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22歳の『私』が大阪マリオット都ホテルに泊まって感じた焦燥感

私はいま大阪マリオット都ホテルの最上階に泊まっている。窓一面には、大阪の絶景が広がっていた。そんな絶景を見て私は自分の人生に対する不安と焦燥感に襲われているのだ。

というのも、これは私の力で泊まれた訳では無い。私がお金を出して泊まっているわけではない。私の親が会社の社長をしている影響で、私の親がお金を持っているから泊まれているのだ。

決して私の力では無いのだ。だからこそ、22歳にもなって、親の力に甘え何も稼ぐ力を身につけていない自分をとても情けなく感じる。私は、これから平凡なサラリーマンとなったとして、今のような生活ができるのだろうか。

親のように、子供に対してとてつもない愛とお金をかけてあげられるのだろうか。周りの人を助けることが出来るのだろうか。楽しく人生を生きることができるのだろうか。そんなことばかり考えてしまう。

すべては、私が22歳にもなって稼ぐ力が「0」なことに起因する。大企業の、それも、一流企業と言われるような企業に行けたとしても、それは「自分の力」で稼いだと言えるのだろうか。それはただ甘える対象が「親」から「会社」に変わっただけで、なにも変化していないのではないだろうか。これからの自分の生き方を明確に決めれていないこと・稼げていないこと・これから平凡なサラリーマン生活を歩むことに焦りを覚えている自分に気づいた。

私は4月からサラリーマンとして働く予定なので、勤務先の近くに引越しをする必要があった。そのため、この日、色んな物件を見に行っていたのだ。家賃7万円以内という縛りで家を探している。

家賃7万円!?低すぎるだろ。私はいま家賃7万円程度のお金さえギリギリ出せるレベルなのか。不動産を探す際には、自分の現状を突きつけられている気がする。

年収を記載し、不動産会社に審査をされ、家に住める資格があるのかを見定めされる。4月から平凡なサラリーマンとして生きるという現実と一生懸命働いても家賃7万円がギリギリという現状、そして「22歳」この歳、今の今まで、偉大な親を頼っていた現実、自分の稼ぐ力が未だに「0」という現実、そんな今までの人生の通知表を突きつけられ、私は猛烈に焦っているのだ。大阪マリオット都ホテルの最上階の景色を見ながら。

私は大学入学時には、どっかの一流企業に就職して後は消化試合のような人生を歩むものだと思っていた。だが、しかしそれはサラリーマンという働き方を明確にイメージできておらず、そんな人生を歩む自分を全く想像出来ていなかったから、そんなふうに呑気に思えていたのだと思う。

なぜ想像できなかったのか。

理由は私の家系が代々社長であることにある。周りにサラリーマンとして働いている大人が居なかったのだ。だから、明確にイメージすることが出来なかった。

就職活動をして、サラリーマンとして働く大人の色んな話を聞いて、いざ自分が本当にサラリーマンとして働くということになって、やっと明確にサラリーマンとして働く自分が想像できた。

なんということだろう。全く楽しそうだとは思えない。

私はサラリーマンとして生きる自分を想像してみた。出世のために、行きたくもない飲み会に行って人脈を作り、円滑な人間関係のために息を吐くように嘘をつき、どうでもいい先輩の武勇伝を褒めたたえ、先輩には好かれるようにお世辞を言い、想像できる未来のために身を粉にして働く姿を。

そこに私がなりたい自分はなかった。

しかし、そんな自分を想像して新しい夢ができた。

私は、会社の「経営者」になって、次世代に誇れる会社を作るのだ。自分の力で稼ぎ、人をまとめあげ、人を助けられるようなカッコイイ人間になるのだ。

そんなカッコイイ大人になれるのだろうかという猛烈な焦燥感と不安感をマリオット都ホテル最上階の絶景を前に感じている。

そんな中で

必ず私は成り上がる。

「俺が諦めるのを諦めろ」というナルトの名言を思い出しながら、決意を固めた。

必ず私は成り上がって、この景色をまた、自分の力で見るのだ。大勢の仲間を連れて。

そんな未来のカッコイイ自分を想像しながら、今夜は眠りにつこうと思う。

おやすみなさい。

また明日。

私は必ず成功する。

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