滋味礼讃 90 あめ
本日のお題は『あめ(飴)』です。
一口に飴といっても種類は様々です。屋台で心躍らせるリンゴ飴や綿飴。昔懐かしいべっこう飴。駄菓子屋で憧れた水飴や柄付きの飴。金太郎飴に千歳飴に、薄荷飴。
私のこの食エッセイにイラストを寄せてくださっているイラストレーターさんが以前、『サルミアッキ』という塩化アンモニウムで香り付けしたフィンランドの国民的菓子の飴を送ってくれたことがありました。それまではこの世で最も口に合わない食品は『ビール酵母』だったんですけれどね、それにとってかわりましたね。私の口には合いませんでした。もっとも、イラストレーターさんもそれを狙って送ってくださったので、彼はしてやったりと笑っていましたが。
昔から飴というのは私の心を惹きつけるのですが、それはどうやら私にとっては、食べるよりも見た目の美しさや名前の響きの方が美味しいらしいのです。
味はもちろん美味しいけれどすぐにバリボリ噛んでしまうのです。あの宝石のような澄んだ色彩や、形の可愛らしさに目が「美味しい」と思ってしまうのです。
ドロップなんてまさしく、可愛らしい名前でロマンがあるし、見た目も色んな色彩に子どもたちの夢がつまっている。だからこそ『火垂るの墓』で尚更胸を打つのかもしれませんなぁ。
飴細工なんてのも見ていて楽しいし、大好きですが、食べる気にはなれません。それはもう目だけでお腹いっぱいなんです、私には。
名前の響きでいいますと、『ひやし飴』ですね。麦芽水飴をお湯で溶き、おろし生姜を加えたものを冷やして飲むのです。昔、名前だけ見て、なんて素敵なんだと目を輝かせました。なんだか『ひやし飴』という名前を耳にしただけで、時代劇の世界に飛び込んだような気がしたんです。
けれど、京都で口にしたとき、思わず黙ってしまいました。抱いていた想像と違ったんですね。生姜が入っていることすら知らなかった私は、とろんと甘いものを想定していたので、生姜のパンチに驚いたのです。その体験から、私は飴というのは目と耳で味わうものだと心得ております。
でも例外が一つだけ。私、ボンタンアメには目がないんですよ。
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