見出し画像

香りが誘う記憶の旅

土曜日の昼下がり、部屋の窓を大きく開く。
雲一つない大空。
庭の花の香りを纏ったもわっとした暖かい空気が一瞬で部屋へ入ってくる。

おそらくきちんとした生活をする人は、朝一番に窓を開けて澄み切った新鮮な空気を取り込むのだろう。しかし、私はこの日向ぼっこの香りがする空気を取り込む瞬間が無性に好きだ。

香りとは不思議なもので、私の印象深い記憶たちは全て香りとつながっているように思う。

春の夜の湿った空気の香りと、ともに立ち上がる芝生の香り。それらを感じるとき、私は一瞬で学生時代に舞い戻り、芝生の上に横たわって泣いている。昼間とは打って変わって静かな深夜の井の頭公園。初めて本気の恋に裏切られて、それでも良いから彼のそばにいようと寛容な自分を装った、可愛くて切ない記憶だ。最終的に彼とは縁が無かったが、いつまでも彼がしあわせであれば良いと思う。全力で人を愛することは時に苦しい。

Miss Diorという香水がある。Diorの言わずと知れた定番商品だが、この香りを嗅ぐたびに新社会人だったあの頃を思い出す。両親が穏やかで周囲の友人も優しい人ばかりだったおかげで、のんびり気ままに育ってきた私にとって、社会とは非常に息苦しく、厳しく、そして、学びの多い場所だと知った。つらい経験が多く、この職場はすぐに辞めてしまったが、学んだことは今の私に多く活きている。しかし、やはりこの香水はあれから着けられていない。

ジャスミンティーの香りはいつもわたしを愉快な気持ちにさせる。学生の頃、初めて限界かもしれないと思うくらいのお酒を飲んだ記憶が蘇るからだ。当時あまりお酒が強くないと思っていた私は、ジャスミンハイを大量に飲んで初めて自分が割とお酒に強い方の人間だと知った。最高に愉快な気持ちとそれを抑えて平静を保とうとする自分が同居するなか、友人の手を引いて終電に乗り込んだ。あれから半年間くらいは、ジャスミンティーの香りを嗅ぐたびに気分が悪くなっていたが、今ではすっかりそれも無くなった。ただ残っているのは、若かりし頃の飲み会を反芻する自分と、あの高揚感だけである。

このような香りの記憶は無数にあり、それらを全て語ると私の人生のハイライト全てを披露出来るのではないかと疑うほどだ。みんな同様の経験があるのだろうか。

五感を伴った記憶は残りやすいとどこかで聞いた覚えがある。おいしいものを食べたり、素敵な音楽を聴いたり、美しい景色を見たり。もしくは、その反対で嫌な感覚を覚えていることもあるだろう。私が語ってきた記憶も、覚えようと思って覚えたものではない。強烈な感情が香りとともに、自然と真空パックにされているだけだ。そう思うと、これからも香りの記憶は増え続けるのかもしれない。そして、あと何年続くかもわからない人生の中で、また何度もこうした記憶を咀嚼する機会があるのだろう。

年を経るほどに、記憶に残るような強烈な感情は減るかもしれない。初めて経験することが減り、感情的な自分より理性的な自分が勝つようになってきた。それでも、いまここにいる自分から一歩踏み出したり、離れたりすることで、きっと新しい世界が見える。私はもっと新しい世界が見たいし、喜びも苦しみも経験したい。そのためにも、自分の居場所を縛らず、心を何にも縛られず、いつでも柔軟な私でいたい。きっとそれは無責任で、真っ当な人生に見えないかもしれない。それでも、そういう自分を志向する自分を許していきたい。

そうこうしている内に、部屋中が日向ぼっこの香りで満たされた。最近お気に入りの無印良品のチャイティーラテを飲みながら、本でも読もう。

この記事が参加している募集

スキしてみて

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?