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「幸せになる勇気」は辛い本だった

岸見一郎先生と古賀文健さんの共著である「嫌われる勇気」を読んだ話を書きました。

特別でありたい、というよりも、あらねばならないというプレッシャーにさらされて生きている様な時代だからこそ、そこから解放される言葉を提示してくれる「嫌われる勇気」が受け入れられたのではないか。

その時は、こんなことを書いたわけですが、その後、続編となる「幸せになる勇気」を読みました。

前作『嫌われる勇気』でアドラーの教えを知り、新たな生き方を決意した青年。その彼が3年ぶりに哲人のもとを訪れる。

アドラーの教えを実践すべく図書館司書を辞めて教師となった彼が語る衝撃の告白。それは「アドラーを捨てるべきか否か」という苦悩だった。アドラー心理学など、教育現場でも現実社会でも通用しない机上の空論だとする彼に、「あなたはアドラーを誤解している」と哲人は語る。

哲人と青年の対話は、教育論に始まり、仕事論、組織論、社会論、人生論へと及び、最後には「真の自立」と「愛」というテーマが浮かび上がる。そして、最後に哲人が説くのは、誰もが幸せに生きるために為すべき「人生最大の選択」についてだった。
果たしてその選択とは? あなたの人生を一変させる劇薬の哲学問答、再び!

読み終えてから1週間以上経つのですが、感想をかけないままでした。

幸せと言う字と辛いと言う字は似ている

なぜかと言うと、辛かったから。

つらかった、です。からかった、ではないです。

幸せという字から1本とると辛いになる。幸せと辛さはその程度の差しかない、というようなまことしやかな言葉もありますが、幸せになる勇気というのはなかなかに厳しいものでした。

ところで、昔の歌で、若いと言う字は苦しい字に似てるわ、と言うのがあって、この言葉を私は、歌ではなく、ある芝居のセリフで覚えているのですが、今回調べてみたらば、こんな歌でした。

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タイトル画像にもしてみました。

なんで、この歌を思い出したかと言うと、まさに今回の「幸せと言う勇気」の中の青年は、若い故に苦しいからです。

若いと言う字は苦しい字に似ている

前回「嫌われる勇気」でアドラー心理学に触れて、共感した青年は、図書館司書をやめて教師になっていました。そして現実に打ち当たり、アドラーなど役に立たないと実感し、捨てるために再び、哲人の前に現れます。

捨てるならば、こっそり捨てればいいのに、最後に、罵倒しにくるあたりが若い。しかも、ことごとく言い返されて、結局、もう一度アドラーを胸に抱きしめて、教室に帰っていくのですから、若い。

でも、彼は若いからこそ、壁にあたり、理想が実現できないことに悩み、考え、もう一度アドラー心理学を実践できるわけです。諦めないことは、若さの特権の一つだと言えます。でも、諦めないのは苦しい。

彼自身、荒れる教室で苦々しい思いをしたことが、アドラー心理学が実践に向いていないと思うきっかけな訳ですから、苦しんでいるわけです。教師と言う職業に理想も抱いている。それが満たされない。だから苦しい。

この苦しさは、何から生まれるのか。

それは青年が若いからです。自立できていない若い存在だから、苦しむわけです。そこを正そうとするのだから、哲人は人が悪いように見えます。だから、青年は、何度も哲人を罵り、呪詛を唱えます。

それにしても、よくもあれだけ目の前の年寄りを罵れるものだと思いながら読んでました。それもまた若さなのでしょうか。

前著は地図、本著はコンパス

2冊セットで読むとより深くわかるのは当然なのですが、この2冊には役割があると二人はいいます。

巻末の後書きでも出てくるのですが、「嫌われる勇気」は地図であり、「幸せになる勇気」はコンパスだというものです。

嫌われる勇気が2013年。そこから3年経って、「嫌われる勇気」が売れただけに、アドラーの消費され方がおかしくなっていたのでしょう。日本ではあらゆるものが消費されてしまいますからね。

岸見先生が、この記事で話している言葉が当時の状況を炙り出しています。

逆説的な言い方をすると「アドラーブームに終止符を打つための本」ということでしょうか。ブームのなかで、それまでアドラーのアの字も言っていなかった人が「アドラーは〜」となってきました。それは普及してきたことの証左でもあるのですが、やはりずいぶん誤解されているという思いが強くなりました。

アドラー心理学を「嫌われる勇気」で知り、その実践をどのようにすれば良いのか、つまり、どこに進んだら良いかを示すコンパスが「幸せになる勇気」だということなのでしょう。

読んで、なるほどとは思いました。

でも、実践は難しい。

本を読んだだけではなく、岸見先生と古賀さんの対談など、色々な記事を読んで、さらに理解を深めようとしているところです。

そして幸福をさらに理解するために

例えば、こういう記事に、自分に引っかかる部分があったりするわけです。

誰しも、生きていること自体が他者貢献に繋がる。そう信じて今を生きることが大切なのです。

生きているだけで丸儲け、とは明石家さんま師匠の名言ですが、アドラー心理学でも、生きているだけで他者貢献なのだと言っています。

これは生きていることに悩む誰もに伝えたい言葉ですよね。

「老いる勇気」を読んだときにも響いた言葉でした。

もう一つ、この記事では、アドラーではなく三木清を取り上げています。

これは、老いる勇気の中でも取り上げていたように覚えています。

三木清は「成功と幸福とを、不成功と不幸とを同一視するようになって以来、人間は真の幸福が何であるかを理解し得なくなった」と言います。成功することが幸福になることだと考える人が多いけれど、自明ではないと三木は考えているのです。三木は「幸福が存在に関わるのに反して、成功は過程に関わっている」と言っています。

この、成功と幸福、不成功と不幸を同一視するようになった現代、という指摘は大変深いものがあります。幸福であることは人生の成功ではありますが、成功したからと言って幸福とは限らない人生もあるからでしょう。

三木清の「人生論ノート」もじっくり読みたい本です。

こうして、広がっていくのが、読書の良いところですね。

書店イベントがあるらしい

「嫌われる勇気」から「幸せになる勇気」まで3年。そして、さらに3年余り経って、2020年に再び、二人は全国を行脚されるそうです。

『嫌われる勇気』の著者・岸見一郎氏と古賀史健氏による講演会&サイン会を全国9ヶ所で書店イベントとして開催いたします。リアル哲人とリアル青年とも言えるお2人による滅多にないイベントです。講演後半では質疑応答の時間もたっぷり。この貴重な機会に日頃の悩みを質問してみませんか。

リアル哲人とリアル青年というのはちょっと違う気もしますが、もう始まってますね。第1回春日井と第2回京都が終わって、次は金沢らしい。

東京は3月2日ですね。

紀伊國屋かあ、取れるかなあチケット。


サポートの意味や意図がまだわかってない感じがありますが、サポートしていただくと、きっと、また次を頑張るだろうと思います。