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わたしの「休み」革命

今年の正月明け、山梨で開催された「断食座禅合宿」というものにお誘いいただき、参加した。
ここで、私は人生で初めて自分にとっての「休み方」を知った。

フリーランスの人間は、仕事と休息のメリハリを自分で作るのが大事だけれど、私は、うまく休みを作るのが下手だった。
といっても、別に休めない程沢山の仕事をこなしている、というわけでもない。身体的には休んだ方がいい時に休もうと思っても、気がかりなことで頭がいっぱいになり精神的に休めなかったり、主に、頭の声がうるさくて休んだ気分にならない、ということが多かった。
2019年、立て続いた執筆の仕事が終わって、久しぶりに長期休暇でも取ろう!と、3週間ほどタイとミャンマーへ訪れた。
しかし、旅の道中ずっと頭にあったのは「これは……ちゃんと休めているだろうか……」という不安感だった。
思い描いていたのは、日本から離れいつもと違う場所でホッと一息ついてビールなんか飲んで、「ああ、リフレッシュしたなあ!」という清々しさで帰国する、という理想像だったのだけど、
実際は、チャオプラヤー川沿いのテラスで「休まなきゃ休まなきゃ、ちゃんと休まなきゃ……」と、切迫感を感じながらビールをすすっていた。

前置きが長くなったけども、
在宅での仕事の割合が増え、さらに『休み』迷子になっていた私が、断食座禅合宿に参加して、休み方に出会った、のである。

ひのはる座禅断食会、という、坐禅断食創始者の野口法蔵さんの承認を得て、松浦寿郎さんが主宰する会で、山梨のご自宅で毎月開催されている。

内容は、名前の通り、2泊3日で、断食&座禅をするというもの。
3日目の明けの食事までは、白湯やお茶以外口にせず(辛くなったら塩を舐める)、1セット約25分の座禅を、2泊3日のうちで、20回。
ほとんど、座禅で一日が終わる。

この期間は、PCもスマホも使わないことが推奨されていたので、あらゆる端末は家に置いて、参加した。2泊3日の、デジタルデトックスでもあった。

もともと、曹洞宗のお寺が運営する幼稚園に通っていたこともあり、幼い頃から座禅への親しみはあったが、約30年ぶりの座禅。30年経った頭は、当時より散漫で落ち着きがない。座禅中の雑念に耐えることができるのか……不安を感じながら挑んだけど、深い呼吸を数えながら静けさに集中する時間は、最中に雑念が飛ぼうとも、心地よい緊張感があった。

断食座禅合宿を終えた日、「ああ、休んだなあ」という感覚が沸いてきた。

身体的に胃を休めたスッキリ感もあったのだけけど、それに加えて、座禅の「ただ座るに集中する」というのが良かったのだな、と思った。
これまで、休むというのは、何かを緩めること、何かをやらないこと、だと思っていた。緩めるのも、やらないのも、せわしない性分の自分には難しく、「何もしないに集中する」、「何もしないを、ガチでやる」というのが、自分にとって必要な「休む」だったようだ。

家に帰ってからも座禅をちょこちょこやってはいるのだけど、座禅は、一人でやるより、緊張感ある場で人とやるほうが集中できる、というのも面白いなと思った。
これまで、休みは一人で休むものだと思っていたけれども、自分の休みには、「何もしないを、ガチでやる」&周りの人が必要なのかもしれない。

新たに自分の辞書に登録された休み↓

休み【yasumi】
「何もしない」時間ではなく、
座禅など「何もしないを、ガチでやる」時間。
何人かで行うとより効果を発揮する。




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