宇宙に靴をとばしたくなる気持ち

 信じられないことが起こった。
 つい先日、もう何千回と聞いたはずで何百回も歌ったはずの、aikoのボーイフレンドを口ずさんでいたら、突然にはっきりと、とてつもなく大きな感動を覚えた。ずっと噛んでいてもう味なんてしなくなっているのに仕方なく噛み続けていたガムが急に甘さを出してきたときのような、よく使われる表現であるかも曖昧だけれども「味の向こう側」のような。とにかく、もうボーイフレンドに味なんてしないと思っていたのに急に歌詞の一つひとつが鮮やかになって胸にグサグサと刺さってきたもんだから、あらためてaikoの偉大さ、素晴らしさに恐れ慄いた。

 ボーイフレンドなんて、私にとってはもう定番中の定番、あまりにも聴きすぎて聴き馴染みすぎているし、歌詞を見ずに歌えることはもちろん、間奏の「ァオーーゥノウォィエッエェーイ」みたいなのも完璧に歌えるくらいなのに、もう歌詞についていちいち考えることもないし、そもそも15年も歌ってきたはずなのに、本当に一体どうして。今更胸がこんなにぎゅぅっとなったのだろう?
 しかもしかもしかも。ボーイフレンドなんていう曲は、大して仲良くない人とカラオケに行った時に「誰の歌聴くの? へーaikoか。 じゃあボーイフレンド歌ってよ」とか言われた時用の歌だし、微妙な距離感の人でも必ず知っていて盛り下がらない歌としての鉄板曲であるのだし、ボーイフレンドという曲自体もちろんaikoの歌だし嫌いなわけはないのだが、たとえば気のおける仲の良い友だちとカラオケに行った時に歌う歌かといえばそうではなく、嘆きのキスとか透明ドロップとかビードロの夜とかを歌いたいし、ちなみにテンション爆高いときには雲は白リンゴは赤なんかを選曲したい。

 楽しい曲だとは思っていたけれど、正直歌詞の意味がいまいちつかめないでいた。テトラポットの上を歩くのはバランスを崩しそうで怖いし、靴とか飛ばしませんし、まぁ、aikoなりの好きの爆発の表現なのかしらと思っていた。
 急に胸に刺さったのは、私がテトラポットに最近のぼったからでもないし靴も飛ばしてない。けれど、何だか急にテトラポットの先っぽを不安定ながらにひょいひょい走って、勢いで靴を空にむかって蹴飛ばして、そしてそれが宇宙まで届けばいいのにという思いを、急にするするっと理解した。aiko、ボーイフレンドのことめちゃくちゃ好きなんやん!って、最高だなぁ!と思った。

 とにかくボーイフレンドへの大好きがあふれすぎて、このデカい愛の行き場が生活のどこにもなくって、とうとうこの愛が海とかの日常じゃないところにまではみ出してしまって、海なら受け止めてくれるかと思いきや収まりきれず、テトラポットとかいうあんなゴツゴツの危ないところを歩いたり走ったりして、そもそも靴なんて飛ばしたら帰り片足裸足やんどうするんという思いも一切よぎらずに、何よりもめちゃくちゃ最大級にデカい宇宙めがけてちっさいちっさい23センチくらいの靴をとばしちゃう。気づいたら雨は止んでいるし何なら星まで出てるくらいに二人でいるときは時間を忘れてしまう、そんな瞬間にはもう、当たり前のことなんて全てどうでも良くて、「好きよ、あぁボーイフレンド」の言葉に集約する。言葉にするとたった1秒で終わってしまうことが、歌になっている。恐るべしaiko。まったくうまく言葉にはできない、この好きな人をただめちゃくちゃに大好きという気持ちが、「テトラポットのぼっててっぺん先睨んで宇宙に靴飛ばそう」なのであり、それ以上の表現もなければそれ以下の表現もない。

 好きな人への気持ちを言葉にするのはそれはとてつもなく大変なことだから何より面倒だし、誰かに相談なんてしてもその二人だけにしかない空気や距離感がある上での気持ちだから本当の意味で誰とも共有はできない。だから本当の気持ちは言えずにそっとしまっておいて、それはもうこの世にありふれた簡単な言葉で済ましてしまうことが多いのだけれど、aikoは本当に実に丁寧にしっかりと伝えていて、偉いなぁと関心する。さすがだな、aiko。すごいなぁ、aiko。
 だからこれからも世の中の面倒くさがりの私たちにaikoの歌をたくさん聴かせてください。そして「そうそうそれそれ〜! それが言いたかったよ〜! ありがとう〜!」と感謝させてください。これからもどうぞ、よろしくお願いします。

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