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【第十五夜】涙の理由

真夜中に目が覚めた。

夢を見ていた。佐知子に振られて、開かないドアの前に立ち尽くす若い頃の自分。

一瞬、現実に意識が戻り、夢うつつを彷徨いながら、再び眠りに落ちると、今度は家路につく途中、美幸ちゃんとさっちゃんに会って、一緒にスーパーに買い物に行く年老いた今の自分がいた。

目が覚めたとき、また泣いていた。年をとると涙もろくなる。


昨日も勝手に涙が溢れてきた。4年ぶりに食べたマイキーのチーズケーキ。すっかり忘れていた佐知子への気持ちを久しぶりに思い出した。あんなに忘れられずにいたのに、知らないうちに佐知子が過去になっていたことにビックリした。そして、美幸ちゃんの気づかい、さっちゃんのやさしさが嬉しかった。

最近じゃ、すっかりさっちゃんのお世話がライフワークになり、「第二の人生、うまいチーズケーキ探しをしよう!」なんて思っていた気持ちもいつの間にか薄れていた。日常生活で気持ちが満たされると、人は何かを探す必要がなくなるらしい。足りない何かを埋めるため、生きる意味や趣味を必死に探していただけなのかもしれない。

赤子を前に途方に暮れていた美幸ちゃんを見かねて育児を手伝っていたら、いつの間にか「ようじぃ」として、さっちゃんのお世話係が板についてしまった。でも、それは美幸ちゃんがくれた「役割」だったのかもしれない。

久しぶりにブログのことを思い出し、パソコンを立ち上げた。

「還暦おやじのうまいチーズケーキ探し」

ブログのタイトルをぼんやりと眺める。もう、うまいチーズケーキを探す必要はない。自分の今の暮らしには、マイキーのチーズケーキがあれば十分だ。ブログを閉じるつもりで、最後にそのブログを始めるきっかけになった、マイキーのチーズケーキのことを書くことにした。

さっちゃんをマイキーに連れていった話。小さな女の子が母親のためにお誕生日ケーキを買いに行った話。その女の子にあーんしてもらった話。幸せで思わず涙があふれた話。知らない人が読めば、ほほえましい孫の話に見えるだろう。

ひとしきり書いて、涙の理由を確信した。心の底から、安堵したのだ。自分に、生きている意味があると思えた。いまは、さっちゃんにとっても、美幸ちゃんにとっても、なくてはならない存在になれている、と思えた。

ずっと、誰かのかけがえのない存在になりたかった。

でもそれはなりたくてなれるものじゃなくて、気づいたらなっているものだった。人と人のつながりは不思議だ。いつも、つながりたい相手とつながれるわけじゃない。自分の気持ちと相手の気持ちが奇跡のように重なり合って、ようやく紡がれる。

美幸ちゃんが土日に休める仕事に変わっていたら、美幸ちゃんが新しい相手を見つけていたら、自分は今のように必要とはされていなかったかもしれない。でも、美幸ちゃんは仕事を変えなかったし、今も新しい彼氏はいないみたいだ。

そばに誰かがいてくれることも、誰かのそばにいられることも、当たり前じゃない。自分の居場所を作ってくれた美幸ちゃんとさっちゃんには感謝しかない。だから、自分の身体がいうことを聞く限り、美幸ちゃんをサポートして、さっちゃんの成長をそばで見届けたいと思った。

「ようじぃの育児日和」

ふと思いついて、タイトルを変えてみた。その時、書きたいことを書いたらいいじゃないか、とそう思えたのだ。

更新したブログをもう一度眺めて、パソコンを閉じる。次にいつパソコンを開くかはわからないけど、それでもいいと思った。誰かのためじゃない、自分の人生だ。自分のやりたいように、自分が楽しいと思えることをやろう。

さて、そろそろさっちゃんのお迎えの時間だ。

今日は何をして遊ぼうか。

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