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今だから、速水融さんの言葉を聞きたかった:「感染症の日本史」を読んで

一度、この記事の中で取り上げましたが、「感染症の日本史」を読んでいました。

実に面白かったのですが、中でも、この最後の章こそ、磯田先生が描きたかったことなのだと納得しました。

磯田道史さんと速水融さんの出会い

第九章歴史人口学は「命」の学問 ――わが師・速水融のことども
数字の向こう側に/晩年に取り組んだ感染症研究 ほか

歴史研究者を目指した高校生時代に磯田さんは、岡山大学の図書館で見つけた速水融という研究者の先見の明と「歴史人口学」に感銘し、生涯の師と定め、京都府立大学に入学したのに慶應大学を受け直すことにします。

しかし、入学したらば速水先生は慶應大学を退官し京都の国際日本文化研究センターに就任したところでした。行き違ってしまったわけです。ところが幸いなことに、まだ設備が整っていなかった国際日本文化研究センターよりも慶應大学の研究室に長くいた速水先生と出会い、その研究調査を手伝うことになります。

そうして出会った師への想いに溢れた文章が続くのですが、私が読んで、これは、もっと早く出会いたかったと思ったのが、速水史学の内容でした。

速水史学とは何か

西欧の産業革命 (industrial revolution) に対し、速水は日本の江戸時代にも高い経済成長と経済の高度化が見られることを指摘した。西欧の産業革命では、労働資本比率において資本分が増加し、労働が節約される形を取った。すなわち人力を節約するために、たとえば農業では家畜を、工業では動力機関を使用する方向に変化した。一方日本の江戸期、農村における労働力としての家畜の使用は、時代が進むにつれ減っていたことを速水は明らかにした。すなわち労働資本比率において、江戸期の農村では資本比率分が減り、労働比率分、すなわちマンパワーが増加していったのであり、西欧の変化とは逆の動きである。このような変化にも関わらず、江戸期の農業生産は増加して行った。これは前述のように農民がより勤勉に働くようになったために起こった現象であるため、速水はそれを「勤勉革命」(industrious revolution) と名づけた

勤勉革命という言葉を、この歳で初めて知ったのは、我が不勉強を恥じるべきだと思ったくらいです。

産業革命(工業化)が機械(資本)の使用を通じて生産性の向上を図る資本集約・労働節約型の生産革命であったのとは対照的に、同時期の日本では資本(家畜)を労働に代替するという産業革命とは逆の方向に進展していたのである。

この「勤勉革命」の成功こそが、結果として、今の日本社会の「ブラック企業」型を産んだのだと思い至りました。

勤勉革命こそ現代日本の原型だった

日本人はもともと先天的に勤勉だったのではなく、勤勉による土地生産性の向上という「経済原理」に支えられた「勤勉革命」の成功によって、勤勉であることをベースにした社会に変わり、その社会を維持するために勤勉である日本人という存在が後天的にもたらされたと考えられます。

そして、社会は一度成功した「革命」に固執する傾向があります。歴史は繰り返すのです。この話は後述します。

勤勉革命による成功(人口増加、生産量の上昇等の社会の向上)を江戸期に収めた日本は、明治になって資本集約型・労働節約型の資本主義を学んでも、労働集約型での成功を目指すことをやめませんでした。それが、日本独自の労働集約型の工業化社会をうみ、現代に至ります。

そう考えると、色々と納得のいくことがあります。

例えば、前回書いたアニメーションの世界におとづれている変化。

なぜ日本のアニメーション会社は労働集約型で、中国のアニメーション会社は水平分業型で資本集約型なのか。それは、どういう社会が成功したかという過去からの呪縛から逃れられないからではないでしょうか。

そして、速水史学で私が気になるのはもう一つ「二系列説」です。

二系列説とは何か

「古代文明(第1系列)」と「古代文明の周縁=中世封建社会(第2系列)」という2系列で歴史を捉える見方で、「オリエント―西欧の関係」と「中国―日本の関係」には似たところがある、ということです。

第一系列は、古代文明が栄えたのに、そこから大きく進歩せず、その後の近代化の時代では後進国として扱われてしまったような国たちです。

「第1系列」とは、エジプト、インド、中国など、「単線説」で言う「古代社会の経験が特徴的な社会」のことです。この社会は、いわゆる「古代文明」の終焉とともに“化石化”現象を起こし、ごく最近まで“冬眠状態”を続け、ようやく20世紀、とくに大部分はその後半に入ってから「近代化」への胎動を始めました。“政治優先”で、強大な権力をもった少数の指導者によって進められるのが、「第1系列の近代化」の特徴です。

第二系列は、その周辺国で、第一系列が栄えた時代には後進国だったのに、中世から封建社会を経て資本主義社会になった国々。つまり、今の世界を支えるような国です。

これは、主に、西欧諸国と日本ということができます。

なぜ、4大文明を産んだ国々が社会支配を続けず、後から発展した西欧の小国だったドイツやイタリア、イギリス、フランスが、そうした4大文明を産んだエジプト、中東、インド、中国を支配し得たのか。そして、その同時代に日本という小国で近代化の萌芽が生まれていたのか。

この辺りは、梅棹忠夫先生の「文明の生態史観」が背景にあるようですが、国家の発展は、その社会の成熟時期と人間は経済的合理主義で動いていないということが関係しているように思います。

人間が経済原理に基づいているのならば、社会はマルクス主義が言うような単線的な成長とも言えるような発展をするかもしれませんが、必ずしもそうではなく、速水さんが指摘するように、もっと「伝統や慣習や宗教に基づいて生きている」が故に、その伝統や慣習や宗教が早く強固なものになった地域は、そこから抜け出られず古い文明社会のまま過ごし、伝統や慣習や宗教が柔軟な国は、それまでの前提を否定し、次の社会にジャンプすることができた、と言うことなのではないでしょうか。

速水さんはコロナ禍の世界をどう見ただろうか

そう見てくると、現代日本に至った流れが、速水詩学から見えてきそうです。

日本社会は、伝統や慣習が古くからありますが、宗教に見られるように柔軟に受け入れる素地を持っており、なおかつ発展時期が中国などよりも遅かったために、先行している良いものを受け入れて独自化することができました。しかし、勤勉革命という大きな経済原理に基づいた変化を経た後は、その共同幻想に囚われているのではないか。

そんな日本が、コロナウイルスによって明らかにされているのではないでしょうか。

また、第二系列の国々が、コロナ対応で右往左往する中で、第一系列の国々(中国、ロシアなど)が強大な中央集権型で推し進める政策がコロナを制圧しているように見えることも、今、速水さんならばどう見るのだろうかという想いに至ります。

また、ビッグデータ解析ができるようになったことで歴史人口学研究も進みやすくなったでしょうし、AIやITと国家の問題、人口減少社会についてなど、速水さんは、その慧眼でズバズバと核となる点を指してくださったのではないでしょうか。


速水さんがコロナを知らずに亡くなったことが惜しまれますが、だからこそ、この本を参考に日本政府や指導者たちは、今後を考えてもらいたい気がします。

https://www.reitaku-u.ac.jp/news/research/74234/





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