noteの書き方で気にしていること
書きたいことがいくつかあるのに、うまく書けそうも無いので、最近考えているnoteの書き方を自分のためにまとめてみます。
インスパイアされたことを書く
自分の中で思いついたことではなく、何かを読んだり、見たりした上で、なるほどと思ったり、自分の中で考えていることが出てきたり、いや違うんじゃ無いかと思ったり、つまり、心が動いたことを書いてみるようにしてます。
これは、田中泰延さん言うところの、事象と心象の交わるところという意味で、エッセイ(田中さんはエッセーと書いている)になるわけですね。
田中さんの「読みたいことを、書けばいい」については、以前書きました。
元ネタに当たる
で、事象と心象ですから、事象があるわけで、その事象については、見たことであろうと、聞いたことであろうと、知ったことがあれば、元ネタを調べるようにしています。
例えば、この前のブロックで、私が書いているのは、以下の言葉です。
田中泰延さん言うところの、事象と心象の交わるところという意味で、エッセイ
で、その後に、この田中さんが言ったかどうか、書いているかどうか、について元ネタをリンクしてます。
本よりも先にあった元ネタなわけですけど、こう言うものが、今はググればすぐに出てきます。
私が小僧の頃は、何か元ネタを当たろうと思うと、図書館に行って、何年も前の新聞の縮刷版を見たり、雑誌のバックナンバーを見たり、著者の書いている書物を全巻当たったり、調べまくらなければならなかったのですけど、今は、ネット上でちょっと検索すれば、大概は見つかります。
すごい時代になったものです。
なのに、それをやらない人の気持ちがわからない。
ずらす
ひょっとすると、そう言う人は元ネタに当たっているけど、元ネタのことを知らん顔しているのかもしれません。自分で言い出したような顔がしたいのかもしれない。
でも、大概の言説や理論や言い回しなんぞと言うのは、巨人の肩に載っている(と言う言い回しも、過去にあったものですよね)わけで、オリジナルなどと言うのは、大変難しいものです。
私にしても、自分が最初に、この言い回しやら考え方を思いついた、と言うようなことはまず無いので、きっと誰かが書いていたり言っていたりするだろうと思って書いてますし、なんなら、元ネタがあるだろうと思って、検索するわけです。
そして、その結果をリンクできるように置いて(このnoteは、そのリンク先のアドレスを置くだけで元記事がはれるから、リンクが楽ですしね)おきます。
と言うように、さっきの田中さんが書いていたエッセーの定義という話から、リンクの話に、話題を「ずらし」ていくことで、オリジナルな話に見えてくるわけです。
過去記事をリンクする
そして、最初のブロックに戻ると、田中さんの元記事をリンクした後に、自分が田中さんの本のことを書いた過去記事をリンクしています。
これも意図的にやっているのですが、自分が過去に書いた言葉も読んでもらいたいという助平心ですね。アクセスあがんないかな、というやつです。
でも、それだけでもなくて、自分が過去に書いていたことを読み返すことで今の考えを補強したり、忘れていたことを思い出したりするという効果もあります。自分で書いたことも自分で忘れているということはよくあることですからね。
この過去記事のリンクが、ずらしのきっかけになることもよくあります。
調べるアンド広げる
元ネタに当たるときに、いろんな検索結果が出てきます。その中で、元ネタだけではないけれど、面白そうな類似記事や他の人のブログ、新聞記事などが出てきます。そして、ずらしたことで、また、新たな疑問やデータの検証が必要になることもあります。
話を展開するに当たって、こうした検索結果を利用することも多いです。かなり調べて、自分で面白いと思ったものだけ使うようにしています。できれば、自分の考えを補強することになる専門家の言説がいいですね。研究者とか小説家とかその職業の人が書いているとか現場の話とか。評論家とか新聞記者の与太記事は要りません。ここでもできるだけ現場、一次情報に近い方がいいです。
田中泰延さんは一次情報に当たると、先ほど紹介した本で書いていました。これがベストです。だからと言って国会図書館で原著を読むほどのコストはかけられないので、一次情報に近そうな言説という日和方はしています。
そして、調べた結果をもとに話を広げます。
地理と歴史
広げるときには、地理と歴史を気にするようにしています。
これはもともと自分でも考えていたことなのですが、私が書いても説得力がないかもしれないので、言いますけど、ハフポスト編集長の竹下さんがディスカバー編集教室で言ったことの一つなのです。
地理というのは、横の広がりを示します。東京のことだったらば、大阪だとどうなのか、日本の記事で終わらず欧米ではどうなのかを足してやると記事に広がりが出る。そういうことです。
歴史というのは、縦の広がりを示します。時間軸ですね。同じことが過去にどうだったのか、未来にはどうなるのか。そういう広がりを持たせる。
この二つと意識して書くと、自分ごとだけではなくなります。
世界の中での位置づけ、人類史の中での位置づけ、そういう視点が生まれます。それが個人的なエッセーを普遍化してくれるはずなのですが、なかなかそううまくも行きません。
思い出とか経験があると良い
そこに、自分の心象を加えます。
この心象は、最初に言ったように事象とクロスするものですから、できれば、書いている事象に関わる場所の思い出とか、似たような経験があるといいですね。
私は、なるべく、そうした思い出や経験があるものについて書くようにしています。テレビで見たからと言って、行ったこともない場所の政治的な出来事への意見などは書きません。そういうのって、大抵炎上するし。
第三者として大所高所からものを述べても、誰が読むねんという話です。
まあ、自分の経験とかも他の人からすれば、なんじゃそりゃなわけですけど、それでも、似たような経験をしたことがある人もいるかもしれない。そういう人に向けて書くということもできます。
仮説を持つ
最後になりますが、原稿を書き始める前に、仮説を立てて、それが証明された時は、自分でも良いものになったと思える時が多いです。
どうして、そうなったのか。これはこうなんじゃないか。
そういう仮説を常に持って世の中の事象を見ていくのが、編集者というものだという話を読んでから、その意を強くしています。
本を読んでも、仮説。世の中の出来事を見ても仮説。仮説を持っていれば、見えている出来事へのアプローチが変わってきます。
仮説なしで、起きたことを見ても、「なるほどね」とは思えないのです。
このCMの「なるほどね」に答えがないとか怒っている人は、自分の頭で考えようとしていない人なんじゃないか、という仮説が立ちます。映像の中のヒントを自分で読み解かずに、答えだけ欲しがるというのはいかがなものかと。
そういう人は日経新聞読んでも仕方がないということではないとは思いますが、多分、そういう人は日経新聞は読まないでしょうね。新聞よりワイドショーとかでおじさんたちが勝手な解説をしているのを見る方がお好みかもしれません。
これも仮説ですけどね。
トップ画像をつける
たまに忘れるとFacebookとかの記事リンクで自分の顔が出るので、なんかつけるようにしてます。内容に関連する画像を拾ってくることもありますし、自分で撮った写真の時もありますが、note独自の「みんなのフォトギャラリー」からなんとなく良さげなのを選ぶことも多いです。
意味ありげなやつをね。
今回も、なんとなく猫にしてみました。
ということで、そんな風な内容になっていない、よくできてない記事ばかりではありますが、私がnoteを書くときに気にしていることでした。
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