然に対する心理的反応の記述やその至近要因(生理メカニズムなど)を探求する膨大な研究とは対照的に、この仮説の進化的な前提は驚くほど検証されていません。さらに、両仮説に触発された膨大な研究で蓄積された知見は、これらの仮説が想定する進化的シナリオでは十分に説明できないことがわかってきました(次節参照)。さらに大きな問題点として、ストレス軽減理論と注意力回復理論は、”ネガティブな”メンタルヘルス症状の進化的原因に関する進化精神医学からの最近の重要な理論的洞察を取り入れていません。このような状況から、自然に対する人間の心理的反応の進化的理由ついて、より包括的な説明を提供する新たな仮説が必要だと考えました。

3. ストレス軽減理論と注意力回復理論の問題点

ストレス軽減理論と注意力回復理論の理論的妥当性については、すでにいくつかの論文で批判的な検討がなされています。 ここでは、3つの主要な課題に焦点を当て、両仮説で説明できない点を議論します。

3.1 緑の効果が強すぎる

ストレス軽減理論と注意力回復理論の最も大きな問題点は、自然に対するポジティブな心理的反応(ストレス軽減・認知機能の回復・選好性)が、「緑」の存在に大きく依存していることです。両仮説では、シェルター、食物、水資源に関連する景観要素に対してポジティブに反応することで、これらの資源へのアクセスを容易にするという適応的利益をもたらすと仮定しています。この仮定は、人間が、サバンナのような景観(草地に低木や樹木が混在している)を好むという実験結果によって支持されていると一般には解釈されています(=サバンナ仮説)。しかし、これらの実験の信頼性はしばしば疑問視されており、結果の再現性は限定的です。

さらに、サバンナ的景観への選好性を評価するだけでは、両仮説の進化的仮定を裏付けるには不十分です。確かに、サバンナのような景観は、進化適応環境における豊富な食料資源を持つ安全な場所かもしれません。加えて、洞窟や岩棚も安全や食料消費のための重要なハビタットだったはずです。しかし、両仮説の仮定に反して、洞窟や岩棚の景観への選好性は、森林や草原などの他の自然景観よりも著しく低いことが示されています。 また、そもそも洞窟や岩棚景観に対する心理的反応を調べる努力はほとんどなされていません。さらに、サバンナ景観だけでなく、サバンナとは明らかに異なる景観である「温帯林」に強い効果があることも知られています。温帯林の中で佇んだり散歩したりすることで、ストレスが回復し、心理的・生理的にポジティブな反応が得られることが、数多くの研究で示されています(Shirin-yoku, 注:森林浴として世界的に知れています) 。

これまでの膨大な研究結果は、ヒトは、景観の種類に関係なく、「緑のある景観」に対するポジティブな心理的反応を持っていることを示しています。 例えば、人為的に作られた農業景観、屋内植物、人工芝、仮想現実における自然の眺めに対してですら、私たちはポジティブな心理的反応を示します。これらの知見は、ヒトが安全なシェルターや食料資源に関連する特定の景観要素ではなく、様々な種類の「緑」に対してポジティブな心理的反応を示すことを示唆します。この「緑」の強い効果は、ストレス軽減理論と注意力回復理論では説明できません。

3.2 自然に対する反応にはかなりの個人差がある

2つ目の課題は、バイオフィリア仮説、ストレス軽減理論、注意力回復理論が、自然に対するポジティブな心理的反応の「個人差」をあまり説明できない点です。興味深いことに、自然に対する心理的反応には、個人間、特に居住地域間でかなりのばらつきがあることを示唆する研究がいくつかあります。例えば、Tillmann et al.(2018)は、都市部に居住する子どもの身体的なウェルビーイングは緑地と関連していたが、農村部の子どもにはそのような関連は見られなかったと報告しています。同様に、日本の都市部と農村部の高齢者居住者を比較した研究では、都市部では居住地の樹木の多さがうつ病のリスクと負の相関を示したが、農村部ではこの相関が見られませんでした。 さらに、林業従事者のように自然資源に関連する日常的な活動に従事している人は、自然環境での散歩による心理的恩恵が低い傾向にあります。

都市住民と農村住民の反応の違いは、単に「自然に対する慣れ」として説明できるかもしれません。自然と良く接する農村部の人は、都市部に住む人に比べて自然に慣れているため自然から得られる心理的恩恵が制限される、という説明です。しかし、このような説明は、ストレス軽減理論や注意力回復理論で仮定されている進化のシナリオと矛盾します。もし、自然が多い環境で自然に慣れてしまうならば、進化適応環境(当然、自然だらけです)において自然へのポジティブな心理的反応になんらかの適応的利益があると考えるのは難しいでしょう。

3.3 ネガティブな心理的反応の適応的意義

ストレス軽減理論や注意力回復理論を含む環境心理学全体で、しばしば完全に見落とされているのは、抑うつなど、ネガティブな心理的反応の適応的意義です。ウィルソンがバイオフィリア仮説を提唱したとき、ネガティブな心理反応の適応的役割はあまり注目されていませんでした。しかし、進化精神医学のここ20年の研究で、ネガティブな心理的反応も重要な適応的機能があることがわかっています。例えば、うつ病は、意欲、気分、認知機能を低下させ、行動活動の抑制をもたらすことで、自身にとって不利な社会的状況を回避するという適応機能を持つと考えられています。多くの研究が、自然の欠如はストレスや否定的な気分の増加、認知機能の低下など、否定的な心理的反応を増加させることを示しています。しかしながら、ストレス軽減理論や注意力回復理論は、自然を経験した時のポジティブな反応については進化的なシナリオを説明しようとしますが、自然がないときにネガティブな心理的反応が起こる進化的な理由は説明できません。

ネガティブな気分や抑うつには、不利な社会的状況を避けるという適応的な利点があると考えられています。これと同じように、ネガティブな心理的反応は、生物的・物理的に不利な状況を回避するメカニズムとしても機能しているようです。例えば、冬季うつ病として知られる季節性情動障害(SAD; Seasonal Affective Disorder)は、餌資源に乏しい冬の季節に無駄な活動を減らすことで、適応的利益をもたらしてきたと考えられています。気候だけでなく、日々の気象条件さえも気分や精神的健康に影響を与えることが示唆されていて、これは日々の気象パターンに対応する採餌戦略と関連する可能性があります。人間の心理は周囲の環境条件に応じて柔軟に変化し、これらの反応は活動レベルを調節する適応的機能があることを示唆しています。ネガティブな心理的反応に適応定期意義があるとする知見を踏まえると、自然に対する反応を説明する新たな理論的枠組みの開発が必要だと言えます。新たな枠組みでは、自然を経験した時のポジティブな心理的反応の適応的意義を説明するだけでなく、自然が乏しい環境でのネガティブな心理的反応の適応的意義についても説明できなくてはなりません。

4. 干ばつの手がかりとしての「緑」

人間は、環境からの手がかりを使って、適応的に気分や感情を調節する心理的反応を持っているようです。例えば、季節性情動障害の場合、光周期の変化(昼が短くなる)という情報が、季節的な環境悪化(=冬)の到来を示す手がかりとなっています。この光周期の変化という手がかりは治療にも使われていて、光照射を用いた光療法は、季節性うつ病の治療において顕著な治療効果を上げています。また、大気圧の迅速な変化という環境情報は、悪天候を検知する手がかりとして機能する可能性があります。さらに、朝日という環境情報は日々の気分や活動に及ぼすことも示唆されおり、これは採餌戦略と関連するかもしれません。

これらの研究を踏まえ、私たちは「人間は緑の有無を干ばつの手がかりとして使った心理システムを進化させた」と考えます。干ばつによる長期的な水不足は、人間を含むすべての生物の生存と繁殖に深刻な生態学的影響を与えます。 干ばつが長く続くと、多くの食用となる植物が枯れ、狩猟採集生活を営む人間にとって重要な食料資源である草食動物が死んだり移動分散してしまいます。そのため、極端な干ばつ期と湿潤期は、初期の人類進化における重要な環境要因であったことが示唆されています。実際、深刻な干ばつはヒトの栄養状態を悪化させ時には大量死をもたらすので、人間の身体的・心理的形質に対して強い選択圧として作用したと予想されます。実際、現代において、厳しい干ばつの間、乾燥・半乾燥地域の狩猟採集社会の人々では飢饉や感染症による死亡率が高くなるという報告があります。

進化適応環境で深刻な干ばつに見舞われると、通常の環境と比較して、一定の採餌行動から期待される利益(獲得する餌の量など)は低くなると予想されます。この場合、通常の環境と比較して、干ばつ環境で採餌努力を抑制する心理的・行動的反応は適応的であると考えられます。つまり、過去の自然選択によって、干ばつという極端な劣悪な環境下では(成果の期待できない)採餌行動を抑制することに適応的な利益があるため、干ばつ環境下で行動全体の活性を低下させる抑鬱などを引き起こす心理システムが進化したかもしれない、と考えられます。実際、この考え方を裏付ける実験的証拠があり、重度の飢餓は重度のうつ病を誘発することが示されています。 現代社会においても、いくつかの研究によって、特に農村部では、干ばつが、住民の精神衛生上のリスクを増加させることが示唆されています。抑うつのようなネガティブな心理的反応は、干ばつによる環境悪化時に無駄な活動を抑制することに貢献することで、適応的な役割を果たしていたのかもしれません。

間違いなく、人間にとって深刻な干ばつの最も明白な環境シグナルは、景観からの緑の喪失です。緑の喪失、すなわち植生が枯れることは、食用植物の枯渇を意味するだけでなく、植物を栄養源とする草食動物の減少、そして利用可能な水の減少も意味します。つまり、人間の生存と繁殖にとって極めて不利な環境です。このような状況で生き残るという適応的な利益があったために、人間は、緑の不在を環境悪化の手がかりとして活動を抑制するネガティブな心理的反応を進化させたのかもしれません。周囲の景観全体から緑が失われ環境悪化が広範囲に及んでいる状態では、採餌行動や移動分散など行動活性を高めるよりも、雨季の到来まで活動を最小限に抑えることが適応的であった可能性があります。

さらに、緑に対する心理的反応は、環境悪化(干ばつ)時の行動を抑制するだけでなく、環境回復時の活動を再活性化するためにも機能したかもしれません。一時的な降雨そのものは、活動再開の確実な手がかりではないでしょう。景観全体に十分な降水があり植生が再生し始めたときに初めて、人間は速やかに採食活動を再開すべきです。なぜなら、再生した新芽や萌芽は、人間にとって潜在的な食料とある程度の水を提供してくれるからです。 植生を食べるさまざまな草食動物も活動を再開するでしょう。何千世代にもわたって、干ばつと再生の環境変動を経験してきた人類にとって、緑の有無に対する心理的反応は生存に重要な役割を果たしてきたのかもしれません。 想像してみください。緑がない厳しい環境で飢餓に耐えた後、緑あふれる風景に出会ったときの気持ちを。このとき、気分や認知機能の向上といった素早いポジティブな心理的反応を持つことは、いち早く身体活動を活性化させ素早い採餌行動を可能にする適応的な心理的反応だったでしょう。

5. 緑仮説の提案


以上の議論を踏まえ、私たちは「緑仮説」を提唱します。

緑仮説で想定する適応低意義(上段)と現代での進化的ミスマッチ(下段)

人間は、深刻な干ばつや再生の手がかりとして景観の中の緑の有無を識別し、それに応じた否定的/肯定的な心理的反応を進化させ、自らの(採餌)活動を調節してきたという仮説です。この心理的反応は、長期にわたる深刻な干ばつなど環境悪化を耐え抜き、環境悪化が終わった後の速やかな活動再開を促進するという適応的意義でもって、進化適応環境時代の人類を助けたと考えます(図の上段)。

しかし、緑が限られた現代の都市化した社会では、この心理システムは、抑うつの増加や認知能力の低下など、非適応的なネガティブな心理効果をもたらしている可能性があります(図2下段)。つまり、都市住民における緑の不足による心理的な悪影響の増加は、進化適応環境と現代社会の間に生じた「進化的ミスマッチ」の例なのかも言しれません。

この仮説は、既存の仮説で説明できない問題点を効果的に解決できます。第一に、この仮説は、なぜサバンナ的景観だけでなく様々なタイプの景観の「緑」に対して強いポジティブな心理的反応を持つのかという問題を、非常にうまく説明できます。第二に、この仮説は、都市と農村部の人々の、自然体験から得られる恩恵の地域差をもっともらしく説明できます。 わたしたちの仮説では、長期的に緑が失われている地域に住む人々(=都市住民)こそ、緑の回復効果がより強いと予測します。一方で、緑が日常的に見られる地方に住む人(農村住民)は、緑を経験しても明確なポジティブな効果を経験しないと予想される。第三に、この仮説は、自然がない環境で抑うつが増加するなどのネガティブな心理的反応と、自然に対するポジティブな心理的反応の両方を、同じ進化的シナリオで一挙に説明できます。長期にわたる緑の喪失は、抑うつや認知機能の低下など、活動を低下させる一連のネガティブな心理反応を適応シンドロームとして引き起こすと予想されます。最後に、緑仮説は既存の仮説と比較して、自然に対する心理的反応を説明する際の進化的な仮定が少なくて済みます。この仮説は、これまで別々の進化仮説(ストレス軽減理論と注意力回復理論)として扱われていた情動的反応と認知的反応の両方を同時に説明します。またストレス軽減理論が自然によるストレス軽減効果をポジティブな情動反応の副産物として捉えるのに対し、緑仮説は、ストレス軽減、ポジティブな気分、自然への選好性など、あらゆる形のポジティブな心理的反応が、活動を再活性化する上で重要な適応的意義を持つと仮定しています。

6. 緑の仮説からの予測


緑仮説は、自然に対する人間の反応の適応的意義に焦点を当てており、刺激(入力)や心理的反応(出力)の種類を限定していません。景観内のあらゆる緑の量が刺激として働き、行動の抑制・再活性に関与するあらゆる心理的反応(認知能力の向上を含む)が出力として働くと仮定します。緑仮説からは、自然と心理的反応の関係について明確な予測が立てられます。この節では、緑仮説と既存の仮説(ストレス軽減理論と注意力回復理論)の妥当性を比較しやすくするためにを、緑仮説と既存の仮説で予測が異なる例を提示します(論文中のTable1に7つの仮説を例示しています)。例えば、緑仮説では、景観内の「緑の量」が、景観の「種類」よりも人々の心理的反応(選好性など)に一貫した大きな影響を及ぼすと予測されます。一方で既存の仮説では、景観の「種類」が「緑の量」よりも大きな影響を及ぼし、サバンナのような景観が最も好まれると予測されます。

緑仮説と既存の仮説で対照的な予測。緑仮説(右上)では、景観の種類によらず、緑があることでその景観への選好性が強まる。既存の仮説(右下)では、緑の有無よりも、サバンナ的な環境が好まれる。

重要な点として、私たちの仮説の想定は、自然に対する反応は固定的(=全ての人が常に同じような反応をする)なものではないことが挙げられます。つまり、自然に対する心理的反応は、居住地の環境や普段から自然と接しているかどうかといった社会生態学的要因に左右される可塑的なものであると予想しています。

ただし、ウィルソンのバイオフィリア仮説の中で広範なトピックが議論されているように、人間の精神的健康や幸福に影響を与える自然の特徴は、景観の種類や緑の量だけではないでしょう。例えば、おそらく別の心理的適応(潜在的な捕食者や敵対的な同属動物の回避)として、眺望の開放性など特定の構造的景観特徴を好むことを示す研究もあります。今後の研究では、異なる心理的反応(緑の量に対する選好、景観の種類に対する選考、景観の構造的特徴に対する選好・・・など)が、特に都市生活者の精神的健康とウェルビーイングに与える相対的な影響を解明する必要があります。

緑仮説はまた、自然に対する心理的反応の「地理的変異」に関する予測も提示します。例えば、砂漠や雪と氷に覆われた北極圏のような、緑が非常に少ない地域に長い間住んできた人々は、緑に対して独特の反応を示す可能性があります。進化適応環境で何百万年もかけて獲得された緑に対する反応が、現代の人類集団に普遍的に残っているとすれば、砂漠や北極圏のような地域に住んでいる人々は、慢性的な緑の欠乏を経験しているかもしれない。そのような場合、緑がある地域に住む人に比べて、砂漠や北極圏に住む人々の方が、緑を経験した時のポジティブな心理的反応が強いと予想される。この考え方は、緑の少ない都市住民と緑の多い農村住民の対照的な予測の、より極端なケースと言えます。

別の可能性として、極端に緑が少ない生息地に住む人々は、その地域の環境に局所適応した結果、緑に対する心理的反応に遺伝的変化が生じているかもしれません。人間集団では、気候、紫外線曝露、病気、食事、標高、文化的慣習など、さまざまな環境要因に対して急速に局所適応している例が報告されています。 こうした局所的な適応の結果、人間の集団間で多くの形態学的、生理学的、疾病リスクの違いが生じています。 砂漠や北極圏など常に極端に緑が少ない地域では、緑がないことが環境悪化の手がかりにはならないでしょう。そのような環境では、緑の量の変化に対して心理的反応を示さない人々が自然淘汰で有利になり、緑の喪失/回復に対するポジティブ/ネガティブな心理的反応が適応的に失われている可能性があります。もしこのような局所適応が起こっているならば、そのような地域の人々は、他の地域の人々よりも、緑を経験することに対してポジティブな心理的反応を示さないと予想されます。この2つの排他的な予測(緑の欠如による慢性的ストレス vs. 緑のない環境への局所的適応)は、極端に緑の少ない環境で生活してきた人々を対象とした標準的な心理学的・生理学的実験によって検証することができるはずです。緑に対する心理的反応において局所適応が起こったかどうかを探ることは、今後の研究の興味深いテーマかもしれません。

緑仮説では主に、自然に対するポジティブな心理的反応の説明における「緑」の役割に焦点を当てていますが、湖や川などの「水辺(blue space)」を持つ景観とも関連する可能性があります。 歴史を通じて、人類は水の供給、貿易、航海の目的で河岸沿いに定住してきました。 緑仮説は、長期的な干ばつがヒトの心理システムにとって重要な進化的圧力として機能したと仮定しています。この仮定においては、湖や川などの目に見える水資源は、飲料水の供給源としてまた食用植物や草食動物の手がかりとして、極めて重要だと考えられます。したがって、緑と同様に、水辺に対する迅速で肯定的な心理的反応は、身体活動を活性化させる適応的な機能を持つ可能性があると予測できます。

7. 他の研究分野への示唆

7.1. 臨床心理学への示唆

緑に対する心理的反応を単にストレスや癒しという観点だけからでなく、進化的適応として研究することで、進化精神医学で研究されている他の心理的健康のトピックとの関連が明らかになるかもしれません。例えば、冬季うつと緑仮説は関連しているかもしれません。冬季うつは、高緯度に住む人々に大きな心理的健康リスクであり、カナダでは人口の15%が英国では20%が冬期うつを経験するという報告があります。日照の低下がは冬期うつや季節的情動障害を誘発する重要な環境的手がかりであり、減少した日照を人工光に置き換える治療アプローチは効果があるようです。同様に、緑の有無は冬期うつと関連する環境手がかりとして機能しているかもしれません。冬になると、草本植物はしばしば枯れ、落葉樹は葉を落とし、高緯度の地域では針葉樹のような常緑樹も雪に覆われます。その結果、冬の間、日照時間の減少だけでなく、緑の減少も経験することになります。緑に対する心理的反応が冬期うつや季節的情動障害と関連しているとすれば、人工的な光への曝露がこれらを緩和するのと同様に、冬の間に人工的な緑を体験することも冬季うつを緩和する可能性があります。

進化精神医学では、抑うつ状態を主に人間同士のネガティブな社会的関係に関わる適応的な心理反応とみなしています。社会的関係の変化から生じるうつ病は、生物・物理的環境から生じるうつ病と相互作用する可能性がある。例えば、社会的関係が制限されると季節性情動障害が発症しやすくなります。同様に、緑がほとんど失われた都市環境では、ネガティブな社会的関係によるうつ病が発症しやすいかもしれません。逆に、社会的条件の悪い人ほど、緑がもたらすポジティブな心理的効果が顕著になる可能性があります。実際、緑を経験することによるポジティブな効果は、教育水準が低く社会経済的に恵まれない人ほど強いことが示されています。このように、緑を経験することは、社会的な人間関係に起因するうつ病患者を含む、幅広い人々にプラスの効果をもたらす可能性があります。

7.2 保全生物学と都市計画への示唆

緑仮説は、地球規模で自然環境の喪失と劣化が進行している現状が、人間全体の精神健康とウェルビーイングに大きな影響を与えることを示唆しています。なぜなら、環境の劣化は通常、景観内の緑の要素を減少させるからです。同時に、特に都市部において自然環境を回復させることは、現代社会に蔓延する多くの心理的健康に対処する上で重要な役割を果たす可能性があることも示唆しています。私たちの提示した仮説が妥当であれば、生態系の劣化を遅らせ逆転させることを目指す取り組み(ネイチャーポジティブ)の強力な理論的基盤となり得ます。つまり、私たちの心理的健康や認知機能が景観の緑に影響されるように進化してきたのならば、環境の保護と再生は、人類の健康と幸福の保護と再生につながる可能性があります。

しかし同時に、この仮説は、生物多様性保全の危険性も示します。緑仮説によれば、景観に対する美的な選好性は、植生の種類や生物多様性のレベルにかかわらず、緑の量に大きく影響されると予想されます。特に緑の少ない都市部に住む人々は、緑の多い環境を魅力的と感じる傾向が強いかもしれません。例えば、生い茂った湿地・沼地・干潟など、緑が少なく構造的に複雑で生物多様性が高い自然環境よりも、緑が豊富で生物多様性が低く見晴らしの良い人工的な環境の方が魅力的だと感じる傾向があるかもしれません。この傾向の明確な例が、公共の公園や民家の周囲に単一種の芝生を作る文化的伝統です。 例えば、アメリカでは、芝生だけで1,600万ヘクタールの広大な面積を占めます(注:日本の総面積が約3800万ヘクタール)。「緑」を好む人間の心理的傾向は、魅力的でないけれども希少なハビタット(湿地・沼地・干潟・砂漠など)の保全を困難にしている理由かもしれません。

つまり、生物多様性保全は、自然の美しさや人気/評判だけで保全対象を決めるのでなく、生物多様性の価値や意義に関する妥当な情報でも判断することが重要です。また、緑に「飢えている」都市住民だけでなく、農村の人々も生物多様性保全や国土計画の意思決定プロセスに参加する必要があります。また、我々自身の緑に対する心理的な親和性を自覚することも重要です(注:特に都市住民は緑に対して強い選好性があるという自己認識)。緑が人間に与える視覚的インパクトの重要性を自覚することで、生物多様性の保全に向けた効果的な政策決定や住みよいまちづくり、保全プログラムが効果的に推進することが期待されます。

7.3 動物福祉と畜産への影響

(注:この小節は、雑誌のスコープ(People & Nature)に合わないので、査読プロセスの途中で削除したものです。参考までに)

深刻な干ばつと緑の欠如による強い淘汰圧の影響を受けてきた動物は、人間だけではないはずです。人間が生きてきた半乾燥草原に生息する多くの動物も、深刻な干ばつによる強い淘汰圧の影響を受けているはずである。これらの動物には、サバンナに生息する多くの野生動物が含まれるでしょう。また、牛、馬、羊などの家畜化された動物の一部も含まれるはずです。したがって、これらの動物では、干ばつへの適応として、人間と同じような緑に対する心理的反応を進化させていることが予想されます。この可能性は、動物園動物や家畜動物の動物福祉にとって重要な意味を持ちます。緑のない風景での生活を余儀なくされているこれらの動物の中には、都市部における人間のそれと同様に、緑の欠如によってネガティブな心理的反応を示し続けているものがいるかもしれません。また、そのような飼育動物に緑を経験させることで、心理的ストレスが緩和され、行動や生理状態が改善される可能性があります。いくつかのニュースメディアが、バーチャルリアリティヘッドセットを装着した乳牛が「夏の野外シミュレーションプログラム」を行うことで、感情的な気分が改善され乳量が増加したという記事は注目に値するかもしれません(BBC:https://www.bbc.com/news/world-europe-50571010)。今後、人間以外の動物で緑仮説の予測を検証することで、家畜や動物園の動物福祉の向上につながる可能性があります。

8. 結論

ウィルソンによる記念碑的な概念的研究(バイオフィリア仮説の提案)と、ウルリッヒによる実証的論文(緑があると手術後の回復が早いことを示した研究)から約40年が経過し、自然に対するポジティブな心理的・生理的反応に関する研究が急速に発展しています。しかし、その理論的・進化的仮定には多くの疑問が残っており、その中でも最も重要なものが「なぜ私たちの心理は自然に影響されるのか?」という疑問です。わたしたちは、景観中の緑色植物の量に焦点を当て、自然に対する人間の心理的反応をネガティブとポジティブの両方から理解することを目的とした新しい進化理論的枠組みである「緑仮説」を提唱しました。この仮説は人間の進化に関するものですが、自然に対する心理的反応が人類全体で一様であることを意味するものではありません。本稿で述べたように、局所的な地理的適応や居住環境に応じた可塑性によって自然に対して多様な反応をすることを予測しています。この論文では、仮説の理論的根拠と予測を示しましたが、これらの仮説を実証的に検証するためには今後の研究が不可欠です。今後、自然に対する心理的反応のさらなる解明に取り組むには、進化心理学、生態学、公衆衛生学、環境心理学、社会学、都市計画などさまざまな分野の研究者、実務家、政策立案者の間で、さらなるコミュニケーションと協力が必要でしょう。

余談

私たちは進化や生態の専門家として、ここで提案した仮説は、これまでの研究成果をうまく説明するいい進化的仮説だと思っています。ただ、おそらく環境心理学の専門家からは批判的に検証されるどころか、見向きもされないと思います。なぜかと言うと、バイオフィリア、ストレス軽減理論・注意力回復理論は、環境心理学を中心とした自然と人間のかかわりを研究する学問の根幹に根を張っているからです。そして著者の2人はそういった研究コミュニティに入っていませんので、よそ者が提案したこの仮説には、そもそも見向きをされないでしょう。まずは我々自身が、この仮説の予測を検証することを含め、続報を書き続けなければなりません(実はすでに6か国を対象にした大規模なアンケート実験を行って、予測を支持する結果が得られています。この論文では長すぎるという理由で査読プロセスで削除しました)。頑張ります。共同研究者、資金提供者(?)、心からお待ちしています!

余談2

バイオフィリア仮説の根幹(進化的過程)がほとんど検証されないまま、社会に広く広まっていく様子には結構前から違和感がありました。

ずっとこのテーマをぼんやり考えていたのですが、アイデアが明確になったきっかけは、とある銭湯で読んだバガボンド36巻です。飢饉にあえぐ寒村の人々にとって新緑の季節(景観中に緑が溢れる)は即ち食料(=生存)を意味するんだということを強い共感を持って理解しました。なんと辛い時代だったんだと一瞬思いましたが、いや進化適応環境ではこのサイクルがむしろ普通で、このサイクルに応じて心理的反応を調節するシステムが進化しているはずだ、という思考が、風呂上がりのリクライニングチェアでリラックスしていた私の頭を駆け巡りました。研究インスピレーションへのお礼として、謝辞に書かせていただきました。ありがとうございました。

We extend our appreciation (略) and the Inoue Takehiko’s manga ‘Vagabond’ for providing the initial inspiration for this study.

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