「最高の思い出」が最高な理由は
やりたいこと、、?うーん。
「なんか人の役に立つのは好きで」
「メンバーの成長を見ると嬉しくて」
「組織が上手くいってると私もうれしい」
そんな私に投げかけられた一つの問い。
私にとって、衝撃の問いだった。
だってそんなの、それが私自身なのだから、手放すとかじゃない。
怖い。
手放したら、何も無くなっちゃう。
この問いと一緒に、コーチングスクールTHE COACH Academyのプロコースの旅は始まった。
1年前から学び始めたコーチング。
そして5ヶ月に渡って学んだプロコースを終えた今、同期の12名の仲間がこのマガジンで自分の旅を振り返ります。
自分の「ビジョン」について考えたことはありますか?
ビジョンとは自分にとっての北極星のようなもので、自分の人生を歩んでいく上で、大切にしたい想いや指針のこと。
自分のビジョンに気がつくと、生きるチカラが湧いてくる、色んな意思決定を迷わず自信をもってできるようになる、没頭できるようになると言われている。
半年くらい前に私がはじめて描いたビジョンは
「そこに座っている、広がる光」
そしてそこから数カ月後のプロコースの序盤で改めて描いたビジョンは
「担々と、灯台」
どちらも、「誰かを照らしたい、喜ばせたい」という思いから描いている。
いいんだけど、正直何か足りない、綺麗事な感じがする。
でも、これ以上分からない。
考えて考えて考えても、それ以上に自分が望むものなど浮かんでこない。
悪くない、でもなんか足りない、そんな感覚を抱きながら、旅は進んでいく。
ビジョンのかけら
5ヶ月のコース中、私達はそれぞれ自分の中の「未完了」に挑む。
そしてその経験とそこから感じたことについて、何度も対話を繰り返す。
その中で、私達は時にぐちゃぐちゃな感情に向き合いながら
沢山の小さな気付きを得ていく。
それはコーチングセッションの中だけで起こるわけではない。
生活のふとした瞬間から、数ヶ月前に受け取った言葉から、気付いていく。
そうして、だんだんと忘れていたものを取り戻していく。
影になっていたものに光が当たりだす感覚。
「あれ、私ってもしかしてこうなのかも?」
ビジョンのかけらが少しずつ集まりはじめる。
あの時踊ったわたし
ある日のクラスセッションにて。
いくつかの問いに対して、心に浮かんだことをそのまま絵に描く、というワーク。
発展させ、育てたいものは?という問いに対して、
「あのとき踊ったわたし」がなぜか急に浮かんだ。
学生時代、留学先のクラスのワークショップ中に、みんなの前で急に音楽に合わせて踊らなければならなくなったシーン。
思い出さないように蓋をしたい程の、あの時の強烈な恥ずかしさ。死ぬほど恥ずかしかった。
でもみんなに「ナイストライだった!」「やりきったのに感動した!」と言ってもらえたことは嬉しくて、そして自分自身の勇気に驚いた。
今でも死ぬほど恥ずかしくて、でもなんか嬉しい思い出。
なんでこんなもの今思い出して描いたんだろう?
自分でも分からないものが、突如自分からアウトプットされる、これもコーチングの醍醐味であり、結構大事なヒントだったりする。
この頃から、なんとなく、自分の感じていることを「言えるようになってきた」という感覚がある。
「私、管理職だけど再現性とか、誰でもできるような仕組み化とか、本当に興味がない」
「私にしかできないって言われたい」
「私は私自身を驚かせたい」
振り切ったように、これまで言葉にできそうでしてこなかったことが言えるようになってきた。
最高の思い出が、最高な理由
ところで思い出といえばもう一つ。
私の最高の思い出の一つに高校3年の時の文化祭がある。3年生は全クラスが合唱部門で競うというのがうちの高校の伝統。
クラスの実行委員として自分たちの出し物を企画運営をした。
人生で初めてお昼ごはんを食べ「忘れた」、それくらい夢中で準備した。
受験勉強で忙しい進学クラスのクラスメイトが毎日練習に参加してくれ、そして結果として、7クラス中、2位になった。
私にとって、1位じゃなかったということは重要ではない。
良いものを作りたくて頑張った、でもこんな上位になれるとは思っていなかったのだ。
THE COACHでのワークや対話の中でも何度も何度も、この最高の思い出の話をして、何か自分にとってのヒントを得ようとした。
「みんなが楽しんでくれて、結果を喜んでくれたから、私も嬉しかった。」
これまでは何度考えてもそれ止まりだったけど、 ああ、やっと今わかった。
高3の文化祭が最高の思い出なのは、みんなが嬉しそうだったから、だけではない。
「ガリ勉多めの受験勉強で忙しい進学クラスが、他のクラスを抜いてパフォーマンスで評価され選ばれるというサプライズ。
クラスメイトも自分もびっくりするような結果を私が生み出し、嬉しい驚きを分かち合ったたこと。」
そうだ!それが一番嬉しかったんだ!
私はいつの間にか、これまでの色々な思い出を「みんなの喜びが私の喜び」と書き換えていた。
本当のビジョンは?
そんな風にビジョンのかけらが集まり始めていた頃に、
もう一度、ビジョン探求をし直す機会があった。
その時立ち現れたビジョンは、笑えるくらい、これまでと違ったテイストだった。
「私は予定調和をぶち壊す、先駆者。」
口に出してみると、やっぱりちょっと笑っちゃう。なんだよそれwと。
「ぶち壊す」と聞くとぎょっとする人もいるかもしれない。
でも私にとっては、
停滞していたり、諦めたり、期待が持てない状態を私の力で打破するんだ。そして訪れる嬉しい驚きを、世界と分かち合うんだ。
という気持ちになる。
なんだか、私、世界を変えれちゃうんじゃない?とさえ思えてくる。
「このビジョンの意味はね、、」と説明する私はとても嬉しそうで、パワーに満ちているらしい。
その姿をみて、「それ、めっちゃいいね。」そう言ってくれる仲間がいることもありがたい。
いつからか、
人の役に立たない私は、
いい成績を取れない私は、
責任をまっとうできない私は、
役職者じゃない私は、
そこにいる価値がない。
私は、周りに必要とされる私でい続けなければいけない。
そう思い込んでいたのだと気付いた。
私の中のシャドウがそう叫んでいる。
だから、私の願いは人の役に立って必要とされることだと思いこんでいた。
シャドウに見せられたビジョンだった。
今まで思っていたことは間違っていたのか?
では、そんな「人の役に立ちたい、必要とされたい」自分はなんだったのか?
それって偽りの自分だったのか?邪魔なものなのか?
いや、それはそれで間違いなく私の一部、今も大事な私のリソースなのだ。
ゴールデンウィークの帰省中に両親を見て思ったこと。
街の子供の行事にかり出され、ウォークラリーの中継場所でのゲーム任された父は、主催から割り当てられていた企画よりも面白いものにすると張り切って準備し、
母は他の人の分もと、冷やした飲み物の差し入れを持参し、
私は「犬好きを喜ばすために犬を連れてくる役」を喜んで拝命した。
定年を過ぎても、担々と人のために行動する両親を見ていて、
「ああ、我が家にとっては人の役に立つために行動するなど、顔を洗って歯を磨く毎朝のルーティンのようなもんなのだ」
と確信した。
だからこそ、余裕があるときは自然にやるし、そうじゃない時は休めばいい。
シャドウを一つ統合した瞬間だったのかもしれない。
ワクワクして、ほんの少し怖い
今のビジョンを感じていると、わくわくして、そして実はほんの少し怖い。
でも、私は、このちょっと怖いと感じることを気に入っている。
中間ピットインにて、リードのこっちゃんにもらった言葉。
本質的な変容をしようとすると、それは怖いんだ。
完全に安心安全ではない、少しの怖さがある。
それこそサプライズを起こしたい私にぴったりなビジョンの証拠なのだ。
ビジョンに気づく意味
さて、本当のビジョンがわかった私はどうなかったか。
これを読んでくださっている方も、「抽象的なこと言ってみたり、思い出話してみたり、だから結局何なの??」と思われている人も多いと思う。
残念ながら今のところ、独立や転職や旅に出る、といったような分かりやすい報告はない。
でも、日々歩いている世界が変わった。
これまでは、平らに塗装された、少しでも早く進むための道を、もっと速く速く!置いていかれないようにと、そんな感覚があった気がする。
今は、凸凹で曲がりくねっていて、でも草木があり、知らない花が咲くそんな道をじっくり観察しながら私らしいペースで冒険していこう、と思えている。
変わったのは私の内面なのに、むしろ、世界が変わった感覚があるのが不思議だ。
よく分からないが、40歳くらいで逃げ切りたい(何から?)と思っていた私は今、残りの長い人生、これから何に挑戦してやろうかとワクワクしている。
私は自分自身の本当の願いと、他者を介さず感じる喜びを取り戻した。
やっと自分でハンドルを握った私はどこへでも行ける。
さいごに
この5ヶ月の旅で得たもの感じたものはとても大きく、ここに全部を書きれない。
手放すって、本当に大変なのだ。
自己の内面と向き合うって、本当に大変なのだ。
葛藤しながら、勇気を持って本当の自分に気づいてく9期のみんなの姿に励まされながら、
私自身もこの仲間いなければ出来なかった決断や行動をいくつか、この期間にすることができた。
その詳細についてはリアルすぎて、ここには書けない。笑
自分の変化について、少しハニカミながら嬉しそうに話すみんなを思い出すと力が湧いて、私も笑顔になる。
書き表せないような体験の数々を共にしてくれた9期のみんなと、コースリードのお二人に本当に感謝しています。ありがとう。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?