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拝啓。太宰治さま、

 2019年6月19日は、あなた様の生誕110年となるのですね。おめでとうございます。昭和は遠くになりにけり、明日は奇しくも令和最初の桜桃忌になりますね。さて、三鷹の墓前に馳せ参じようと思っているのですが、お祝いは何を持って会いにいけばよろしいでしょうか。110年という節目ですから、何か特別なものをと考えているのですが皆目見当がつきません。

 マナーブックを見ていたら、110歳は「珍寿」「椿珍」と言って長寿を祝うと書いてありました。しかし、なのです。よく考えてみたら日本人は数え年でカウントすることに気付きました。だから、あなた様は、本当は111歳となり「皇寿(こうじゅ)」の祝いとなるようです。うかつでした。ちなみに「皇寿」は、分解すると百の字から一を引いた形で「白」(99)、それに十足す二で「王」を重ね、合計で111とみなす、から来ているそうです。(意味、分かりますか?)

 現在、ギネスブックに認定されている世界長寿の方は福岡県に住んでらっしゃる115歳の田中力子さんだそうです。あなたと五つ違い。今もお元気でオセロをしたり詩を書いたりしているそうです。オンタイムであなたの本を読まれたことがあるのか、聞いてみたい気がしています。

 先日、国会図書館であなたの門人である小山清さんの『二人の友』審美社 1965年の本を読んでいて、真っ赤になってしまいました。あなたは読んだことがないと思うので一部、引用してみますね。

「太宰さんの肌の匂いを嗅いだこと覚えがある。太宰さんに肩をつかまれた拍子によろけて太宰さんの頬に接吻したような形になったことがあった。そのとき太宰さんは私をかえりみて「ばか」と云った」

 どうでしょう。読んでる方は恥ずかしいですよね。三周忌に寄せたテキストらしいのですが、私はいろいろ想像してしまい口元がいつまでもニヤついてしまいました。国会図書館の中でひとりニヤついているのは異様なのでマスクが欲しいと思ったくらいでした。

 また、広島の原爆により亡くなった移動演劇桜隊の隊長を務めた俳優、丸山定夫さんのあなた宛ての手紙も見つけました。こちらは涙があふれてきました。

「何も楽しみがない。飢えかわく様に新苗の君の作品が読みたい。ああ、あなたは、大きくも小さくも独自に生きて、その生きているさまを呼号してくれなければならない」

 広島に原爆が落とされる一週間前に書かれたもので、あなたは彼の死後、この手紙を津軽で受けとったのですよね。そのときどきのお二人の気持ちを思ったら、涙が止まらなくなりました。丸山定夫さんとあなたとのやりとりを夢中で調べまくり、「あの時代」を何度も考えてしまいました。

 春先からこころの疲労骨折をしており、うんうんと苦しい日々を送っていた私にとって、戦時下の表現者たちの苦悩や互いに支え合いながら生き延びていこうとする姿は胸に刺さり、やがて光となりました。ちようど今、夜空に輝いている星の光が、途方もない年月をかけて私の手元に届いているような、そんな大切な贈り物を偶然にも受け取ったような気持ちになりました。

 涙の谷を過ぎる先にある祝福(詩編84編・第3ヨハネ)。梅雨前線のように涙は長雨となってしまいます。国会図書館の閲覧室で、本にとって水分が一番よくないことを理解している私は大変困り、水中眼鏡が欲しいと本気で思いました。今後、国会図書館でマスクと水中眼鏡をして、真剣に本を読んでいる人がいたら間違いなくこの私でしょう。どうか覚えて置いて下さいませ。お教えせずとも、あなたは、いつか私を見掛けるでしょう。

 さて、いよいよ明日です。小山清さんによると、桜桃忌の一年目は雨だったが二年目から五年目までは晴れていたそうです。明日も天気予報を見ると梅雨晴れの予報。なんだかあなたが照れ笑いをしているみたいですね。会いに行きます。そうだ、飲みかけのさくらんぼのウイスキー・キルシュを持っていきましょう(気障ダナ)。

敬具。