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アマチュア・吉永小百合という奇跡

まだうまく整理できてないのだけど。(写真は13歳の吉永小百合さん)」

昨夜、プロフェッショナル 仕事の流儀「吉永小百合スペシャル」の録画を見ました。

私はあまり、この女優さんに思い入れはなく、代表作と呼ばれるものもほとんど見てません。でも、そんな私でも知っている、日本を代表する映画俳優として、多くの人の羨望と人気を集めている方です。

その吉永小百合さんが初めて受けた長期密着。10ヶ月に及ぶ密着の結果作られて番組でした。

密着取材初日。「緊張します…」と吉永小百合は言った。その言葉通り、吉永は驚くほどカメラ慣れしていない人だった。だが、打ち解けてくると、飾らない人柄が…。映画撮影の合間、「初めて見た…」とつぶやきながら、とあるお菓子を手にし、口にする姿も。あるとき打ち明けた「私はアマチュア」という言葉の真意とは?カメラが記録したのは、誠実に映画と向き合おうと自らを追い込んでいく姿。あなたは、本当の吉永小百合を知る。

結果として、見てよかった。これは、今すべての仕事に行き詰まっている人、仕事で結果が出ない人、仕事とは何か悩んでいる人が見るべき番組だと思いました。

吉永小百合がすごい、ということだけではなく、なぜ、吉永小百合は映画に出続けているのか、彼女はなぜ映画にしか出ないのか、そういう疑問に答えた上で、「プロフェッショナルとは」という、この番組の主題が揺らぐほどの生き方がそこにはありました。

「今日を精一杯生きるから、明日につながる」

役を演じているのではなく、役に入って、役を生きる。吉永さんにとって、演技とは生きるということ。だから、その役が今どう目の前の出来事に対応しているのかが表に出てくる、というと言い方がわかりにくいですが、要は、普段私たちが日常生活の中で、目の前の出来事に対応するのと同じように、映画の中でその役が生きていることが、彼女にとって演じるということなのです。

先のスケジュールを考えて、ここではこうしておこう、などということは彼女にはない。今、この役を生きて、そこで怪我をしたり何か起きても、それはその役に起きたことで、吉永小百合に起きたことではない、のです。

でも、実際に痛むのは、吉永小百合本体なので、それが起きないように体を鍛え、摂生する毎日を生きている。

映画がクランクアップした後、演じた役の故郷を訪ね、吉永さんが「まだ幸枝さん(役の名前)の中にいる感じ」と答えたのには驚きました。

幸枝さんが、私の中にいる、と答える俳優はたくさん見ましたが、幸枝さんの中にいる、と答えた人は初めて見たからです。

役の中に入るとは、そういうことなのですね。

「演技ではダメ」
「プロフェッショナルという番組を今まで断ったのは、私はアマチュアだから」

驚きの言葉が次々と語られます。

彼女ほどの映画俳優が、なぜ、アマチュアなのでしょう。

12歳でデビューした彼女は、瞬く間に時代を象徴するスターとして数多くの作品に出演することになります。

ただの青春スターではないことは、代表作「キューポラのある街」で示されます。でも、その裏で、演じている吉永小百合と彼女自身が乖離して自分自身が空っぽになってしまうのを感じていたのです。

そして、20代になって、吉永小百合ほどの人気スターでも年齢の壁に行き詰ります。清純な乙女から成熟した女性に変わることを要求されるからです。この頃の彼女の作品は全く振るいません。彼女自身も困惑しています。

結局彼女は、28歳でお母さんの反対を押し切って結婚します。

「名前が変われば、自分を取り戻せると思ったんですね」

映画スター・吉永小百合ではない、一人の女性・岡田小百合(結婚して姓が変わった)という自分を取り戻したのでした。

そして、34歳の時、映画俳優としての自分を見つけることになる作品に出会います。

番組で、この話に持っていく構成がずるくて、吉永さんが同行ディレクターに歳を尋ねるシーンで、ディレクターが33歳と答えると「若いわねえ」となり、「その頃の吉永さんは忙しかったのではないですか」と問うと、「そうでもないわ」と下を向く映像があって、この話に入るんですよ。

これは、誘導したとしか思えないのですが、まあいいか。

吉永さんは、動乱で高倉健という映画俳優と初共演し、一年間の撮影期間を過ごしました。そこで、それまで感じたことのない演技中の感動を得、映画制作中の高倉健さんの過ごし方を見て、その後の人生を決めるのです。

映画俳優として生きていく、ということを。

映画が決まれば、その役として生きるために自分の人生を捧げ、映画と映画の間は、何があっても良いように体を整え、心を整え、待っている。

映画のためだけに生きる。

そこに、彼女がいうアマチュアという言葉の意味が見えてきます。

人生の全てをかけなければ演じることができない不器用な自分は、演技のプロではなく、映画を愛するアマチュアなのだということ。

「プロだと思ったらば終わってしまう」

アマチュアだからこそ、努力し続けなければならないし、命をかけて映画に出ているのだということなのでしょう。

「アマチュア」はラテン語の「amator」(=愛好家)が語源である。アマチュアとは、金銭目当てではなく、純粋に何かを好きだから、それをしている人のことである。

吉永小百合は、映画愛好家であり、映画に出るアマチュアなのです。

それにしても、74歳ですよ。スターになってから大学行った初めての人でしょう。早稲田大学に入る理由が吉永小百合と学友になりたいからという人が大勢いたと言います(タモリさんとカ)

この年齢の女優なのだから、もう少し労ってはどうなのかと思うほど映画撮影の現場は過酷でした。特に、同じシーンをいろんな角度から撮る手法は、フィルム時代に本番1回で鍛えられた吉永さんにとっては、異次元の手法でしょう。それでも、映画に出て役を演じるには耐えなければならない試練なのだなと思いました。そして彼女はやはり大女優ではなく、映画のアマチュアだから、その試練に耐えられるのだろうと。

山田洋次監督、共演した天海祐希さんが吉永さんについて語っています。

この中で、山田監督が吉永さんの「アマチュア」という言葉の意味を語っています。

小百合さんは、「プロフェッショナル」なんていうと一番抵抗を感じる方かもしれませんね。わたしプロじゃないわよ、なんて。むしろ、プロでありたくないって一生懸命思ってるかもしれないです。つまりアマチュアでいたいと。
この「アマチュアでないといけない」というのは、映画演技についてのひとつの考え方であって、それはセオリーとして彼女の中にあるんだと思うし、いつも素人みたいでありたいと思ってる小百合さんのことも僕たちは深く理解しているけれども、でもあの人と仕事をすると、本当にプロだと思うことがあるんですよね。それは、映画俳優としてプロということですね。映画スターとしてのプロだなあと思います。

天海祐希さんは吉永さんの本気について語っています。

私たち、芝居する時にはたとえば「ここでこうしたいから今はこうしておこう」って計算して、段階を踏むんですけど、吉永さんはその瞬間瞬間、計算ではなくて、本気度が高いんですよね。

吉永小百合さんは、役として一瞬一瞬を生きている。それがアマチュアとしての演じ方なのだということなのでしょう。

これは一つの奇跡ですね。

何かのアマチュアとして生きるということを考えてみたいと思います。




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