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毎日読んでいる新聞について思うこと

私は、スポニチの愛読者なのです。

もう、25年くらい毎日読んでいると思います。

新聞の愛読者ではなく、スポニチの愛読者。なんでスポニチになったのかには理由があるのですが、それも含めて考えていきたいと思います。

新聞に限らず、若い時は雑誌も漫画も読める限り全部読むようにしていました。週刊誌ならば週刊朝日、週刊読売、週刊現代、週刊ポスト、週刊新潮、週刊文春、筑紫哲也編集長になってからの朝日ジャーナル。

漫画は、マガジン、サンデー、ジャンプ、キング、チャンピオン、は小学生の頃から週刊と月刊全部、高校生くらいからそれに加えて、なかよし、りぼん、フレンド、マーガレット、小コミ、花とゆめ、LaLaなどなど少女漫画も読んで。1979年からヤングジャンプなどの青年誌が出てきて、大学生から就職したくらいは全盛期でした。

新聞に話を戻すと、80年代の前半は学生だったので新聞は図書館で読むかバイト先で読むか。バイト先が喫茶店で、朝日、読売、日経、報知、スポニチ、日刊スポーツあたりをお客さん用においていたので、それを新聞クリップにセットして新聞かけに置くのが朝の仕事の一つ。そのときにざっと目を通して、休憩の時に面白そうなところだけ読んだり。

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就職したての新人時代の仕事の一つは、朝の新聞の片付け、専務がマークしたところを切り抜いて新聞記事スクラップ用の藁半紙みたいな悪い紙で作った専門のノートみたいなのに貼って、情報共有することでした。

89年に転職した先で、コンピューターに電話回線を繋いで、ニフティサーブで過去の新聞記事を検索できるとか、コンピュサーブというアメリカのサービスでアメリカの図書館にある本を検索できたのには驚きました。インターネットの走りですね。この時は、回線接続も音響カプラーというヘッドホンみたいなのを受話器にかぶせるとか、音声ではなくデータを送るための専用の電話機を使わないといけませんでした。

昔話をしているときりがないですね。

しかし、これ30年くらい前の話ですからね。今のネット時代には考えられない情報収集の難しさ、遅さでした。とにかく図書館が一番情報がありました。そして、一番信じられる情報源、一番たくさん乗っている情報源が新聞でした。

テレビは、早いけど、ちょっと軽い、胡散臭いものでした。その胡散臭さが、割と何をやっても許される感じになっていたんだと思います。今は、テレビは権威となってしまい、その分自由度が下がったんじゃないでしょうか。

そんな、新聞と雑誌と漫画の日々は、ネットの登場で終わります。朝はスポニチ、夜は日刊ゲンダイを読んで、ご飯を食べる時には雑誌か新聞が欠かせなかった生活が、いつの間にか新聞をとるのをやめ、漫画はいつの間にか卒業してましたね。美味しんぼがいつまで経っても終わらないのでつまらなくなった頃でしょうか。ドカベンがプロ野球に入った頃でしょうか。

それで、スポニチを毎朝買って読むようになりました。

理由は、新聞から離れるのは、あのサイズ感が生活から失われるのが嫌だったのと、スポーツニュースはあれもこれもじっくり読みたいからでした。それと、スポニチは毎日新聞系ですが、昔から割と一般の政治経済記事にも力を入れていたからです。報知やサンケイスポーツに比べると偏りやデマ感が少ないように思えました(報知やサンスポは、親会社の新聞との関係性が強い感じがあります)。

あとは、書体が読みやすかった。読み慣れない新聞は、レイアウトのパターンや書体に違和感を持ってしまって読み進まないことがあります。これは私だけかもしれませんが、新聞の書体ってすごく気になるんですよね。一般誌で言うと日経が読みやすいですし、産経は読めないです。記事内容以上に書体とレイアウトに違和感があります。読売は子供の頃から読んでいるので馴染みがあるので懐かしい感じがして、朝日はなんだか、書体もレイアウトも偉そうな感じがします。全て、私の勝手なイメージです。

そんなことで、スポニチを毎朝、以前は駅で、今はコンビニで買って読むという生活が続いています。これは読まないとなんだか忘れ物をした気になるレベルです。具合が悪くてもコンビニまでスポニチとポカリスウェットを買いに行きます。妻が、休みの日に朝コンビニ行くけどと言えば、食べるものよりも先にスポニチ買ってきてと頼みます。

そんなスポニチ読者の私も、最近のスポニチの変化には困惑しています。とにかく文字数が減っている。書体はそのままで文字の大きさを大きくして(級数を上げると、印刷用語で言います)年寄りに読みやすくしてくれるのはありがたいんですが、紙面は限られてますから、文字数が減る。しかも、新聞の大きさを生かした紙面作りなのでしょう。写真と見出しが昔よりも大きくなり、ますます記事が入る面積が少なくなっています。その分広告が減っているという気もします。多分広告は減っていて、以前ならば、下5段は広告だったのが、今は、一番下までみっしり記事だったりします。

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今日の紙面です。迫力あるレイアウトとも言えますが、右半分は一番下まで記事が入ってますよね。昔ならば、左側のように5段分(3分の1位)は広告だったと思います。

今日の一面

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半ページ以上写真です。ビジュアルの時代なので当然ということでしょうが、記事の字数少ないなあ、と思ってしまいます。余談ですが広告が年寄りくさいものが増えてます。平均購読者の年齢が上がっているんですね。

新聞で伝えるのは文字だったはずが、写真に変わったと言えるかもしれません。それはネット時代になって、文字はネットでも伝わるからでしょう。新聞紙面にしかできないことを考えると、その大きさを使った迫力ある写真とレイアウト、ということになるのだと思います。

でも、新聞記者が持つ、限られた文字数の中で情報量を詰め込んでシーンを切り取り、伝えようとする技術というのは、一つの伝統芸ではないかと思います。伝承されてきた至芸とも言える新聞原稿作術が失われていかないかと心配です。ネットは分量を気にせず、後から直せるからなどという気楽なところがあります。でも新聞は、発行時間に間に合わせるために、電話で1文字づつ伝えて原稿を送ったというような伝説も含めて、文字原稿に命をこめてきたメディアではないかと思うんですよね。標準的な日本語の全国への普及は、NHKと新聞が担ったわけですし。

最近の新聞記事には、実は誤植や言い間違え、漢字の使い間違えなどが以前よりも増えているように感じます。校閲の力が落ちたのか、新聞記者の力が落ちたのか。新聞というメディアの力が落ちたのか。粘りがないのか。

長年スポニチを読み続けてきた新聞好きとして、まだまだ新聞には印刷メディアの雄として、ステータスを持って君臨していただきたいものだと思うのです。高い給料にあぐらをかいて、下請けライターに記事を任せるような出版社系雑誌の末路のようなことにはならないでいただきたいものです。








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