【短編小説】悪い夢を待ちわびて
食べる夜は、今日こそくるだろう。
真夜中に梅干しを食べ、洗濯物を干し、爪を切って口笛を吹いた。
したらいけない、と言われる言い伝えをありったけ破った。
異様なうしろめたさを感じながら願う。
悪い夢を見ますようにと。
私が待つのは獏。夢を食べる獏。
鼻は象のように長く、体は豚のように丸々としている。
たてがみは雄ライオンのように雄大で、人間のように黒目が小さい。
シマウマのような縞模様の足、なぜか胴体にある水玉模様。
色々な資料からは様々な姿が描かれている。
幻の動物・獏。悪い夢と金属が大好物らしい。
彼らは「悪い夢を食べてくれる」という。
そして「いい夢を与えてくれる」という。
私は悪い夢を見つけてもらえるように、夜にしてはいけないと言われる言い伝えを、ことごとく破って床についた。
夜に梅を食べると禍を呼ぶらしい。
夜に洗濯物を干すと死者の霊が出るらしい。
夜に爪を切ると親の死に目に会えないらしい。
夜に口笛を吹くと蛇が出るらしい。
生まれてこの方この付近で蛇など一度も見たことがないし、親はとっくの前に死んでしまっている。
もちろん死んだ親が出てきたとしても、怖かない。
禍なんてしょっちゅうあるので梅のせいかなんてわからない。
少しも信じていないくせに、わずかに湧き上がる罪悪感で夢見が悪くなるように祈った。
不安になりさえすれば、もっと悪い夢が見られると思った。
今日こそ獏に、私を見つけてもらうのだ。
どうか私が見てしまった悪い夢を食べてください。
ゆるゆるとまどろむ瞼に身をゆだねて意識を手放す。
これから先、私ができることはない。
目が覚めたと気づく前に絶望した。
獏は悪い夢を食べてはくれなかった。
私は今日もギターを抱え、少なくなった小銭を握り手のひらに銅の匂いを染み込ませた。
20代も終わりに差し掛かり、そろそろこの“悪い夢”を見るのをやめたい。
親が残した遺産を食いつぶし、家と音楽スタジオを往復する人生をやめたい。
定職について、毎月安定したお金をもらいたい。
普通に働いて、普通の人生を歩みたい。
私は、悪い夢を見ているのだ。これは悪い夢なんだ。だから獏に食べてもらわなければ困るのだ。
わかっているのに、私の手は求人誌ではなくギターを求める。吸い付いて離れなくなってしまう。
お札よりも手に馴染むギターを抱えながら、今日も悪い夢を見ている。
いつか大きな会場を埋め尽くすほどの人の前で、ギターをかき鳴らすのだと。
少しも信じていない最凶の言い伝えをコンプリートして、私は今日も獏を待つ。
飛びっきりの悪い夢を両手に抱えて布団にもぐる。
枕元に質の良い金属を置いて。
シロクマ文芸部さんのお題「食べる夜」に投稿します。
読んでいただいてありがとうございました。
今日も素敵なお題をありがとうございます。
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