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プラダを着た悪魔とサイゴンクチュールに行く私。

モデルの仕事でベトナムに2〜3ヶ月行くことになった。
モデルはマザーエージェンシーと言って、基本的に所属する事務所があるのだけど、海外で仕事をする時は、別の国の事務所とも契約を結ぶという制度になっている。

8月の半ばに韓国の北朝鮮に限りなく近い、チョロンという場所に泊まり、DMZ(非武装地帯)つまり境目に日中行ってきたのだけど、台風でフライトが伸びたのでソウルに2泊して帰ってくる直前に、マネージャーさんから「ベトナム来月行ける?」と連絡が来た。二つ返事で「行けます。」と返した。
そう、私は、インドアの癖して海外や遠出となると鬼フッ軽なのだ。
我が家系は遊牧民なので。

アメリカの中学の同級生とドイツで再会して、日本で一緒に銭湯行ったりした、ヴァレンティーナちゃんという子がいて、その子から「Ms.Jetset」ウィンクの絵文字😉付きで言われて、なるほど、英語では空飛び回ってる奴ってなんかそんな響きの良い言い方をするのか。と、なんか素敵な気持ちになった事がある。

この子が名前の響きも良い。ヴァレンティーナ・アレキサンダー。名前が良すぎる。そして本人がとんでもない美女である。見た目はほぼ実写版ドイツ系アメリカ人のNANA。そして子供の頃から性格が良い。バチクソギークでナードな瓶底メガネの一言も発しない、一生本読んでるアジア人のカースト底辺女(私)に、違うクラスだというのに明るく話かけ続けてくれた憧れの子である。この子は大好きすぎるので、また別の記事でその内ちゃんと書こうと思う。

話を戻して。

明後日、というかもう明日か。始発で家を出て成田に向かうつもりで一生終わらな荷造りをしていたのだけど、なんかこの時点でビザも航空券も送られてきてないって事は、明日じゃないんじゃね?って思い始めたし、集中力も切れたので、もう諦めて「サイゴンクチュール」というベトナム映画を見た。


サイゴンクチュール

向こうで見ようと思ってたけど、アマプラって見れるのか?VPN日本にすりゃ見れるだろうけど、日本以外のネトフリではジブリが見れるので、暫くは変えたくないし、、、事前学習って事で。

チックフリック映画で、時は60年代。ツィッギーさながらミニスカートAラインワンピースを着てスウィンギンロンドンスタイルのお洒落っ子な主人公ニュイは九代続く老舗のアオザイ店の娘さんなのだけど、「アオザイは古臭いから嫌い!」とお母さんからアオザイを学ぶ事を拒む。しかし2017年にタイムスリップしたら、アル中になった自分とボロボロでほぼ廃屋になった自分の家を目にして…

というスタートを切る話だ。

SFっちゃSF。マルチバースというか。

まず、ベトナム戦争が無い並行世界線としよう。
未来の自分と協力し合うっていうのは、少し珍しい気がする。他の作品ってほらなんかみんな自分から隠れてない?

タイムスリップしたら過去にいきたいか?未来に行きたいか?みたいな質問ってあるけど、今30歳の私には「行く」のか「来る」のか?とちょっと考えた。
過去の自分に私はなんて言われるかな。明日ってか今日の夜に友達と会う予定なのだけど、その時に10年前の自分から届いた手紙を開けようかなと思っているので、何を言われるか分かりそうだけど、未来、ってか24時間後の私に「頼むから、映画みたりnote書いたりしてないで荷造りしてよぉぉぉ」と泣きつかれそうである。
うん。、、、頼んだぞ!未来の私!

そしてそういう映画だった。
「あんたのせいでこうなった!」と過去と未来の二人であり一人であるニュイ同士で喧嘩するのですよ。

ベトナム語の教科書を一冊買ったのだけど、急に行く事になったので、全く勉強する時間が無く、毎日バタバタと過ぎてしまったので、「ありがとう」すら聞き取れない始末だったのだけど、

「そうよ、私のせいよ!」というセリフの所で急に「IT'S MY FAULT!!!」と英語で言ったので、びっくりした。ファッション業界でのシーンで英語が出てきたのは、まぁそうだろうなと驚かなかった、と、言うか、じゃないとこれから行く私が非常に困るので。あと、今まで、どこ行っても何人でもスタッフ同士は母国語でもモデルには英語を使ってくれてたので。でも、英語を話さなくても良くて、しかもこの映画一と言っても良いほど感情的なセリフで英語が飛び出した事で、今まで1単語も理解できず、どこで単語を区切ってるかすら分からない「音」の状態から急に「英語」と言う聞き通れる「言語」として脳にぶちこまれたので、大変印象の深いシーンになった。勉強不足でベトナムの事を全く知らないのだけど、フィリピンみたいな事なのか、、、?でもそれだとフランス語になるはずでは、、、?あ、でもベトナム戦争が、、、うーん、己の無知を思い知らされるな。

ベトナム版プラダを着た悪魔という感想をフィルマークスで書いてる人が多かったけど、いや、ストーリーはファッション業界を扱っているというだけで別物。だけど、しっっっかりと、プラダを着た悪魔のパロディが入ってる。あそこまでパロディを頑張ったんだから、「プラダを着た悪魔っぽい」と言われちゃ可哀想である。「っぽい」じゃないのよ。しっかり狙いを定めて打ってんのよ。カメラワーク、音楽、社内メール一斉送信アラート、車から伸びるハイヒール、から、持ってるバッグを写し、焦って資料を片付けたり、食べてたものを捨てたり、リップを直す社員、持ってる資料で顔を隠して主人公を指差し「誰?」と聞くフェアリーテイルゲイまで再現しているんだぞ!?、主人公がどんどんオシャレになっていくシーンとかさ!

丁度2ヶ月くらい前に、観返したから記憶に新しいのもあるけど、にしても印象的なシーンだ。

まずプラダを着た悪魔という映画を誤解している人も結構いるのではないだろうか。まず私が、そうだった。何せ私が中学生の時の映画だ。子供の頃見た時はキラキラした映画だと思ったし、オチが意味わかんないな。と思っただけだったけど、大人になって観ると、全然印象が変わる。


プラダを着た悪魔

子供の頃は、「見た目だけで全てが決まるルッキズムの世界で、頭が良いアンディが正当に評価されず、でもその中でもフェアリーテイルゲイに手伝ってもらって、垢抜けて、仕事がちゃと評価されていくサクセスストーリーで、最後は恋人との時間と本当にやりたかった事を、その意地悪で華やかで素敵な世界を捨てて選ぶ」

みたいな話だという認識だった。仕事に反対する男と寄りを戻す所以外は気にならなかったし、なんなら18年前、フェアリーテイルゲイという言葉も知らなかった。映画に出てくる親切なステレオタイプゲイに疑問も抱かなかった。

2ヶ月前に観返えそうと思ったきっかけは10年ぶりくらいにたまたま再会したお兄さんに、プラダを着た悪魔の「観かた」を教えてもらったから。

「NYの街に行ったならちょっと地理が分かるようになったと思うんだけど、
人が歩く方向に注目してみると、
アップタウンから来る人かダウンタウンから来る人から分かる。
冒頭の10分だけでも観返してみると面白いと思うんだけど、
残酷なまでに主人公がいかに不健康で、
考えてない生活をしていて、
ハイソサエティの人間が、
物を「選んで」体作りを意識して丁寧に生きているかが分かる。
明るいテンポのSuddenly I seeという曲がかかりながら、
歌詞と裏腹にまだ色んな事に気づいてない主人公が、
会社の面接にこれから行くというのに、
ボッサボサの頭、鏡も見ずに口紅をぐるっと塗り、
下着もテキトーなパンツを選び、
体に悪そうなベーグルをだらしなく歩きながらたべ、地下鉄に乗る。
建物を見ても、周りに店がある建物はダウンタウンで、
周りに家しかない場所はアップタウン、つまり高所得者である事が分かる。
あの街でハイヒールを履くという事は、タクシーに乗れる人だという事。
主人公の映像と交互に映像が流れる、
「タクシーに乗れる」女性達は、身なりに気を使い、
朝ごはんをアーモンドの1粒まで数えて、部屋も綺麗で、
素材にこだわった物を一つ一つ丁寧に自分に備え付けていく。
それが心にも良い事を知っているから。
ファッションは、なんの為にあるか、分かっている人達と、
分からず、必要ない物だと思ってる人が良く分かる」

その冒頭を経て、アンディは無事、編集長の名前すら知らない状態で、面接に向かうわけで。

確かに去年NYに行って、マヌケな私も無事、ハイヒールで足の皮ズル向けになったわけで。友達に介抱してもらわなきゃ歩けなくなったわけで。

そんでもって、今もハイヒールのサンダルのせいで、足の小指に血豆が出来ているわけで。

道中、足が痛すぎて、友達にピアスで足の裏の水脹れを刺して水を抜いてもらった事もあるわけで。(学べ)

ピンヒールって本当に歩くために作られてないからね…
今は、オーディションなどはスニーカー掃いて、ヒールは持っていってます。

でも大学生くらいまではヒールが無い靴はほとんど持ってないし、履いてませんでした。足をマッサージしてくれた子に「ふうちゃんの脚、不思議。普通は筋肉が着いてるはずの所に筋肉が全くなくて、逆側に筋肉ついてる、、、ヒール筋って行き着く所まで行くとこんな足になるのか、、、」と驚かれたほど。

ウェッジソール、チャンキーヒール、つま先出れば、まだ痛くない。
リゲッタのバナナヒールはすっごいオススメです。7cmなのに全く痛く無い。
山登りも出来るし、ガンダも出来る。何回もしたよ!(当社比です)

さて、大人になった私が観たプラダを着た悪魔を見た印象は

「仕事舐めんな映画」
これである。

18年前に見た時から強く覚えていたセリフ(完璧にじゃないよ。)は

「あなたには関係ないことよね
家のクローゼットから、そのサエない“ブルーのセーター”を選んだ

“私は着る物なんか気にしない”
“マジメな人間”ということね

でも、この色はブルーじゃない。
ターコイズでもラピスでもない。

セルリアンよ。

知らないでしょうけど2002年にオスカー・デ・ラ・レンタがその色のソワレをサンローランがミリタリージャケットを発表。
セルリアンは8つのコレクションに登場。
たちまちブームになり全米のデパートや安いカジュアル服の店でも販売され、
あなたがセールで購入した。

その“ブルー”は無数の労働の象徴よ。

でもとても皮肉ね。
ファッションと無関係と思ったセーターは
そもそもここにいる私たちが選んだのよ。
“こんなの”の中からね」

これ。当時見た時、すごく「市場」という物を理解させられたセリフで、ハッとして忘れられないセリフ。

そして大人になってから観ると、この後すごく怒るアンディはあまりにも子供に感じてしまう。

仕事でしくじって、ミランダに「失望した」と言われ、
泣きついたフェアリーテイルゲイのナイジェルが、
彼女は仕事をしているだけ。努力してるのに認めてくれない?
ファッションの仕事をしている人間が見た目を気にかけないのはプロじゃない。
努力が足りていない。ファッションは身にまとい、
日常に入りこむ実用性のある芸術作品であるのにその価値もわからず、
上司が褒めてくれないと文句を言う。
田舎の6人兄弟で育った少年はサッカー部と嘘ついて裁縫教室に通い、
布団に隠れて懐中電灯でこの雑誌を、ファッションを、そこから抜け出す希望を、照らしていたのに。
君は、僕や、みんながそうやって必死に辿り着いて、築
き上げてきた芸術と歴史が詰まったこの建物に無関心じゃないか。
「wake up. 6 」
「wake up. sweetheart (目を覚ましなさい。お嬢ちゃん。)」
と叱ってくれる。

ミランダもナイジェルも優しい人達だと思う。
何にも分かってない所か、
ファッション=見た目しか考えてないバカな人達と決めつけて、
私はジャーナリストになりたい、賢い人間なんだぞファシストめ
と思ってるのが滲み出ている仕事ができないヒヨコちゃんに、
バチクソ死ぬ程忙しい中で、
「クビ!」と叫ばず、チャンスをあげている。

その中でアンディは徐々にサバイバルスキルを磨き、
仕事にやりがいを見出してきて、
一生懸命働く事が、大変ながら楽しいと感じ始める。
責任感も芽生える。

に、対して、アンディの友達や恋人は、そこに、止まっている。
止まった場所から、「家賃の為にやってる仕事に必死になるなよ」と
ヤジを飛ばす。ただただ、家賃のためじゃなくて、夢の足掛かりになる仕事さえ、頑張って出来なきゃ、辿り着けない事に気づいていない。

アンディが仕事でもらったサンプルを友達にあげればみんな歓声をあげて喜ぶ癖に、上司からの仕事の電話に出ようとしたら、ケータイを取り上げて、「ヘイ!パス!」と回し始める。

仕事の邪魔してくれんなよ。
grow up! kids.

あきらかに労働基準法違反であり、
人権を無視した職場であり、
ミランダの出す指示は無理難題だし、
たまにただの嫌がらせか?という事もある。
というか、1回あった。
ステーキとハリーポッターの新刊のオーダーはラストチャンスを与えた上で、
出来ませんでした。という理由をつけてクビにしてやろうと思ったのと同時に
一筋の「出来たらいいな。出来たら、この子をやっぱり育てよう。」
というきもちがあるんじゃ無いかな。

やめようと思えば辞めれる。
病むくらいなら辞めた方がいい。
代わりなんていくらでもいる。

でも、夢の足掛かりになるならと、アンディは踏みとどまったのに。
その中で楽しさを発見し、成長し、家賃を払い、
「戦う」を選んだ彼女を、元の友達や恋人は応援しない。
そこから、降りてこいと言うばかり。

じゃあ、仕事に打ち込む事が良い事なのかというと、
良い悪いじゃなくて、
ミランダに自分の未来を見た時に、
方向が違うなと、方向転換した人の話だ。

頭がおかしい世界で、
頭がおかしくなる程努力した者の中で
その中で更に秀でたものが階段を登る世界。
狂ってないと、全てをかなぐり捨てないと、
作れないものがあって。
その全てを捨てて、作る事を選んだ人がミランダ。
昇進したら楽になるのでは無く、
その分背負う物が多くなる。

そして、アンディは、成れてしまう自分をミランダの中に見たからこそ、
方向を変えた人。
でも、真後ろ、あるいは階段を降りるわけでは無く、
前を向いた上で、登る階段を隣のレーンに移した感じ。

でもここまで登らなきゃ、
その隣のレーンに移れる踊り場に辿り着けなかったのだから。

その証拠に、ミランダは最後、別の階段を登る為に開けなきゃいけないドアの鍵を開けてくれる。ファックスでね。

最後人の流れに逆らって歩くアンディは元の場所に近いけど、別の場所に向かってくれよ。と思う。
せめて仕事は大丈夫そうだけど。
あの彼氏はな、、、

「観かた」を教えてくれたお兄さんも「どうせ別れるよ。」と苦笑していた。

2006年の映画なので、ファッション業界の人々が「体作り」には関心があっても「健康」の情報は乏しく、そして、「痩せている」事を「美」とし、執着が狂っているようにも見せている映画だけど、じゃあ、焦げたグリルチーズサンドが「太る」からと言って、健康なわけでも無いだろう。社食でサラダしか食べない人々ももちろん不健康だけどね。

ファッションの世界が作り出すルッキズムによる摂食障害は深刻な問題だけど、
昨今はまだ、ビューティースタンダードを「健康」「ありのまま」に起き始めたのでは無いかな。

そして「美は1日にしてならず」はつまり「健康は1日にしてならず」でもある。
健康にはそれこそ狂ってるくらいの努力がいる。

高校の時からのお友達と日常で最早身内ネタになってるセリフがいくつかある。

「サイズ6に乾杯」「4よ」(前に入らなかった服が入った時など。痩せても太っても使っている。ちなみに元の英語だとダジャレになっている。Your  bet your size six ass でsix assの部分がシックスアス→サクセス(成功)に聞こえる。)

「全部の私生活が崩壊したら昇進の時期」(私生活が上手くいかないという話をきいた時)

「あんたなんか炭水化物食べてる癖に!」(これはもう狂いセリフすぎるので、なんかタイミング忘れたけど、事あるごとに使ってる。ってか応用してるので、悪い事が立て続けに起こったりした時に「何これ。なんで?私のせい?炭水化物食べてるから?」とか言ったりしてる。)

なので、プラダを着た悪魔は「自分を求めて、未知の世界へ一旦入って、見つけ出した人」の話だけど
サイゴンクチュールは「自分を求めて、自分が拒否してきた家の伝統を見つめ直して、自分を見つけた人」の話になるんです。あとSFだし。

オープニングが60年代で映像めっちゃ可愛いし、音楽もベトナムの人ならわかるのかなぁという感じの懐メロっぽい可愛いポップが続くので見やすい。

あと、なんか割とみんな良い人。

タン・ロアンが割り食いすぎじゃ無いかなぁ。。。

最後のエンドロールめっちゃ可愛んだけど、タン・ロアンもニュイとママと一緒に踊って欲しかったな。

ニュイが60年代に帰ってから、タン・ロアンとどう接したかも知りたいし。

恋愛要素はうっすらで、ベトナム特有のバイクに乗ってるのがローマの休日っぽくなってる。重点は伝統と家族と自分なので、下手に恋愛入れるより見やすくてよかったと思う。

やっだうっそまっじ朝6時になるじゃん!
2時間仮眠とったら起きなきゃだ、、、
今日の私も明日の私も本当にごめんね!!!





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