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デジタル革命の俯瞰

 歴史の俯瞰により現在のデジタル革命の流れと今後を俯瞰してみよう。タイトルは内容を明示的に示すために歴史による俯瞰とはしなかった。
 
 第二次世界大戦が終結した1945年から1970年までの科学技術の発達を俯瞰すると、現在のデジタル革命の基層を形成したイノベーションが起こった時代だったことが判る。。
 1946年には最初の電子計算機ENIACが開発された。そして1948年にトランジスタ発明され、1952年に科学用大型計算機IBM 701が発売された。1964年に汎用型のIBM360の発売され、コンピュータの時代が到来した。
 1957年にはソ連が人工衛星スプートニクスを打ち上げ、アメリカはこれに狼狽した。絶対的なアメリカの科学技術の優位性が揺らいだからである。この後、激しい宇宙開発競争がアメリカとソ連の間で競われたが、 1969年アメリカはアポロ11号で月面着陸を実現させ科学技術の優位性を披瀝した。この間NASAは数多くのイノベーションを成し遂げ科学技術を発展させた。そして冷戦構造は軍事予算でデジタル革命を加速させた。
 1957年には半導体のフェアチャイルドが設立されている。TI(テキサスインスツルメンツ)はICを発明した。そして1960年にはソニーが世界初のトランジスタテレビを発売した。1969年には半導体のインテルが設立され、ムーアの法則が動き出した。半導体がデジタル革命を推進し、鉄にかわって半導体が産業のコメとなった。

 1970年以降のデジタル革命はさらに加速していった。 1971年には日本人の嶋 正利氏とインテルがマイクロプロセッサ「Intel 4004」を開発したが、なぜかインテル博物館には嶋 正利氏関する展示は何もない。その後凄まじいイノベーションが継続して、IBM-PC、Apple、マイクロソフトのウインドウズとインテルのプロセッサーによるウインテルのパソコン革命へとつながり、現在のデジタル革命の基盤技術なった。
 1970年パロアルトにゼロックス社の研究所が設立され、この研究所のわずか十数人がインターネット、LAN、GUI,マウスなど現在のデジタル革命の基幹技術の大半を発明した。Appleとマイクロソフトはここの成果を盗んだとも揶揄されていた。
 1974年にはスタンフォード大学医学部が人工知能を応用した医療診断システムMYCINを開発し注目された。第二世代の人工知能である。私も衝撃を受け専門分野だった機械加工のAIシステムを開発して学会発表した。そしてCAM-Iというアメリカの生産技術者の組織の機械加工のメンバーにパロアルトで紹介した。その人工知能は2012年カナダのジェフリー・ヒントン教授が率いるチームがAIで人間を超える画像の認識率を出して、第三世代の人工知能のブームとなって現在に至る。
 日本は半導体分野で技術的な優位を確立すべく超LSI開発共同組合を立ち上げ、 1980年には日本の半導体世界一を実現させた。ただこれ以降、第五世代コンピュータプロジェクトを始め、Σプロジェクト(シグマプロジェクト)、大航海プロジェクトと、情報関係の国家プロジェクトは際立つ成果を上げていないのが残念である。そして官製のイノベーションに甘えた日本企業はデジタル革命に乗り遅れた。
 ただ、1979年にソニーはウォークマンを発売し、イヤホンで音楽を聴くというライフスタイルを提案し、デジタル革命を生活者に届け、スティーブ・ジョブスが憧れる世界のハイテク業界のリーダーとなった。
 
 80年代になるAT&Tが分割され通信事業の独占が崩れてアメリカの通信革命が始まる。インターネット実装の最重要技術であるネットワークのルータを開発するシスコシステムズが1985年に創立された。そしてこの後のデジタル革命はアメリカのシリコンバレーのベンチャー企業が世界をリードし、現在に至る。日本とヨーロッパに比べて圧倒的にIT人材の層が厚かったことがこれの勝因である。
 この時代はまだ日本は世界のイノベーションをリードする気概はあった。1982年に第五世代コンピュータプロジェクトをスタートさせた。新世代コンピュータ技術開発機構(ICOT)を設立し、人工知能コンピュータ(ハードウェア)の開発を目指し総額で540億円の国家予算が投入されたが、さしたる成果を得られず1992年に終了した。不幸なことにこの後数年間は人工知能の研究に資金が回されず、バブル崩壊後という経済環境もあって官民ともに人工知能の研究が停滞して第三世代の人工知能の波に後れをとることになった。
 結局この時代、日本はアナログ技術とハードウェアに拘り、その世界の優位性にしがみつき、時代の流れに乗り遅れた。何しろ世界に提案したハイビジョンもアナログであった。そして日本のハイテク企業はNTTとNHKにぶら下がり、自前のイノベーションをおろそかした結果、気が付くとシリコンバレーの後塵を拝する立場になった。日本全体が “生産技術が技術力” だと誤解して “既に起きていた未来” のデジタル革命を軽視したことで90年代以降、成長出来ない産業構造になった。

 今日のデジタル革命は、1990年以降のインターネット革命とそれを担った新興企業が担い、世界を変えていった。1990年にCERN のティム・バーナーズ・リーはWWWを実装してハイパーリンクを含めWeb の世界を開き、1993 NCSAのマーク・アンドリーセンMosaic を開発して誰でもWeb を利用できるようにした。そして、それまでアメリカ政府が管理運営してきたインターネットが1995年からに民間に移管され自由な発展を可能にした。
 1995年にマイクロソフト社がWindows '95 を発売しブラウザーを組み込んで、それまで一部の研究者しか利用できなかったインターネットを個人の机の上から利用を可能にしたことによりインターネットは一気に普及した。日本の富士通やNEC、日立というIT企業は資金も人材もあったがこのインターネットに戦略的な取り組みをせず歴史的なイノベーションの波を見送ってしまった。
 一方、敏感に時代を感じたジェフ・ベゾスは早くも1994年にはAmazonを設立しネットビジネスをスタートさせ、1998年にはスタンフォード大学の学生のラリー・ペイジとセルゲイ・ブリンがGoogleを設立した。1997年にスティーブ・ジョブスがAppleに復帰した。少し遅れて、EVと自動運転車のリーダーであるTeslaが2003年、SNS のFacebookが2004年に設立されている。これでシリコンバレーのコアメンバーはすべて揃った。1990年からの約10年間のイノベーションが今の世界を作ったといえる。連続的なイノベーションとインターネット人口の拡大の好循環がネットビジネスの世界を急拡大させ、ベンチャー企業のインキュベーションのを担った。
 注目すべきは中国のテックベンチャー企業で、1998年にテンセント創立と1999年アリババ創立である。中国はインターネット革命に間に合ったというか時代を感じて動いた。ただ最近中国共産党の規制強化に苦しめられ今後の成長が気になるが。
 20世紀初頭の産業革命には間に合った日本だが、この1990年からのインターネット革命には自ら脱落した。そして日本の産業・経済の衰退がはじまった。
 
 以上の技術の歴史を俯瞰すると、現在のデジタル革命は第二次世界大戦の終結直後から始まり、70年代から急速に発展しシリコンバレーが形成された。半導体革命はインターネット革命につながり新産業革命を起こした。産業界の覇権もデジタル産業に移った。機械工学、熱力学、化学工学と電磁気学を基盤とする工業化社会は情報化社会へ、そしてネット社会へと移行した。コンピューター業界の覇者IBMも旧い技術に拘泥して1990年以降のインターネット革命の波に沈んでいった。

 そして今の時代は。2007年にiPhoneが発売されて15年になった。コンピュータと携帯電話を統合したスマートフォンがこの10年に生み出した経済はとてつもなく巨大で、 このイノベーションの波と経済成長に乗らなかった、乗れなかった1900年前後に産声を上げた世界の巨大企業はもはや時価総額では中堅企業になってしまった。日本の経団連の大企業は世界経済の中での存在感はさらに薄くなった。なにしろGAFAMと呼ばれるGoogle 、Apple 、Facebook 、Amazon、Microsoftを合わせた時価総額はナスダック市場では約9.1兆ドル(約1,006兆円)と約52%を占めている。テスラ(EV)、エヌビディア(半導体)、ペイパル(フィンテック)、ASML(半導体製造装置)、アドビ(アプリケーション・ソフトウエア)の5社を加えると約62%になる。まさに産業・経済の主役、産業構造は完全に一新された。アメリカファーストでアメリカ製造業の復権を進めてもこの産業構造は変えられない。ちなみに東証一部の時価総額合計は約700兆円である。まさに産業の主役、産業構造は完全に改新された。アメリカファーストでアメリカ製造業の復権を進めてもこの産業構造の改新は変えられない。(数字は変動しています)
 
 無人運転、人工知能、ドローン、ブロックチェーンなどの先端技術は豊富な現金と人材を持つGAFMAがリーダーシップをとっている。そしてこの分野では中国が急速に力をつけているので中国を無視することはできない。既に先端技術分野の研究論文では量と質でアメリカを凌駕している。インドは、豊富な先端技術人材の供給と活躍で世界経済とディジタル経済で存在感を増していくだろう。日本とヨーロッパは産業構造の改新に置いていかれて、世界で存在感を喪失しつつある。どちらも1900年からの旧い産業界が未だに産業政策を仕切っている体制を改新しないといけない。
 
 この俯瞰の先では、自動車産業はEVと自動運転で大きな産業構造の変化が起こるであろう。HVとFCV(燃料電池自動車)に執心した日本は一周遅れからのリベンジだ。まだこれまでの延長線上に生き残りをかけているが。宇宙航空産業も新し世界を拓きつつある。金融業も激震が起きるだろう。

 技術立国と自画自賛していた日本は。電機産業は崩落し、再生の道筋は見えない。かつて世界一になった半導体産業は見る影もない。縮退していく日本経済は大胆なリベンジが必要だが、それには先端技術人材が少なすぎる。産官学の人財育成の失敗が痛い。情報科学の教育がアメリカに比べ大幅に遅れてしまった。情報科学の先端技術者を育成する東京大学大学院の情報理工学系研究科は、なんと2001年4月にやっと開設された。
 歴史を振り返ると、東京大学の電子工学科は1958年(大学院は1961年)に新設され、そこで育成された人材はその後の半導体革命を担い、日本の半導体産業世界一の原動力となった。日本は、ここまでは未来志向で人材育成を進め、その人財が新産業を開いてきた。造船世界一、鉄鋼世界一、自動車世界一も先見的な明治政府の人材育成がこの成功を導いた。人材が未来を作る、先を見た人材育成が未来を決める。

 いつも近未来は既に起きている、それを感じ取るか、否かだ。

デジタル革命の年表
1946 電子計算機ENIACの開発
1948 トランジスタ―の発明
1952  科学用大型計算機IBM701発売
1958 TIのジャック・キルビーがICを発明
   ノイスらフェアチャイルド 設立(シリコンバレーの始まり)
1964  IBM360発売 汎用型
1969 インテル設立
    Xeroxのパロアルト研究所の開設
1973 米ゼロックスがTCP/IPの特許(インターネットの通信規格)
1971 マイクロプロセッサの開発(パソコンの世界を拓く)
1975  マイクロソフト社創立
   スタンフォード大学医学部がAIのMYCIN開発(AI第二世代)
1976  アップル社創立
1977  国家プロジェクト超LSI開発(半導体世界一に)
1982  AT&Tの分割
1982 第五世代コンピュータプロジェクト(1992終了)
1984 シスコシステムズ創立(ネットワーク構築のルーター)
1990 CERN のティム・バーナーズ・リーがWWWを実装
1992 インターネットイニシアティブ(IIJ)創立
1993 NCSAのマーク・アンドリーセンがブライザーMosaic を開発
1994 Amazon創立
1995 インターネットの民間移管が始まる
   マイクロソフト社がWindows '95 を発売
1997 スティーブ・ジョブスがAppleに復帰する
   ファーウェイ創立
1998  Google創立
   テンセント創立
1999 アリババ創立
2003 テスラモーターズ創立
2004 Facebook創立
2007 iPhone発売
2012 ジェフリー・ヒントン教授が率いるチームがAIで人間を超える認識率
2016 GoogleのAlpha Goが世界戦優勝経験のあるプロ棋士に勝利


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