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花を飼うススメ

淡くてまろやかな桃色に惹かれて、芍薬の花を買った。

右手には夕食のための食材が入ったエコバックを持ち、左手には1本の花を持つ。わたしが通うこのスーパーの入り口には、小さな生花店がある。つい最近までは、桃や桜などの枝ものが並んでいたのに、いまでは色とりどりのガーベラやカーネーションで埋め尽くされている。

最近『花のある生活』が流行っているように思う。定期的に家のポストに花が届くようなサービスに登録している友人も多い。毎日の単調な暮らしに、花の華やかさを求める人が多いのだろうか。

花を手に家へ帰ると、居間でたまたま祖母と出くわした。花を見せると「あら、芍薬ね。華やかだけど楚々としていて美しいね。」とのこと。花の名前を伝えずともすぐに理解する祖母に驚いたが、祖母はわたしが生まれる前に生け花の師範をしていたらしいことを思い出した。

花瓶に合わせて、生花用のはさみで葉をぱすぱすと切り落とす。そうしながら、「物心ついた時から我が家にはいつも花が生けられていたな」などと考える。父の仕事の都合で、3年に1度は引っ越しをする典型的な転勤族の家庭だったが、どの土地に居ても、どのような家に住んでも、必ずどこかに花があった。

玄関に置かれた大きな花瓶には色とりどりの季節の花々。プランターには野菜やハーブ。母はいつも「いい香りだから嗅いでごらん」と、私に花を見せては一緒に香りを嗅いだ。そのおかげで、わたしも同年代の友人よりかは花の名前に詳しい自信がある。

しかし、小さいころから自然と花が生活に溶け込んでいたせいか、これまであまり主体的に花へ関わろうとは思わずに生きてきたように思う。友人が花に凝っていたときも、正直「今更か」という気持ちだった。

そんなわたしが変わったのは、仕事や私生活が上手くいかなくなったある日だった。人生自分の思うようにいかないということは散々経験済みにも関わらず、「なんでこんなにも上手くいかないことだらけなんだろう」と感じていた。自分の心に影が落ちるのをぼんやりと感じていた。

その状況を打破しようと、本を読んだり動画を見たり、運動をしてみたり。暗中模索中のわたしがはまったのは、タロット占いの動画だった。心酔まではしていなかったが、どの選択肢を選んでも明るい言葉が返ってくる動画によって、少しずつ前向きに考えられるようになった。

ある日動画を見ていたら、占い師の方が「自分のお気に入りの生花をお部屋に置くと気分がかなり上がっておすすめです」と話していた。なんだかその言葉が響いて、わたしは生花店でマム(菊の一種)を1輪買った。自分用の花瓶を持っていなかったため、短く切って適当なグラスに生けた。

そのマムを見て、なんてかわいいのだろうと心が躍った。まるっこくてふんわりした、わたしのマム。その薄黄色の花は、わたしが選んだ世界に1本の宝物のように思えた。部屋の小机に置いたその花が枯れるまで、来る日も来る日も眺めては、「かわいいね」、「きれいだね」と話しかけた。花が枯れる頃には、自分のこころがすっきりとして、これからの毎日はきっといいことが起こるだろうという予感までした。

それからというもの、「疲れたな」、「なんだか浮かない気分だな」、という時には無意識に花を買っているわたしがいる。家に自然と生けられている花ではなく、わたしが選んだわたしだけの花。同じ花のはずなのに、自分で飾る花には精神面で大きな違いがあることに気が付いた。

気に入った花を持って帰るとき、花瓶に生けるとき、それを愛でるとき。こころはときめきと明るい予感でいっぱいで、また新しい自分で頑張れそうな気がする。そして、それは予感などではなく、実際に前向きにさまざまなことに取り組めるようになるのだ。

今日も例に漏れず、こうして楽しく文章を綴っている。部屋でひきこもるだけの休日が、急に華やいで感じられる。キーボードを打ちながら、かわいい芍薬を眺める。その桃色に癒されながら紅茶をすする。きっとこの1週間はこうやって心穏やかに、明るく過ごせるはずだ。たった1本の花が、わたしの退屈な毎日にささやかな彩りを加える。


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