「aiko」という底なし沼から抜け出せない

 aikoの全曲ストリーミング配信がはじまったことで、SNSにaikoがあふれている。分別も何も知らぬ幼き頃、底なし沼とはいざ知らず軽い気持ちでaikoにジャバジャバとハマってしまったことが原因で、現在は立派に肩まで浸かってしまっている身としては、この沼の重みを分かち合える人が増えるのかと思えば嬉しい。ただ、その沼の重みはすごいぞと言っておきたい。
 とにかくこの底なし具合はすごい。年々深さを増していて、もうそろそろ顔まで浸かって溺れ死にそうで少し怖い。昨日もまた、aikoの歌をワンワン泣きながら歌ったところであって、でもこれは私が情緒不安定だからでなく、aikoを聴くと情緒がブチ壊れるということを絶対に忘れないでほしい。

 aikoの良さなどを今更ありきたりの言葉で語るなどは野暮であるし、そもそも私は音楽については全然詳しくもないので、自分の語彙力で説明することなど到底できない。一言で言えば、今まで音楽ライブに行ったことがないというのがそれを象徴するエピソードだと思う。とにもかくにも、最近は特に音楽を聴かない。aiko以外で大人になって覚えた曲といえば、なぜか自分が生まれる前の歌や90年代の歌などで、とても同年代の子と盛り上がれる選曲ではない。

 そんな私なのに、とにかくaikoだけはずっとずっと大好きで、aikoに何度泣かされて、aikoに何度救われたか。そんなaikoが全曲ストリーミング配信を……。外でイヤホンをもう6、7年つけていない、音楽に興味がさほどない私が思わず登録などをしてしまい、今日からaikoをガンガン聴いている。中高のときは近所のゲオにaikoのCDを片っ端から借りてiPodに入れていたな、などとaikoの歌も相まってビシバシと感傷的な気持ちになった。
「aikoの詩。」は買って家で聴いていたけれど、それはシングルとカップリングのみの収録。とにかく全曲、となるともうそれはそれは大変なことになる。声にならない声が出ては「懐かしい……」とひとりごつ。aikoの詩が、aikoの歌声が、なつかしいあのアルバムの、何番目の曲が、私の心のほぼ死んでいた部分に勢いよく水やら血を送って、身体中に死に果てた思い出たちが巡り出す。
 まだ恋愛をよく知らない頃からaikoを聴いて、好きな人を思い浮かべては少し大人びた歌詞と自分を重ね合わせたりしていたものなので、よく聴いていたときに好きだった男の子をふいに思い出して、しかもその思い出した男の子の姿が中学の体操服を着ていたんだから本当に驚くばかりだ。
 

 aikoはメロディも歌声ももちろんのことだが、やっぱりやっぱりどうしたって歌詞がすごい。ノリノリで聴いていると、あるフレーズに電流が走り「今、この明るいメロディにのせて、何とおっしゃいましたか。どうかもう一度教えてくださいませんか」となり、慌てて歌詞を検索しもう一度聴く。そうしてその歌詞を自分なりに理解した途端に心がジンジン鳴って、情緒が狂い始め、ポトポトと泣き出したりする。しかもこれで終わりじゃない。そうして歌詞を存分に堪能したあとで、「そういえばこの歌のタイトルは」とタイトルを見ると膝から崩れ落ちる。もう言葉にならない。タイトルを思いながらもう一度その歌を聴いてホロホロ泣き、「良い曲だ……」となったところで、さらに気づいてしまう。「この歌が入っているアルバムのタイトルは……?」。これに気づいたときにはもう、いろんな思いに溺れている。情緒は終わりを迎え、無事すべての感度が最上級になり、ごめんなさいやありがとう、大好きがとにかく溢れ散らかしてしまう。

 aiko沼につかってしまうさらなる要因であるのが、この「あるフレーズに電流が走り」から「ごめんなさいやありがとう、大好きがとにかく溢れ散らかしてしまう」となるのが、聴いた1回目で起こることではないからだ。とにかくこの電流タイムに巡り会ってしまうタイミングは誰にも分からない。それまで何百回も聴いていて、歌詞なんて見ずに歌える歌だって、ある日急に電流が走るのだからaikoは恐ろしい。aikoが歌に込めた思い、それはものすごいパワーを持っていながら、あのポップなメロディーとのびのびの歌声でサラリと歌いこなすものだから、最初は毛頭「そんな」歌だと気づかないのが恐ろしい。

 aikoは助詞の使い方もうまいなと思う。アルバム「泡のような愛だった」の「卒業式」には、私の勘違いのせいではあるのだけれど、助詞たった一つで号泣させられた。
 この歌、とにかく私の高校時代の片思いを丸写ししたような曲で、ずっと大好きだった。最後のサビに入る前のフレーズが特に好きで、「ほつれたボタンに絡まる思い出 あなたとあたしは今日でさようなら」だと思って何も疑わずに聴いていたんだけれど、ふとした時に気づいてしまった。「あなたとあたしは今日でさようなら」ではなく「あなたとあたしは今日もさようなら」だったと。
「今日もさようなら」と「今日でさようなら」では全然意味が違ってくる。「も」だと気づいたときの衝撃と「やってくれたな」という気持ち。そうなんですよ、私たちは今日までもずっと何もなくって、「今日でもうお別れ」なんてものじゃなくて、いつだってずっと、何の関係性でもなくって、もちろん卒業式が終わったら絶対に会えないのだけれど、でもそんなことはこれまで通りで……と、とにかく「あなたとあたしは今日もさようなら」のたったこれだけのフレーズなのに、改めて掘り起こしてみるとすごすぎないか? 色んなことが詰まりすぎていないか? とaikoの脳みそに感嘆が止まらない。

 とにかくこんなのがaikoの歌には一つや二つじゃおさまらない。きっと誰かにとっては「今日もさようなら」だろうが「今日でさようなら」だろうがどうでもよくって聴き逃してしまうところなのかもしれない。けれど、誰かにとってはものすごく心に刺さるところになるのだと思う。aikoはそんな「誰か」をいつも想っているように思う。いつも一生懸命に詩を書いて、一生懸命に歌を歌ってくれている。あんなに小さな体からとてつもないパワーをもった歌声が元気よく飛び出して、容赦なくこちらの体の中心にブッ刺さる。
 aikoはジャケ写でもPVでもとにかく風に吹かれがちで、風が吹いても抗わず、髪がぐしゃぐしゃになって顔にかかってもそのまま歌う。悲しいことも幸せなことも溢れる想いをとにかく歌う。
 これからもそんなaikoの歌があれば、雨に打たれようが風に吹かれようが泥水に落ちようが、なんだか大丈夫な気がする。aikoの歌は私の情緒を一時的に乱し壊すけれど、それは一生ではない。情緒を壊されたあと私が必ず思うのが「aiko、ありがとう」だ。なぜなら、aikoの歌は、私の忘れていた気持ちや苦しい気持ち、行き場を失くした気持ちが顔を出して、どんどん無事に成仏させてくれるからだ。

 aikoがいる、aikoの歌がある。そして今、そんなaikoの歌をたくさん浴びることができる! こんなにありがたいことがあるだろうか。明日もはりきってaikoを聴いて、元気よく、底なし沼にジャバジャバ浸かるぞ。

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