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「器用貧乏」タイプが、自分の活躍できる場所を見つける方法

「仕事の声がかかる人がうらやましい」

指名で仕事の依頼がきたり、「◯◯ができます」と自信を持って言える。個が活きる時代なもんだから、そんな人を周囲やSNSで見かけると「いいな〜」と思っちゃいませんか。(僕は思っちゃいます)

「デザインできます」「営業でMVP取りました」と、ある道を極め活躍するキャリアが王道に感じますが、一芸を磨く以外に「自分の活躍できる場所を見つける」方法はないのかな?と思うんです。

アレもコレもよく言えば75点。一芸のある人に隠れて見えづらい、地味で、泥臭い。そんな器用貧乏キャリアについて考えてみたいと思います。

こぼれ球を拾いにいく

20代後半のころ。キャリア相談やファシリテーション、デザイン...などなど。一芸に秀でた周囲の超優秀なメンバーと比べて、自分は至って普通で凡庸だな〜と自己肯定感が爆下がりした時期が長くありました。

スキル(芸)だけではなく情熱もそうで、「教育を変えたい」のような「自分は◯◯を実現したいんだ!」と情熱を傾けられることもなく。

自分も一芸を磨かなければ!の焦りから、Progateでプログラミングを学んでみたり、WEBデザインの教科書を買ってWEBサイトをつくってみたり、ライティングスクールに通って記事制作をしてみたり、などなど。(思い返すと、つまみ食いみたいで品がないですね...)

多くの時間を迷走に費やした20代後半を過ごしたのでした。今思えば、目の前に集中できない時間が、本当にもったいなかったと反省します。

ただ迷走しながら気づけたのは、特定のスキルを磨き続けていくことに向いていないこと。そして「できることをやろう」という、至極当たり前のことでした。

例えば、

・地味で面倒な業務を仕組み化する
・対応が面倒なクレーム対応を率先してやる
・誰も運用しないSNSやWEBを地道に更新する
・低予算で大きなイベントをするときには会場利用料の交渉をする
...などなど

やれば誰でもできそうだけど、プロジェクトを進める上で「明確に担当が決まっていない」仕事をとにかく拾いに行こうと。

「誰にお願いしたらいいかもわからない」カオスな状況にまず飛び込んで、一緒に手足を動かしながら一つ一つ丁寧に整理する。「部署間の連携」が円滑に進むように情報や場を準備する。

そうするうちに自分は特定の芸を磨くのではなく、極論、やることは何でもよくて、ただ「その場にいる人たちが、どうすればその才能を発揮できるか」ということに情熱を注げるんだと気づいていくのでした。

今では研修や人事制度企画の仕事、いわゆる組織開発のプロジェクトや事業推進のための広報やオペレーション構築など経営と現場、部門と部門、会社と顧客などの「間」をやりくりするに仕事に関わる機会が増えてきました。(地方企業の多くは人事や広報などの専門部署が無いことが多く、ここは「こぼれ球」が多い領域だと思う。)

ああ、一芸で飛び抜ける以外にも「自分が活かされる・貢献できる」場所はあるんだと、遠回りながら発見できたんですね。

自分のポジションは、他人が決める

そんな経験もあってか、最近読んだ記事でベスト・オブ・グッときた名記事がこちらです。(今の仕事どうしようかな〜と悩んでいる人は、何かヒントが見つかるはず)

オフィスのエントランスと執務スペースをつなぐドアがあるんですけど、いつも大きな音をたてて閉まるのが気になっていたんです。(中略)扉を直すためにAmazonで器具を買って、DIYで修理をしたんですよ。バタン!って音がしなくなると、みんなもワーッと喜んでくれた。まあ、些細なことですし、その場はそれで終わったんですけど、その夜、居酒屋で飲んでいたら代表の高木から電話がかかってきたんです。「染谷の価値って、ああいうところにあると思うんだよね。コーポレートチームの専任になってくれない?」と。僕はプロデューサーの仕事もまだまだ続けるつもりだったし、「あれ?そうなっちゃうの?(笑)」と驚きましたけど、引き受けることになりました。(下記noteより引用)

元々は「プロデューサー」として仕事をしながらも、仕事やスタッフへの細やかな気づかいを見いだされ、「さらに自分自身が活かされる役割」として「コーポレートチーム(スタッフを裏方から支える仕事)」に出会った、ということだと思います。

同じように、社内や周囲で活躍している人は、誰もが一芸のスキルが秀でているわけではないはずです。

・その人がいるだけで会議が円滑に進む、いつもご機嫌な人
・「これ、準備しておきました」の気遣いで円滑な業務運営に貢献する人
・部署間の連携がスムーズに進むように、間をつなぐハブを担ってくれる人

会社やプロジェクトにおいて「こぼれ落ちる仕事」はたくさんあって。それに応え続けることで力が身についたり、自分が最も活かされるポジションが見つかることもある。そう思うのです。

ちなみにサッカー日本代表の長友選手は、大学時代にボランチを希望していましたが、監督に「一体一の守備の強さ」を見いだされ左サイドバックへコンバート。そしてその後、日本代表、世界で活躍するトップ選手に。

自分のポジションは、他人が決める。こぼれ球を拾うことで経験の幅が広がって、「自分が最も生きるポジション」に出会える確率は上がっていくんじゃないかと思います。

一芸を磨くのも器用貧乏に進むのもどちらがいい悪いではなく、選択肢だと思っていて。

「子どもの教育に関わる!」とか「マーケティングを極める!」と自分にとって情熱を注げる対象があれば、その道を突き進んだらいい。

ただ、一芸ある人の影に隠れて見えづらいんですが、こぼれ落ちる球を拾う人は必ず必要で、「こぼれ球を拾い続ける先に築かれる器用貧乏キャリア」という選択肢もあるんじゃないかなーと思ったのでした。(...長いのでもっとうまく言える言葉を考えたい。)

個の活躍が喜ばしい反面、むしろ多くの人にとっては自分の道に迷いやすい時代。立ち止まって迷う時間も必要ですが、1日悩んだら、「目の前のできることに集中」する。その積み重ねが自分だけのキャリアにつながっていくはずです。

さて、目の前のことに…。

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