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打算的な結婚で幸せになる方法~はたして結婚は良いのか悪いのか?

「結婚して良かったですか?」
飲み会の席で、20代後半の同僚から聞かれたことがあります。

「そうだね、たぶん…」
そのときは、歯切れの悪い回答しかできませんでした。結婚の良し悪しなんて考えたこともありませんでしたし、その判断基準もイマイチ分からなかったからです。

だから、その後に思わず考え込みました。
はたして、私は結婚して「良かった」んだろうか「悪かった」んだろうか?

1. 結婚は打算である

その良し悪しについて疑問に感じてググってみたところ、「結婚はスーパーハイコストな趣味」と主張するエントリーを見つけました。

うん、たしかに、結婚しなくても不都合なく生きていける時代だから、「趣味」とまで断言されても不自然でない気がする。もしかしたら、そうかもしれない。

特に、人並み以上に稼ぎのある健康な若者ほど、そう結論づける傾向があると思います。経済的に自立していれば何の不自由もなく生きていけるのに、結婚すればその自由に制約が加わるかもしれないからです。

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だから、制約が加わってもそれを上回る個人的な利益が重要になります。

いや、私は彼/彼女のことが好きだから、利益うんぬんではなくて、一途に添い遂げたいんだ!……という人がいるのは、もちろん分かってます。

しかし、恋愛と結婚とを一直線に繋いで、完全にピュアな状態でゴールインできる人はそれほど多くないと思います。愛だけで一生を一蓮托生するのは難しいというのが現実的なところでしょう。

そうすると、ここで疑問が浮かぶわけです。それぞれが「個人的な利益」を考え、利害が一致する相手を探し、「ずっと利害を一致させていようね」と言って契約を交わす……損得に基づく意思決定は、ほとんど打算的な商取引と同じではないかと。

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……と、ここまで考えて、「打算的でない結婚」など存在しないのでは? と、ふと気づきました。

例えば、洋の東西を問わず、これまで名家の政略結婚は当たり前でしたし、庶民でも、結婚は親が勝手に決めるものであり、「結婚式で初めて相手に会った」は少なくありませんでした。どちらの例も環境に依存した他人の思惑があり、それには打算成分が多く含まれていたはずです。

要するに、今と昔とでは、当事者の打算があるか他人の打算があるかの違いだけであって、結婚からはその要素を排除できないのです……それを隠すために「永遠の愛」みたいなおとぎ話のハートウォーミングがあるらしい。しらんけど。

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では、「打算的な契約」という側面のある結婚で、当事者は幸せになれるのでしょうか? はたして、人は結婚して「良かった」と思えるのでしょうか? それとも「悪かった」と思ってしまうのでしょうか?

2. 私も打算で結婚していた

ここで、少し私自身の話をしたいと思います。

私が妻と結婚したのは、私が博士課程を修了してすぐの29歳のときでしたので(今の感覚だと早いですね)、結婚して今年で足かけ13年になります。当時は「長く付き合った流れでなんとなく」としか認識していませんでした(もちろん好きだったんですけどね)。

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でも、いま振り返れば、「この人なら何があっても私を捨てないだろう」と考えたからというのは、理由の1つにあったと思います。つまり、私には無自覚な打算があったのです。

博士課程のとき、私は研究者としての自分のセンスのなさを思い知って相当辛かったんですね(だから、研究から足を洗ったわけです)。クヨクヨと悩んでばかりで、ちっとも彼女を気にかけない私は彼氏として最低だったはずで、普通ならフラれて当然だったと思います。

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でも、妻は私を捨てませんでした。何が理由かはよく分かりませんが(好きでいてくれたからだと信じたい)、私を励まし、慰めてくれた。妻はとにかく共感力が高く、情け深いのです。

ついでに言うと、妻は自分で自分の機嫌を取るのが実にうまい。不機嫌がほとんどない。ベランダでカメムシを見つけて笑い、羽毛布団にくるまって暖かいと喜ぶ。日常の解像度が高く、生活の些細なことにも幸せを感じるタイプです。

最近は、中年に入って相当ぽっちゃり体型になっており、昔を知る私としては正直残念なのですが……まあ、年を取って外見が衰えるのはお互いさま。

後から気づいた打算のとおり、いまのところ妻は私を捨てず、私は妻の上機嫌に元気づけられています。だから、私も妻を大事にしようと心がけており(実際に大事にできているかどうかは、怖くて聞けません)、その相互作用で双方の人格が成長していると感じます。

要するに、結婚の入り口で当事者の打算成分が多くても、その後の生活の心がけで良くもなれば悪くもなるのだろうと思います。たぶん。

3. 打算で幸せになれるのか

だから、結婚生活が打算を超えた良いものになるかどうかは、「心がけを維持できるレベルまで、双方の人格が成長するかどうかに依存する」というのが、いまの私の仮説です。

もちろん、自分の人格が成長しているとは(少なくとも自分では)言えませんし、互いの相性に依存するところも大きいと思うのですが、結局のところ結婚に至るまでの過程なんて、それほど大したことではないと思います。

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なので、自分がどんな打算を持っていようと、相手からどんな打算が見え隠れしようと、究極どうでもいい。その後の生活を二人でどう過ごすかの方がよっぽど大事だと思うのです。

だから、もし少しでも結婚を考えているなら、ちゃんとした職業についていないから、お金がないから、結婚にはまだ早いから、いいと思う相手に出会えないから、もっとハイスペがいいから……などなど、グダグダ考えている間にさっさと結婚したほうがいい。

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「結婚にどれほどの意味があるのか?」「愛とは何か?」「人生に結婚は必要なのか?」……ああ、うっとうしい!アジャイルでいけよ!アジャイルで!

「数学は何の役に立つのか?」という疑問が、実際に数学を勉強した後でなければ解消しないのと同じように、「結婚は良いか悪いか」という疑問は実際に結婚してみなければ解消しませんし、どう解消するかはその後の生活に依存します

4. 結婚は個人的な体験である

「結婚して良かったですか?」
同僚から投げられた疑問に対しては、後からじっくり考えたところ、「運がいいことに、いまのところ個人的には良いと思ってるよ」と答えるのが正解だった気がします。

結婚は個人的な体験なので普遍的な良し悪しは存在しませんし、私の場合は「妻がよくできた人」という運の要素も大きいことは間違いないからです。

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個人的には、「自分の好物を取り分けるときでも相手に少し多く渡す」「だいたいいつも機嫌がいい」ような人を相手に選べば、結婚生活が打算を超えた良いものになる可能性が高まると思います。なぜなら、私ですら結婚生活を維持できているからです。

最初は愛と打算を信じて、後は努力と信頼で(場合によっては諦めで)、結婚生活が長く平穏に続くことを祈りましょう。

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