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東京Eggストーリー①/エッグベネディクト×パンプキン×戦争

 人生で初めて作った料理はポーチドエッグだった。確か、小学校の家庭科の時間だったと思う。しかし、この記憶が本当に正しいかどうかは疑問だ。というのも、私の通っていた小学校は田んぼの中にぽつんとある田舎の学校だったので、ポーチドエッグなどという洒落た落とし卵料理を学んだことが不思議でならないからだ。でも、鍋の酢水を沸騰させて卵を慎重に落とした光景は目に浮かぶから、経験していることは確かなのだと思う。しかし、どうやって食べたかの記憶はすっぽりと抜けていた。

雑誌で、ポーチドエッグをパンに乗せて食べるエッグベネディクトの写真を見てから、いつか自分の記憶の曖昧さを払拭すべく、正式なポーチドエッグを食べてみたいと思っていた。そうだ、有言実行だ、行ってみよう。

エッグベネディクトの食べられるレストランをネットで検索してみたら、東京駅の近くで見つけることができた。ちょっといいことがあった後だったので、自分へのご褒美に贅沢なモーニングを!

◆フットマンとパンプキン 

東京駅八重洲口を出たら、すぐに迷子になった。地図を見ても迷ってしまうという私は天才的な方向音痴の持ち主なのだと思う。しかし、目的地にスムーズにたどり着けないゆえに、セレンディピティ現象の起こりやすいお得な質でもある。

レストランの予約時間に間に合わないと焦り、駅前の案内地図を見て再度場所を確認していたところ、「呉服橋」という地名を見つけ心がざわざわとした。

 あっ、ここなのでは?

かつて、東京駅前にはお堀があった。それは、現在の外堀通りにあたるが、その堀に架かっていた八重洲橋と呉服橋の間に「1945年7月20日模擬原子爆弾は投下された」という話がずっと気になっていて、いつかちゃんと調べたいと思っていたのだ。

ドキドキした。レストランにたどりついても、この発見への動悸は収まらず、白いテーブルクロスの敷かれたおしゃれな席に案内されると、マナー違反は承知の上で、模擬原子爆弾の東京投下の位置をモバイルで確認してしまった。

模擬爆弾とは、原子爆弾投下に備えた爆撃機の兵士の訓練と事前データ採取のために日本各地で落とされた原子爆弾と同型同量の1万ポンド軽筒爆弾のことだ。通称、パンプキン爆弾と呼ばれている。1945年7月20日〜8月14日の間、18都道府県30都市に50発落とされた。東京には、東京駅前と現在の西東京市に落とされている。

東京にパンプキン爆弾を落としたアメリカ空軍のパイロット、クロード・イーザリーは当時27歳。最初は福島県郡山市に投下予定だったが、天候が思わしくなく、独自の判断でなんと東京の皇居へ投下しようとした。しかし、目的地を逸れてしまった為にパンプキンは東京駅前の堀に着弾した。

この行為は命令違反で、それが原因でイーザリーは広島の原爆搭載機の搭乗予定から気象観測機の搭乗へ変更させられた。(彼の人生はその後もかなり波瀾に満ちていくのだが、それはまた別の話で)

戦時中の地図を見ると、私の記憶に間違いはなかった。今、食べているレストランの近くにパンプキン爆弾は投下されたのだと知り鳥肌がぞわっとわいた。

思わず、パンプキン爆弾が落ちてきたときの爆音や衝撃の想像してしまう。見たことのない奇妙で大きな形をした爆弾を目撃したひとたちは一体どう思ったのだろう。

楽しみにしていたポーチドエッグが現実に運ばれてきても食事には全く集中できなくなってしまった。また、ポーチドエッグを見た途端、

 「長崎原爆資料館で見た原子爆弾の模型に似ている!」

と、思ってしまった。広島に投下された細長い原子爆弾は通称リトルボーイ、長崎に落とされた膨らんだ形の原子爆弾はフットマンと呼ばれている。模擬原爆パンプキンは今後メインとして使う予定のプルトニウム型原子爆弾フットマンと同型であった。

ポーチドエッグをフォークでつつくと、半熟の黄身がとろーっと流れ出た。トーストされたパンとオランデンズソースを絡めて食べてみたが、もはや純粋に味わえなくなっていた。

皮肉にも、訪れた10月の東京駅周辺は、ハロウィンのディスプレイでジッャク・オー・ランタンのカボチャ飾りであふれていた。「東京の玄関口」と呼ばれるターミナル駅だけあり、東京駅の人の流れは多い。しかし、今、この瞬間、73年前の7月20日に、この地に原爆模擬実験としてパンプキン爆弾が投下されたことに思いを馳せているのは、間違いなく私だけだろう。

私は、誰も知らない秘密を抱きしめているような気分になりひとり、震えた。 
(2018年10月記)

→東京eggストーリー②へ続く