しんどさは、人それぞれ。 ー #れもんうむもん が教えてくれたものー
日本人は、とかくカテゴリーで語るのが好きな生き物だ。国籍、出身地、年齢、学歴、性別、血液型、果ては一人っ子か兄弟がいるか、さらに結婚しているか、子供がいるか作るつもりがあるかなど、実に細かくカテゴライズされ、それぞれの構成員はこういう風なものだよね、と定義されている。
女性なら料理はちゃんとできないとね、とか、男性ならこのくらいの荷物運べないとね、とか、大学出てるならこの位の仕事できないとね、とか、結婚したら子供作らないとね、とか、とにかく、属性に対して所定のフォーマットがあり、そうでないと生きづらい世の中だ。
しかし、しんどさ、大変さは個体差で生まれるものだ。年齢や性別によらず、体力も精神力も、ストレス耐性も人によって違うのだから、同じような経験をしてどう感じるかは人によって違うはずだ。
今日「れもん、うむもん!ーそして、ママになるー」という本を読んだ。
はるな檸檬さんという方がご自身の妊娠・出産・育児体験を漫画にしたエッセイ本。私は結婚しているけど子供はいないし、今後も子供の予定はないので、普通なら自分からは手に取らない本だ。
しかし以前、ツイッターで新井賞を知り「ダルちゃん」を買っていて、それを貸した職場の友達がはるな檸檬さんのエッセイに興味を持ち「れもん、よむもん」を買ったので、貸してもらっていて、すごく好きな一冊になった。そして、その子がさらに「れもん、うむもん」を買ったので、これも借りて読んだのだ。
正直、私には一生、妊娠、出産、育児のしんどさはわからないと思う。けれど、この「わからない」という感覚を大事にした方がいいのかなと最近思うようになった。それは、一人ひとり違うのに、勝手に同類項にして最大公約数みたいなもので語った言葉が、誰かを苦しめてしまうかもしれないからだ。
「れもん、うむもん」を読んで一番共感したのが、逆子のため帝王切開で出産後、入院していたはるなさんの所にお見舞いにきてくれただんなさんの「大丈夫?」という言葉に対するはるなさんの心の声だ。
見舞いに来た夫に「大丈夫?」とか声をかけられても返事をする力もない
元気があればグチのひとつも言える
だけどグチを言うのにも今の状況を説明して心境を説明して相手の反応を見てまたそれに答えて
結構力がいるものなのだと
今の私にはそんな力も余裕も全くありはしないと
本当に辛い時 人はただ押し黙っているしかないのだと私は初めて知りました
本当につらいときは、人はつらいことを他人に説明する気力さえ起きないのだ。
つらいといえば、私は毎月、PMSがひどい。
この期間は本当にしんどくて何もしたくないし、そのつらさを人に説明するのさえしんどい。
先日、だんなとこんな話をした。
勝手に「嫁として、だんなに夕飯を作らなくては」という思い込みがあり、それができない自分を責めていた。ごはんも作れない自分はなんてダメなんだ、と自己嫌悪。自分であるべき姿を勝手に想定して、それができなくて落ち込んでいたのだ。
しかし最近では、しんどいときはすぐにだんなに夕飯各自調達をラインで要請し、自分の食べるものだけ用意して、さっさと飯を済ませ、先に寝るようになった。それを許容してくれるだんなの不干渉さがとてもありがたい。
また、つらそうな日はあらかじめ有休をとって休んでしまう、という方法で、つらい時に人と関わらなくていい方法をとるようになった。しんどいときに、休みの連絡を入れること自体がつらいのだ。気を遣われて大丈夫?と聞かれるのもしんどいし、そもそも男性上司にそれを説明するのもできればしたくない。
そんなわけで、最近ではPMSでなくても、体調がいまいちなときは無理しないようになってきた。
そして無理しなくなったことで、以前のように、思うようにいかなくて癇癪を起こしてモノにあたったり、だんなに暴言はいたり、そういう自分が嫌になって、泣きじゃくったりする回数が減ってきて、ずいぶん、生きやすくなった(笑)
人は、本当にしんどいときは、そっとしておいてほしいのだ。そして、グチれるようになったら、聞いてあげたらいい。他人に対して、そんな配慮ができる人でありたいと思う。
「れもん、うむもん」は、生きづらい現代日本で「しんどさは人それぞれ」「無理せんとこ」「しんどいって言お」「助けて、そっとしといてって言お」「私は私、あんたはあんた」「お互いしんどいですな」そう言い合えるようになるための処方箋かもしれないな、と思った。
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