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旅人の笑顔

 二〇一七年一月某日深夜、離陸したタイ国際航空の飛行機の中で、僕は縮こまっていた。
 バンコク・スワンナプーム空港行きの飛行機は満席で、機内右側の中央の席しか空いていなかった。窓側のタイ人らしき女性は疲れているのか微動だにせず眠っており、通路側の日本人男性はいびきをかき、機体の揺れとともに時折大きく咳き込む。前の席の若いカップルは仲良く一緒のイヤホンで座席モニターの映画を観ていた。
 一方、こちらの席に備え付けられたイヤホンジャックは壊れているらしく、目の前の画面に映っている『シン・ゴジラ』の音声は片側からしか聞こえてこない。羽田を飛び立つときのきりもみ回転のせいで、耳の調子もおかしかった。
 何かに急き立てられたわけでも誰かにそそのかされたわけでもない。年末年始の休みをずらしてどこかに行こうか。せっかくの休暇だから暖かい場所でのんびりビールでも飲みたい。いっそ海外に行くか。ふとそう思っただけだ。
 そもそも旅慣れてはいない。海外に憧れもないし、英語も話せない。パスポートの申請からして十年ぶりだ。
 暖かく、ビールが飲めるという条件なら候補地はいくつもあった。その中からなぜタイを選んだのか。ごみごみしていてそこまで遠くない距離。物価は安く、そして少し危険な香りのするところが気に入ったのだろう。
 ネットで調べると、JTBの手頃な格安ツアーが見つかった。プールがあるところを見ると、ホテルもそう悪くない設備らしい。自由行動以外の日はすべて食事付きで、ホテルにはレストランがいくつもあり、入り口にはセブンイレブンまである。つまり外に出歩かずとも生活がそこで完結するわけだ。一人でのんびりするにはいいなと思い、僕はJTBの窓口に向かった。

 飛行機の座席で小さくなっていた僕は、バックパッカーのバイブルとして名高い沢木耕太郎『深夜特急』のエピグラフをなぜかしきりに思い出していた。

ミッドナイト・エクスプレスとは、トルコの刑務所に入れられた外国人受刑者たちの間の隠語である。脱獄することを、ミッドナイト・エクスプレスに乗る、と言ったのだ。

沢木耕太郎『深夜特急〈第一便〉黄金宮殿』一九八六年

 無論、僕は沢木の描く「私」のようなバックパッカーでもなければ「脱獄」の意識もなかった。それに感傷的過ぎる『深夜特急』は五巻の途中から読み進めなくなっていた。「私」が突如旅に出たのは二六歳と近い年齢だが、こんな旅ができるのはこの人だからに違いない。
 しかしどういうわけか、僕はこの『深夜特急』の五、六巻を今回の旅に持ってきていた。大型のスーツケースは叔父から借りた旧式のものだ。カメラだけは新品を購入したが、今回の旅が終わればすぐ売りに出せばいい。何せこれは「脱獄」でも何でもなく、ただの休暇なのだから。
 そう思いながら眠る努力をしたが、結局一睡もできなかった。

機内食。味がさっぱり思い出せない

 飛行機が無事着陸すると、一斉に乗客が立ち上がった。急かされたような気がして、こちらもそそくさと席を立つ。しかし、座席の下にしまいこんであったバッグを引っ張り出しても一向に乗客が降り出す気配はない。そのとき、右隣で熟睡していたはずの女性と目があった。こうやって面と向かってみると、小麦色の肌がますます印象的だ。彼女は収納棚を指差した。
「トゥー」
「……」
「トゥー、バッグ」
 彼女はルイヴィトンのハンドバッグをすでに手に提げていたが、他の手荷物を棚に入れているらしい。少し背伸びして棚をのぞくと、免税店のものと思しきビニール袋が二つ置かれている。
 袋を慎重に下ろし、彼女に手渡した。すると彼女は「サンキュー」と言いながら素晴らしい笑顔を見せた。なるほど、これがあの「微笑みの国」の微笑か、と思った。
 飛行機を降りても外国に来たという実感は湧かなかった。暑いと聞いていたわりには涼しく、照明が暗いところを除けば羽田と何の変わりもない。
 しかし、入国審査を終え、スーツケースをピックアップして税関のゲートを通ると、湿気っぽい暑さが一気に身を包んだ。朝日もまだ昇っていないのに、一月の日本とはまるで違う。夏でもここまで湿気っぽくはないだろう。それだけで新鮮だった。
 さっきまでは日本人の姿もちらほら見かけたが、周囲は当たり前のようにタイ人だらけになっていた。英語で表記されたものもまだいくつか目に入るが、日本語は一切見かけない。
 しばらくその場でぼんやりしていると、中年の女性から片言で声をかけられた。彼女は日本語の名前をつっかえながら何度か繰り返した。どうやらツアーガイドのようだ。勝手な想像ではJTBの旗を手にしていると思っていたが、何も持っていない。年格好だけでこちらが客だと判別できるものなのだろうか。
「オハヨウゴザイマス。バスハコッチデス。イキマショウ。タイハハジメテデスカ? コレクーポンケンデス。アトコレオプションツアーノパンフレットデス。コレハカエリノシュウゴウジカンノ……」
 大きな荷物を引きずって聞くには早口すぎた。何せ初めてに等しい海外なのだ。周りの風景、人、気温。すべてが目新しく、本能的にそれを吸収しようとする頭にはさっぱり言葉が入ってこない。
 ホテルまでのミニバンの中でも、女ガイドは今までに何百回も口にしたであろう規定通りの言葉を繰り返した。
「タイを案内するガイドは別の男だ」
「ホテルまでは三十分ぐらいかかる」
「パスポートは外に持ち歩かない方がいい」
「ぼったくりが多い」
「いい人もいれば悪い人もいる」
 最後の言葉で思わず吹き出しそうになった。そんなこと、どこの国でも同じではないのか? まさかこのミニバンに乗っているあなたが、無条件に「いい人」だとでも言うのだろうか……。
 横目に流れていく高速道路の景色を眺めながら、僕は徐々に不機嫌になっていった。身体の中を循環し始めた不安や疲れがそんな気分にますます拍車をかけているのがわかる。格安ツアーなのだから、王侯貴族のような旅をしようとはもちろんしていない。でも、来てそうそう警告めいたことばかり言わなくてもいいではないか。
 不思議なことにミニバンの中でその不満を抑えてくれたのは、飛行機の中で目にした小麦色の肌を持つ女性の笑顔だった。
 一瞬の、そんな些細な出来事でも僕を勇気づけるには十分だったのだ。

 飛行機が苦手だった。鉄の塊が飛んでいること自体が不気味だとか、そういった想像力が働いていたわけではない。高校の修学旅行のとき、やたらと飛行機を怖がる同級生の女の子がいて、何となく眺めていたその光景が記憶の片隅に残ってしまったのだ。
 それに初めてタイに行ったときのフライトが有意義とは程遠いものだったこともある。揺れに揺れたことは頭に残っているのに、機内食の味がまったく思い出せない。
 しかし、一方では懐かしい思いもする。液晶画面が目の前に付いているタイプの座席でなら『クリード』も『ボヘミアン・ラプソディ』も『スターウォーズ』の新しいやつも観たはずなのに、飛行機で観た映画で一番記憶に残っているのは、あのときの『シン・ゴジラ』だ。

タイ国際航空の機内

 飛行機は別として、空港の雰囲気は好きである。羽田空港か成田空港のどちらが好きかと問われれば羽田の方が好きだ。成田派が多いことは知っているが、自宅からの近さを考えるとどうしても羽田に軍配が上がる。
 もっとも、格安航空券を念頭に入れるとそうも言っていられない。搭乗時刻を逆算すると始発で家を出なければならないことがしばしばだが、東京駅まで行ってしまえば直通のエアポートバスがあるし、成田空港を選ぶ頻度が多くなった。セキュリティチェック前のゲートにある巨大な案内板を見上げると確かに旅への高揚感が湧く。

成田空港

 海外の空港で思い出深いのはラオス・ビエンチャンのワットタイ国際空港だ。今は新しく増築されたようだが、そのときのワットタイ空港はまだ拡張工事の途中で、非常に華奢な作りをしていた。僕はその日、早朝の便でベトナム・ホーチミン市のタンソンニャット空港に飛び立つことになっていた。
 ホテルで頼んだ送迎のバンに乗り込み、降ろされた場所で途方に暮れた。空港というよりぱっと見は寂れた区役所のようで、殺風景な上に人の姿もない。とりあえず空港内に立ち入って小さな電光掲示板を眺めたが、搭乗するはずの便も見当たらなかった。
 東南アジアでは便が欠航することが往々にしてある。事前に知らせてくれるわけでもなく、空港に行って初めてそれがわかる。そんな噂はよく耳にしていた。実際に空港のカウンターで揉めている人の群れを見かけたこともある。ひょっとすると、今の自分もその渦中に放り込まれてしまったのではないか……。
 スマートフォンに表示された便名と電光掲示板を再度見比べてみる。やはりどこにも同じ番号がない。目の前に立っていたアジア人の青年も紙片を片手にディスプレイを見ていたが、そのうち諦めてどこかへ行ってしまった。
 ルアンパバーン、パークセー、サワンナケート……。
 ハッとして電光掲示板を見た。念には念を入れ、二回それを繰り返す。
 何のことはない。バンの運転手が勘違いして国内線の乗り場で僕を降ろしたのだ。外に出て建物を見上げると、案の定“Domestic”の文字があり、壁にはご丁寧に矢印と“International”と書かれた紙が貼ってあった。
「エクスキューズミー」
 突然声をかけられて振り返った。さっきディスプレイの前から姿を消したアジア人の青年だった。彼は紙片を出し、英語で何事か訴えた。
 このフライトはなくなったのか、キャンセルされたのかと訊いているようだった。顔に焦りの色があった。印刷された番号を見ると、僕が乗る予定の便のものと同じだった。
「ノー。あー、ヒア・イズ・ドメスティック・エアポート。あー、えー、ハウエバー・ウィー・マスト・ゴー・トゥー・インターナショナル」
 ひどい英語だと思いながら答えたが、青年は言わんとすることをすぐに理解し、「ユーアースマート」とつぶやいた。
 国際線のチェックインカウンターに行き、青年と別れて係員に声をかけた。すると係員は申し訳なさそうに眼前に置かれたデジタル時計を指差した。ぴったりの始業時間にならなければ対応ができないということらしい。周囲に目をやると、時間を持て余している旅人が何人かいた。
 とにかくこれでホーチミン市に行くことはできる。ホッとした思いで建物の外にあるベンチに腰かけてタバコを吸っていると、青年に再び声をかけられ、缶コーヒーを手渡された。どうやらお礼のつもりらしい。
 ありがたく受け取って話をした。青年はソウル生まれの韓国人だった。僕より若く見えたが、すっかり日焼けしているところを見ると、かなりの長期間旅をしているようだった。
 彼は、大学卒業後に就職した会社を上司と喧嘩して辞め、アジア放浪の旅に出たと流暢な英語で言った。その喧嘩もただの言い争いでは済まなかったらしい。
 好奇心から何の仕事をしていたのか訊くと
「ベリービジージョブ……」
 青年は一言つぶやいて頭を振ったが、思い出したようにスマートフォンをポケットから取り出して数枚の写真を見せた。部屋に置かれた机に子どもたちが何人か座っており、黒板の方を向いている写真だった。黒板にはハングル文字を記したポスターが貼ってあり、壁に太極旗が掲げられている。
 聞くところによると、今はミャンマーに居を構え、韓国語の学校を作っている最中らしい。
「おー、ベリーナイス」
 こちらが親指を立てると青年は照れながら「センキュー」と答えた。
 出国手続きを済ませ、飛行機に搭乗する待ち時間も彼と一緒だった。ベトナム経由でいったん韓国へ帰るのかと思ったが、そうではなく以前ベトナムで知り合った友人との予定があり、そのために一度ホーチミン市へ戻らなければならないという。それもいつまでに予定が終わるかわからないとのことだった。
 僕は不安になって訊いた。
「ドゥー・ユー・ハブ・リターンチケット? オア・ダミー?」
 彼は首を振って「ノー」と答えた。
 不安が的中した。飛行機で入国した際に第三国への出国チケットがないと、東南アジアでは揉めることが多いのだ。実は他の国もそうなのだが、特にベトナムはこの規則が厳しい。僕も毎回入国するときに帰りのチケットがあるかどうか訊かれ、印刷した書面をいちいち見せていた。
 書面がなくともその場で飛行機を予約し、チケットを購入したことを証明できればまだいい。最悪の場合が入国拒否だ。これを確実に回避するためには払い戻し可能な正規航空券をクレジットカードで購入しておき、入国後すぐにキャンセルする必要がある。カードの与信枠を使ってダミーのチケットをあらかじめ用意しておくのだ。こうすれば手元の現金はなくならないし、口座から金が引き落とされる前にキャンセルの処理がなされる。しかし、いかにも旅慣れているといった感じの彼がそんな初歩的なことを知らないのだろうか?
 僕が真剣な面持ちでその疑問を英語に翻訳しようとすると、青年はチッチッチと口を鳴らし、言下に答えた。
「バット・アイハブ・フェイクチケット……」
 フェイク、に力を込めて彼がにやりとした。吊られてこちらも笑った。ダミーではなくフェイクと言い直したからには僕のあずかり知らぬ別種のチケットが世の中には存在するのだろう。さすがに旅慣れている人間は違う。
「ゼア・イズ・ノープロブレム」
 僕がそう言うと、青年はやはり不敵な笑みを浮かべた。
 やって来た飛行機はプロペラの双発機でお世辞にも万全とは言いがたい状態だったが、そのときも彼は面白がって笑っていた。
 旅を、そして今を楽しんでいる笑いだな、と素直に思った。

タイ・チェンマイからベトナム・ハノイに行くときに乗った飛行機

 マレーシアのクアラルンプール国際空港での出来事も思い出深い。ホーチミン市から日本へ帰国するのにトランジットで立ち寄ったときのことだ。入国できるほどの時間があれば街に出たのだが、そんな余裕もなく、かといって乗り継ぎがスムーズなわけでもなく、出発する予定の便の搭乗口の前で僕は暇を持て余していた。
 体力に余裕があれば空港内を探索してみるところだ。しかし、そんな気持ちにはなれず、僕はゲート前のベンチに腰かけていた。あとは日本に帰り、日常に戻らなければならない。行きと違って帰国するときはいつも気の抜けた状態になってしまう。僕にとっては後ろ髪を引かれる思いのまま、寂しさをまぎらわす時間である。重い荷物を背負って移動するのも億劫だった。
 幾人もゲートの前に来てモニターを見ては去っていく。どこに搭乗口があるのか念のため確認しに来ているのだろう。
 一人、西洋人らしき白人の女性が同じようにモニターを確認し、振り返るときに目が合った。旅の最中であればこちらから笑いかけ、会話を交わそうとしたかもしれない。だが、そうはせずに顔を伏せた。人と話す気力がもうなかった。特に英語は一言も口から出そうになかった。
 期せずして、その女性が近づいて声をかけてきた。
「まだゲート開きませんか?」
 流暢な、イントネーションも正確な日本語だった。別にこんなことは日本でもあるし、そもそも見た目で判断すべきではないが、久々に聞く日本語が予期しない方向からやって来て僕は面喰らった。
「まだ、みたいですよ、多分」
「そう。時間までまだまだだもんね」
 彼女はため息をついて僕の横に座った。
「あなたも日本に行くの? 旅行?」
「いや……これから帰るんです、日本に。俺、日本人です」
「そうなの。どこに行ってきたの?」
「タイと……」
 そう言うと、彼女は「ワーオ」と口にした。一瞬にして目が輝き、前のめりの姿勢になる。
「マッサージは行った?」
「いえ、タイはもう何回目かなんで」
「行ってないの? もったいない!」
 聞けば、彼女は初めてタイに行き、すっかりその魅力に取り憑かれてしまったらしい。食事、マッサージ、景色、寺院、タイ人の気風。ありふれた話題といえばそれまでだが、彼女は心底満足感を覚えているようだった。
「日本もいい国だけどね。あたし、日本で働いてるの。××って知ってる?」
「大企業じゃないですか。もちろんですよ。通りで」
「日本語? まだまだだけどね。日本は料理が美味しいよねえ」
 はあ、と返事して妙な気持ちが湧いた。それは日本を褒められたときにいつも覚える奇妙な感情だった。気恥ずかしいような、うらめしいような、それでいて悪い気はしないような、かといって肯定する気はさらさら起きないような、あの感情だ。僕は考えることを放棄して話題を変えた。
「どこから日本に来たんですか?」
「シカゴ。知ってる?」
 行ったことはないが、有名な土地だと思った。アメリカ大陸の地図が頭に浮かび、東海岸に視線がずれる。
「ニューヨークの西ですよね?」
「うーん、まあそんなところかな。ちょっと違うけど」
「あれだ、電車が有名ですよね。YouTubeで観ましたよ。『ブルース・ブラザース』もシカゴが舞台だったような……」
「へえ! よく知ってるね。でも、シカゴはダメだよ」
「何で。良さそうなところだけど」
「食事が高いの! ランチでも一〇〇〇円じゃ絶対足りない。二〇〇〇円はするね。その点、日本は安くて美味しいものが食べられるからいいよ」
 なるほど、と思った。以前から感づいてはいたが、やはり日本の外食はコストパフォーマンスがいいらしい。もちろん、その裏には問題山積みの現実があるのだが、それを言う気にはなれなかった。
「帰ったら何食べようかなあ」
 そう言って彼女は視線を上にあげた。頭の中にすでに日本料理ができあがっているようだった。
 それからしばらく話した後、彼女は「じゃあまたね」と言って立ち去った。もう二度と会うこともないと思うが、それが彼女なりの別れ方なのだろう。
 僕とは違い、日本の生活も楽しんでいるのだろうな、と帰り際の彼女の笑顔を見て思った。同じ帰途でも浮かべている表情や感慨はまるで異なるに違いない。

朝日なのか、夕陽なのか?

 何度も空港に行くようになるにつれ、飛行機が苦手だという気持ちはなくなった。それどころか、いつか羽田から乗ったバンコク行きの飛行機で爆睡して以来、何も感じなくなった。バンコクに初めて行ったときに乗ったのと同じタイ国際航空の飛行機だった。朝の便だったが、ガラガラに空いていて機内食を食べたらすぐに寝入ってしまい、目を覚ますと着陸間近だった。
 入国手続を済ませ、宿の近くの駅まで向かうマイクロバスを待つ間、夕焼け空を眺めながら少し寂しくなった。初めてタイに行ったときに乗った飛行機の中でのような強烈な記憶は、もう残らないだろう。そう悟ったからだ。そして、おそらくそれは空港での出来事も同じかもしれない。
 しかし、またどこかで彼らの、旅人の笑顔が見られるはずだ、とは思っている。その笑顔が、旅を前進させてくれることもある。

(了)

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