<短編小説>髪切り男

 空が白々明るくなってきた。腕時計を確認する。余裕を持って少し早く出てきて正解だった。始発に間に合いそうだ。早く帰って、布団に飛び込みたい。僕は無遠慮に大きくあくびをした。
 大学のサークル仲間との飲み会を行い、終電を逃してしまった為、そのままカラオケボックスへと流れて行った。喉を押えて、軽く咳をした。喉の違和感を隠せない。
 駅のロータリーに到着し、円に沿って歩いていくと、駅の改札へと向かうエスカレーターがある。僕はあくびが原因で生まれた涙を指ですくう。もう一度、あくびが出そうになって、空を見上げた時に、反射的に動きを止めた。視界の端に何かが映った気がした。歩く先にある交番を眺める。ぼやけた視界を擦り、交番を凝視した。やはり、気のせいではなかった。今は警察官が出払っているのだろう。無人の交番の前で、女性が座り込んでいる。
 厄介ごとに巻き込まれるのは迷惑なので、交番から離れて歩いた。チラリと視線だけを送り、通り過ぎようとした。
「あれ? あの人、寝てるのか?」
 女性は交番の壁に背を預け、口をぽっかりと開けて眠っている。酔いつぶれたのだろうか? さすがに、女性があんな無防備な姿で眠っているのは、可哀そうだ。お嫁にいけなくなる。僕は小さく溜息をつき、女性に歩み寄ろうとした。
「君? 何か用かね?」
 突然背後から肩を掴まれて、飛び上がりそうなほど、驚いた。慌てて振り返ると、制服を着た初老の警官が立っていた。
「あ、いや。交番の前で寝ている女性がいたので、心配になって」
 僕が答えると、警官は僕の肩越しに覗き込むように首を伸ばした。
「あーあー! 酔っ払いか? まったく、困るなあ!」
 警官は僕の横を通り過ぎ、女性の傍で座り込む。
「ちょっと! お嬢さん! こんな所で寝ていたら、風邪ひくよ。彼に襲われちゃうよ」
 警官は、女性の肩を叩きながら、僕に向けて親指を向けた。何を言い出すのかと驚いて、無意識で駆け寄ってしまった。僕が警官の背後に立った時に、女性は目を覚まし、目を丸くした。
「なんですか!? あなた達!? 警察呼びますよ!」
「はいはい、お呼びですか? お嬢さん。こんな所で寝ちゃダメだよ」
 警官は、敬礼をして、にこやかに微笑んだ。
「え? あ・・・え? す、すいません」
 女性は慌てて立ち上がり、尻を叩いている。状況が飲み込めていないようで、辺りを見回したり、カバンの中身を漁ったりしている。
「昨晩は、飲み過ぎたのかな? ほどほどにしときなさいね」
「え? あ、いえ、私お酒飲めないので・・・あの、ご迷惑をおかけしました」
 警官の問いに、女性は片手を振り、頭を下げた。頭を元の位置に戻した女性は、カバンから鏡を取り出して、覗き込んだ。その瞬間に、大きな悲鳴を上げた。まるで、鏡の中に幽霊でも映り込んだかのような叫び声だ。
「か、か、髪が! 私の髪が!」
「ど、どうしたんだい?」
 取り乱す女性を宥めながら、警官は女性を交番の中へと連れて行った。一体何事かと、気にはなったのだが、さすがに部外者が首を突っ込むわけにはいかない。後ろ髪をひかれる思いで、僕は駅へと歩き出した。
 昨日の日曜日は、目が覚めたら夕方で、一日寝て過ごした。夕方から美容院の予約を入れていたのだが、仕方なくキャンセルした。今度は、明るめのブラウンで、パーマをかける予定だ。行きつけの美容院は、なかなかの人気店で、今度の予約を取れたのは次の日曜日だ。自業自得は分かっているのだが、お預けを食らうと、現在の髪が無性に嫌になってくる。頭頂部の周辺だけが黒くて、まさにプリン状態だ。気になって仕方がない。
 月曜日、大学の講義後、サークル活動が終了し、仲間達とファミレスへと向かう。時間が経つのも忘れて、友人達と談笑した。店を後にし、仲間と別れ、一人で駅の改札へと向かっていた。平日の夜ともなると、人通りが少ない。僕は透き通る星空を眺めながら、のんびりと歩いていた。
「お! 流れ星!」
 真っ黒の空のキャンバスに、スウと光が伸びて消えた。久し振りに見た流れ星に、少し心が躍った―――その時だった。背後からタックルを食らったような衝撃を受けた。口元に何かを押し当てられ、抵抗する間もなく、意識が途絶えた。

 僕が意識を戻すと、そこは真っ暗闇であった。気怠さに襲われ、思考が働かない。どうやら、僕は座っているようだ。思い出せる限り、現状を整理するけれど、上手くいかない。
「んー! んー!」
 必死に声を出したが、言葉にならなかった。どうやら、猿轡をはめられているようだ。手足をばたつかせるが、ガタガタという鈍い音が響くだけで、身動きが取れない。尻に伝わる固さと、ミシミシという軋む音から、木製の椅子に座っているようだ。両手は後ろ手に縛られ、両足はそれぞれ椅子の足に固定されている。
「お? 目が覚めたのか? 珍しいな」
 地面を踏む足音と共に、低い男の声が聞こえた。僕の体は、無意識に跳ね上がった。
「よし、褒美に口を自由にしてやろう。ああ、ちなみに、叫んでも誰も来やしない。試してみるといい」
 男が僕の背後に回る気配がする。口を束縛する圧迫感がなくなり、僕は急かされるように呼吸を繰り返した。そして、大声で叫んだ。どう考えたって、緊急事態だ。助けを求めて、叫び声を上げ続けた。しかし、状況は何も変わらない。
「な? 言った通りだろ? だからおとなしくしていろ。そうすれば、苦痛を味わうことはない」
 平坦な口調で、男の声は耳を通過する。
「あ、あなたは、誰ですか? 僕をどうするつもりですか? 目的は何ですか?」
 声もそうだが、全身が震えてくる。泣きそうになるのを必死で耐えている。
「俺は俗にいう、犯罪者だな。まあ、変質者ともいうけど。お前は、ただじっとして、座っていればいいんだ。目的は直に分かる」
「は、犯罪者?」
 唾を飲み込み、息苦しくなった。ネットやテレビ、もしくは映画などでは、よく耳にするが、その名称を自称する人に初めて遭遇した。恐怖心が駆り立てられた。
「そうだ。悲しい悲しい犯罪者だ」
 男は僕の背後に立って、カチャカチャと金属がこすれ合う音を響かせた。男は、おもむろに僕の髪の毛を振れる。逃れるように、反射的に体が勝手に反応して、椅子が軋む。
「だから、動くなって。痛い思いはしたくないだろう? 俺は別にどっちでもいいけどよ。痛いのは、俺じゃなくて、お前なんだから」
 声を荒らげて脅された訳ではないのだが、低音の声を押し付けらえたように感じ、金縛りのように体が動かない。すると、頬に冷たい感触が伝わり、反射神経を強引に抑え込んだ。動かない方が賢明だ。耳元に不快は音が響き、背筋が冷たくなった。よく聞く音なのだが、こんな状況だとこんなにも恐ろしい音なのだと知った。
「あ、あの・・・いったい、何を?」
「髪切ってるんだよ。分かるだろ」
 男は面倒臭そうに吐き捨てた。確かに、僕も髪を切られているのは、理解していたが、質問の仕方を間違えた。何を? ではなく、何故? であった。聞き返すのも躊躇してしまう。僕は悟られないように、ゆっくりと深呼吸をして、心臓を落ち着かせる。
「どうして、髪を切っているんですか?」
 どうしても、声が震えてしまう。まさか、髪の毛を親に送り付けて、身代金を請求するということなのか?
「髪を切りたいからだ。まあ、正確には、俺の切りたいように、切りたいからだ」
 髪を切断する音を響かせながら、男はぶっきらぼうに言う。
「あ、あの、それなら、美容師になるとか、友達に頼めばよいと思うのですが・・・なにも、こんな危ないことをしなくても・・・」
 男を刺激しないように、ゆっくりと話していく。激情してハサミを突き立てられれば、一貫の終わりだ。男の舌打ちの音が響き、目を強く閉じた。
「言ったろ? 俺が切りたいように、切りたいと。どいつもこいつも、似合いもしないリクエストする馬鹿に付き合っていられない。髪質や顔の輪郭、パーツの形や配置、人それぞれ向き不向きがあるんだ。それを馬鹿みたいに、俳優がどうのアイドルがどうのと・・・それに、友達なんかいない」
 感情が読み取れない、平坦な口調が続いている。自分を卑下している訳でなく、ただ事実を伝えているといった感じであった。
「じゃ、じゃあ、元美容師さんなんですね? ハハハ、ちょうど美容院に行きたかったから、嬉しいなあ」
「声が震えてるぞ。そんなご機嫌取りなんかしなくても、おとなしくしてたら、無傷で返してやる。カッコよくしてやるから、楽しみにしておけ。それに、これは、お前の為じゃなくて、俺の欲求解消の為だ」
 男は小さく鼻で笑った、ほんの少しだけど、場が和んだ気がした。あまり調子に乗って話すのも危険が増すだけだ。犯罪者を捕えようだなんて、そんな正義感は微塵もない。ただ、無事に帰りたいだけなのだから。でも、やっぱり、気になる。
「あの、欲求解消とは、どういうことですか?」
「そのままの意味だ。俺は、俺好みに髪を切ることでしか、興奮できないし、快感を得ないんだ。お前らがいうところの変態だ。女や美味い食事や高級品では、俺の欲求は解消できない。ただ、髪を俺好みで切るしか、満たされないんだよ。異常な性癖って奴だ」
 悲しい悲しい犯罪者。男が言った事は、そういう意味だったのだ。実際に会ったことはないが、快楽殺人者や暴行犯など、歪んだ癖を持っている人がいるとは、聞いたことがあった。しかし、どれも現実味がなく、フィクションなのだと勝手に思い込んでいた。犯罪行為でしか、満たされないとするならば、とてつもなく不幸なことなのだろう。だからと言って、そんな人達を擁護はできないけど。少なくとも、この僕の髪を切っている男は、自分の行為が犯罪であることは、理解しているようだ。
断続的に響いていた髪切り音が途切れると、今度は鼻を刺す刺激臭が漂った。何かの薬品を取り出したようだ。少し驚いたけれど、嗅ぎなれた匂いであり、落ち着きを取り戻した。視覚を閉ざされていると、他の感覚が鋭敏になるというのは、本当のようだ。僕は、無駄な抵抗をすることなく、男の言うように、ただ黙ってされるがままだ。次第に恐怖心が消えていることに気が付き、驚いている。まるで、目を閉じ、いつもの美容院にいるような錯覚さえしてしまう。それは、愛想のない男の口調とは裏腹に、男の所作が物凄く丁寧で優しかったからだ。
 髪を洗われて、乾かしてもらう。もうすぐ、終わるのだろう。
「すいません・・・これからも、続けるんですか?」
「ああ、そうだな。捕まって死刑になるまではな」
「・・・そうですか」
 なんだか、無性に悲しくなってきた。寂しくなってきた。
「さあ、お終いだ。怖い思いをさせて、悪かったな。目覚める奴は、少ないんだが。お陰で、満足できた」
 男は、僕の両肩に背後から手を置いて、耳元で呟いた。そして、咳払いをする。
「ありがとう」
 男の声が耳元で響き、意識を失った。

「ちょっと! お兄さん! こんな所で寝てちゃ風邪ひくよ!」
 激しく肩を叩かれ目を覚ますと、初老の男性の顔が目前にあった。僕は声を出して、飛び起きた。
「まったく、平日に酔いつぶれるなんて、良いご身分だねーって、あれ? あんたこのあいだの」
 先日、会った警察官のおじさんだ。僕は後ろに振り向くと、ここは交番であった。
「どうも、すいませんでした」
 僕は立ち上がり、警察官に頭を下げた。警察官は大きく溜息を吐いた。
「全く、最近の若いもんは。恥じらいってものがないのかねえ?」
「すいません。ああ、それで、この前の女の人は、どうなったんですか? 髪がなんとかって騒いでたと思うんですが」
 僕が訪ねると、警察官は帽子を取って、薄くなった頭髪を掻いた。
「ああ、あの子ね。なんだか、要領が掴めなくてね。起きたら、髪が切られて色が変わっているって、そりゃあ大騒ぎだったんだよ。でも、しばらくしたら、ジッと鏡で自分の顔を見つめ出して、今までにないくらい理想的だってさ。被害届出すか聞いたんだけど、別に良いって言うんだよ。しかも、携帯を渡されてさ、写真を撮ってくれって言う始末でね」
「写真ですか?」
「ああ、今度美容院に行った時に、この写真を見せてリクエストするんだってよ。まったく、訳が分からない。こっちは、いい迷惑だ」
 警察官は、呆れたように溜息を吐いた。話を聞いて、思い出した。
「すいません! 鏡を貸してもらえませんか?」
 僕が言うと、警察官は面倒臭そうに、交番の中を指さした。頭を下げて、交番の扉を開き、壁に掛けられている鏡を覗き込んだ。プリン状態になっていた髪が短くカットされ、黒髪になっている。しかも、金メッシュが絶妙に入れられていた。僕は、しばらく、鏡から目が離せなかった。
「なんだい、なんだい。あんたもかい?」
 僕は深々とお辞儀をして、逃げるように交番を飛び出した。思わずにやけてしまう口元を手で押さえた。体がいつもより、軽やかに感じ、跳ねるように駅の改札へと向かった。しかし、ふと思い出して、ピタリと足を止める。これほどの技術があって、それぞれに似合う髪を作れるのに・・・彼が行っていることは、あきらかに犯罪だ。許されるものではない。彼は欲求を満たしたいだけであったが、しかるべき場所で行えば、大勢の人を幸せにできるのに。そう思うと胸が苦しくなってきた。『捕まって、死刑になれば』彼はそう言っていた。彼の為にも、捕まった方が良いのかもしれない。そして、罪を償って、多くの笑顔を生み出して欲しい。死刑には、なって欲しくない。罪を重ねて欲しくない。素晴らしい腕と、素敵な感性を、己の欲求解消だけに使って欲しくない。才能の無駄使いだ。これは、僕のエゴなのかもしれないけど。
 僕は、踵を返し、交番へと歩いて行った。
 どうか、彼を捕まえてあげて下さい。彼を助けてあげて下さい。
 余談ではあるが、数日後、彼女ができた。しかも、同時に三人から告白された。どうやら、聞くところによると、変わったのは髪形だけではなく、性格が明るくなったそうだ。不思議なものだ。
 もしも、悲しい犯罪者に、もう一度会うことができたなら、お礼が言いたい。
<完>


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