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編集者は職人か職能かを考えた

以前、ディスカヴァー編集教室で、古賀史健さんが講師の会において、やらかした話を書きました。

柿内さんと古賀さんと私

柿内さんの何がすごいかわからないのですが、どういうところが違うのでしょう、また優れた編集者とはどういうものでしょう

という質問を柿内さんが後ろにいるにもかかわらず口にして、会場を凍りつかせたという話です。

じつを言うとカッキー、つまり柿内芳文氏はこの講義、ゲスト枠として教室のうしろでこっそり聴講していたのである。

講義終了後、カッキーはわかりやすくショックを受けていた。同じくゲスト枠で参加させていただいた弊社の田中裕子さんからは「古賀さんの note の書き方が悪いんですよ」と叱られた。
質問前に私なりに考えていた柿内さんのスゴさがないわけではないんです。
それは、良い本をつくる事をどんな状況になろうと諦めない、まだ行けると思えばためらわない、そのために本のことを考え尽すところなのだろうと思います。でも、それは周りからは面倒くさい、時間を守らない、空気を読まないなどと言う批判を受けることになりやすいというマイナス面も持ちます。しかし、そんなことはどうでも良い、自分が良いと思ったことを信じると言う超然としたものを柿内さんには感じます。

これ以来、柿内さんの記事には注目してきたんですが、決定版が出ました。

カッキーイズムとはカンキイズムだと知る

光文社新書のnoteで連載されたインタビュー記事です。

この記事の第1回になぜ、このインタビューが行われたかが書いてあります。

光文社新書のnote1周年を記念して、編集者・神吉晴夫の思想を実践している柿内さんにいろいろ訊いてみたら面白い記事ができるんじゃないのかな

神吉晴夫というのは光文社の2代目社長でカッパブックスを創刊した出版人です。

なぜ柿内さんがこの人にたどり着いたかなどは、記事をご覧いただきたいのですが、その中ではっきりしたのは、柿内さんが考える編集者とは何か、ということと、そこにあふれるカンキイズムです。

どうやらカッパというのは、昔、日本の出版界を席巻したらしいということもわかってきました。そしてその中心にいたのが、神吉晴夫という人物だということも。
そこで古書店を探して、神吉晴夫が残した本もすべて購入。マーカー片手に読み込みました。『カッパ兵法』『カッパ大将』『俺は現役だ』『カッパ軍団をひきいて』『現場に不満の火を燃やせ』『マスコミの眼がとらえたカッパの本』……どれから読んで、どこに何が書いてあったかまではもう覚えていないんですけど、重要なところは手帳にメモしながら、これらの本と格闘していきましたね。時間だけはたっぷりあったので。

カッパブックスと私

カッパブックスについては、私も覚えています。

私が中学生くらいの頃には、田舎の書店でも一大コーナーを持っていたくらい有名なシリーズでした。

岩波新書は教養を提供する大人の読み物というイメージでしたが、同型のカッパブックスは、とにかくユニークで読みやすくて面白い。

科学雑誌で言うと、岩波新書はやはり岩波書店が出している「科学」みたいな正統派で、カッパブックスは「ムー」みたいな怪しさがある本を出していました。

当時のベストセラーで言えば、多湖輝「頭の体操」。

これはリメイクの光文社知恵の森文庫版ですね。

そのほかにも塩月弥栄子「冠婚葬祭入門」とか浅野八郎「手相術」などベストセラーを連発したのですが、大きな転機がおとづれ衰退してしまいます。

それは、戦後労働運動で最大とも言われた光文社の労働争議でした。神吉晴夫など役員は退陣に追い込まれ、光文社から独立した人たちが、かんき出版、祥伝社やごま書房などを立ち上げることになるそうです。

祥伝社のノンブックスは、全くカッパブックスの手法で「ノストラダムスの大予言」などのヒットを飛ばすことになります。

こうした時代の流れで光文社はカッパブックスを葬り、光文社新書を立ち上げ、その頃、柿内さんが光文社に入社することになります。

編集者とはなんだろう

新人の柿内さんは、特にやりたいことがあって出版社に入ったわけでもなく、創刊されたばかりで忙しい新書編集部で悶々としていた時に、神吉晴夫に出会ったと言います。

そして、編集者とは何かを掴んだのです。

神吉晴夫と向き合うことで、それまでよくわかっていなかった「編集者の仕事と立ち位置」というのが、ようやく見えてきてはいましたね。編集者は【庶民・大衆の身代わり】であり、一握りの選ばれた人(エリート)ではなく、大多数の庶民の実感に根ざす【反権威・非専門家】である、とか、【優れたアマチュアの目】を持ち続け、【無名の同時代人】と共に歩いていかなければならない、とか。

これが私には、納得のいく回答でした。

私が企業広報誌の編集者をやっていた時に担当していた分野は、科学と金融でした。どちらも大学時代の専門分野ではありません。

そこで私にできることは、専門家から話を引き出すことでした。

私がわからないものは読者もわからない。だから、ここは直してください。そう専門家に伝え続けること。

それが唯一の武器でした。

記事の中で柿内さんは語ります。

ぼくは庶民の身代わりなわけですから、「ぼくに伝わる言葉で言ってくれ」「ぼくにわかるレベルで話をしてくれよ」「門外漢のぼくでも興味がわくようにしてくれ」と、言葉悪くいえば「バカ代表」として、著者に食い下がり続けないといけない。
こういう話をすると、よく「読者はバカではない」「なんでもかんでもわかりやすさを追求するな!」みたいに怒られるんですけど、誰に何を言われようと、ぼくのポジションは揺るがないですね。常に「自分が無知で浅学で平凡であることを自覚するところ」から始め、「庶民の自分が納得できるもの」を作りたいと思っています。

全く同感です。少なくとも、30年前の自分はそう思っていました。

ところが、最初は無学の徒だった自分が、どんどん専門用語がわかるようになり、専門家の事情がわかるようになると、そこに書かれている内容が理解できるようになり、レベルが上がって、読者の代表になれなくなるのです。それをいかにして排除するかが当時の私にとって重要ポイントでした。

それでも、科学や金融はレベルが高いので、そう簡単に専門家に追いつくことはできないこともあって、「プロの素人」の目を保つことができました。

難しいのは生活に近い分野でした。それと演劇の世界でした。

どうしても、身近なものは言葉に慣れるし、演劇は一時志していたことがあっただけに、ある程度、高度なことが理解できてしまう。

これを噛み砕くのは難しかった。しかし、これらの世界には、専門家を凌駕するような編集者の先輩たちがいて、その人たちには敵わない自分もいました。

だから、柿内さんのインタビューで、この部分も刺さりました。

ぼくが神吉さんから学んだことの一番は、編集者としてのスタンスのパラダイムシフトです。ぼくのような凡人から見たら、編集者というのは、ジャーナリズムに命をかける人とか、ファッションやマンガが好きで好きでたまらない人とか、プライベートでも何か出版やメディア的な活動を自発的にしている人とか、ある意味「これが天職だ!」みたいな人にしかできない仕事なんじゃないかと思っていたんです。

当時の私にも、好きでたまらない人が編集者をやっているイメージがありました。

特に、雑誌の編集者に。私の上司がファッションの出版社で雑誌編集者だった人で、その人に編集のイロハを教わったんですが、本当に知識がすごかった。自分でスタイリングもするし、原稿も書くし、レイアウトもする。それが編集者だと思っていました。

そして雑誌は、ひたすら好きな人が作っている方が面白い気がします。

でも、書籍は違うのではないか。

当たるとか外れるとかを考えると、頭でっかちになって計算とかノウハウに行っちゃうじゃないですか。「売れそうなもの」を作ろうとしてしまう。そうじゃなくて、自分のうしろには大衆がいるんだという本当の確信のもとでものを作ることができれば、それが売れるかどうかなんて、1ミリも考える必要がないんですよね。

ここまで突き詰められるところが、柿内さんの非凡なのだと思います。

ただ、それはやはり書籍だからではないのか。そう言う疑問が拭えずにいます。

編集者になりたい人へ金言続々

読者と編集者と著者の関係について、インタビュー第三弾で、柿内さんはこう述べています。

神吉さんが登場したことで「大衆(読者)」と「著者」は「編集者」を通じてついにつながり、この三者は「払い下げる」相手でも「あがめる」対象でもなく、対等な関係、一体の関係になったんです。

そして柿内さんによれば、編集者というのは、読者と著者をつなげる職能に過ぎないということになるわけです。

編集者というのは、べつにゼロイチを生み出す作家でもクリエーターでもないわけです。
編集者の仕事って、著者のいちばん言いたいことが何かというのを、著者自身が気づいてない可能性も含めて適切に見極め、それが最適な形でアウトプットできればよいわけです。
ぼくがやる以上は、大衆の身代わりとして、最適な形にその本を仕上げるというところの役割、機能は絶対に果たす。編集者というのはただの一機能にすぎません。

これらは、編集者という存在を身近に見てきた私にとって、かなり衝撃的であり、また、同時に、自分にとって納得のいく言葉でした。

編集者の諸先輩たちは、やはりクリエーターとしての自分を打ち出そうとするし、著者と同じレベルで戦えるかどうかを気にして、日々研鑽を積んでいるわけです。だけど、それは、編集者が著者側に偏ってしまうことでもあります。

取材する側が、取材される側に近づき過ぎ、取り込まれるのは新聞記者や雑誌記者だけではなく、編集者にもありうることでした。

でも、それは、柿内さんにとって大衆の側から離れることになりかねない忌避すべきことなのです。

自分が、権威とか、専門家とか、マニアとか、高偏差値とか、そっちのほうに入り込んでいないかというのは、ふだん相当に意識しています。もしそっち側に行っちゃったら、自分は編集者としては終わりだなと思っているので。

それを自分に課すところが柿内さんの非凡だと思いますし、そこにある「自分には何もないという自覚」と「凝り症で徹底することに躊躇がない」というのが柿内さんという編集者が、特別な成果を生み出している根幹なのだろうと思いました。

三角形の、機能の一端として。ぼくは100%受け身だし、編集は受注仕事でいい。やりたいことがあるのは、絶対に作家のほうなので。

これは、私も思うところで、自分にはやりたいことがないけれど、やりたいことがある人を助けたいとは思っています。そのための能力はあるはずだと。でも、そんな私でも、あえて何もないことを喧伝する気にはならないものです。でも信念があれば言える。そこが柿内さんの凄みです。

この記事を読んで、編集者のイメージを変えてくれる若者がいるといいなと思いました。

編集者というのは社会の進歩に必要な職能で、特に今、SNSやブログやYoutubeなどで情報発信が容易になった時代だからこそ、情報を編集する人が発信者の側に必要だと思います。

ただ、柿内さんが語るように、今の編集者の注目され方はちょっと違うと、私も思います。

表に出てくる人というのは、アーティスティックな人が多いし、ぼくから見るとクリエイターであり作家なんですよね。クリエーターが編集者という職業をやっているだけであって、厳密には編集者じゃない。だけど、そういう人ばかりが編集者のイメージを形作ってしまっていますよね。

天才編集者とか言ってサロン作っている人のことでしょうか(笑)

だってもう名刺に「編集者」って刷れば、誰でも編集者を名乗れるわけじゃないですか。編集者は時代的に増えていると思うんですけど、本当のプロの編集者は何かといったら、やっぱり機能以外にはないです。

そこにあるのは、自分が作りたいものを外注しているような形で編集を捉えるのではなく(それは編纂かもしれない)、作りたい人を読みたい人に届ける仕事として編集者を捉えることでしょうか。

最後に、柿内さんのメッセージがあったのですが、それは記事を読んでいただきたいです。

編集者について思うこと

以前、私はディスカヴァーの編集教室を終えた時に、編集者について書いたことがあります。

編集者に求められるものが変わっていることを踏まえた講義編成であり、時代を捉えた講義内容だったのではないかと、受講を終えた今、感じています。

編集者というものが、私が務めていた時と変わっていることを感じて、勉強に行って、大変学ぶことが多かったのですが、それでも感じていた違和感がありました。

それは、やはり、雑誌編集と書籍編集の違いだったのかもしれません。商品としての書籍と、情報を売る雑誌の違いと言えるでしょうか。

そうしたことを超えて、考えの底に置くべきなのは、柿内さんが語っていた「職能としての編集者」というものなのかもしれません。

作り手の思いを、いかに読み手に的確に伝えるか。そのためのあらゆる努力ができるか。それが編集者なのかもしれないと思いました。

もしできるならば、私も、そういう編集者になりたいものです。

今は、なかなか編集者の仕事ができてはいないのですが。

サポートの意味や意図がまだわかってない感じがありますが、サポートしていただくと、きっと、また次を頑張るだろうと思います。