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日光に滝を見に行った話

こんにちは、ヒラタです。インドア派ですがゆるキャン△が好きな理系大学生です。

タイトルにもある通り、日光に滝を見に行った話です。ちなみに初投稿です。

初の一人旅

話は今年の10月までさかのぼります。高校時代の友人が「お互い別々のところに旅行に行ってどちらが面白い旅をしたか競争しないか」と言うのです。私は興味本位でその勝負に乗ることにしました。


私が旅先を日光に選んだ理由。それは日光東照宮に行くため…ではなくて(それも目的の一つではあったのですが)「華厳ノ滝」を見るためでした。

華厳の滝に関する情報はこちら↓


私がこの滝の存在を知ったのは、バイト先の塾の教え子から遠足で日光に訪れた話を聞いたときでした。

「あの滝は他の滝とレベルが違うんすよ。俺が行ったときなんて雨が降ってたせいで水量がヤバくて。思わず大声で『すげー!』って叫んだんですけど隣の子にその声が聞こえないんすよ笑。滝の音がうるさすぎて、みんなそれしか聞こえないんですよね。」


目の前に流れる壮大な滝。水の落ちる音しか聞こえない世界。私はこの話を聞いたときから是非ともその滝を見てみたいという思いを募らせていました。日光は東照宮を含めた世界遺産が有名な観光地ですが、当時の私にとって旅行のメインディッシュはあくまでも滝だったのです。

いざ出発

他の観光スポットの確認や行きと帰りの電車の予約も済ませ、いよいよ出発は明日。今日は早めに眠らねばと思ったそのとき、私はあることに気がつきました。

泊まる場所がない…

直前の予約でもなんとかなると思っていたのですが、どういうわけかその日に限ってどこもかしこも予約が埋まっていたのです。このままだと日光の山奥で夜を明かすことになってしまう…。当然予想外の事態ではありましたが、このときの私がこのハプニングを内心楽しんでいたことは否めません。こういったハプニングがあった方が「面白い旅」と言えるかもしれない。そう考えた私は「行けばなんとかなるだろう」という結論に至りました。


翌日、日光に突貫しました。

東武日光駅から華厳ノ滝に向かう道すがら日光東照宮等の世界遺産を回っておくことにしました。

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最初は日光東照宮。見猿・聞か猿・言わ猿で有名な徳川家康の霊廟です。

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白と金の東照宮

次に大猷院。こちらは家光の霊廟です。東照宮と比べて閑散としていて落ち着いて回れました。

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黒と金の大猷院

他にもいくつかのお寺・神社を回りましたが、この記事の大筋から外れるのでここでは省略します。世界遺産エリアを堪能した私はいよいよ本命の滝に行くためのバス乗り場を探すことにしました。


滝行きのバスの中で

定刻通りやってきたバスに乗ると、私は旅のお供に持ってきていた小説「金閣寺」を取り出しました。滝までは約30分かかるとのことだったので読書で時間をつぶそうと思ったのです。

しかし、私が乗ったバスが「いろは坂」に差し掛かったあたりで、私は新たな予想外にぶつかりました。突然バスの動きが止まったのです。

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無限渋滞編

そこには見たことのないような渋滞が広がっていました。正直焦りました。なぜ今日に限ってこんなに混んでいるんだ…。バスは完全にその動きを止めてしまいました。ただ時間だけが過ぎていきました。


ここで引き返すべきか。いくらこの旅のメインとはいえ華厳ノ滝———たかが滝1つを見るためだけに渋滞で時間を浪費することはあまりにも愚かな気がしました。しかし、私は決してバスを降りようとはしなかったのです。


ここで諦めてしまったら、この旅の面白さが半減してしまう。そんな気がしたのです。

「面白い旅をしなければ」

この思いが私が滝行きのバスから抜け出すことを許しませんでした。それに、ここで長く時間を費やすほど、その先に待つ滝がよりいっそう美しく感じられる気がしていたのです。結局、私はこの渋滞地獄にいずれ終わりが来る方に賭けました。



待ち続けた先に

私が「金閣寺」を読み終わったのとほぼ同時に、バスが華厳ノ滝に到着しました。時刻は16:30。滝周辺の施設の営業時間は17:00までなのでギリギリ間に合ったというわけです。


ここまでの手間を費やして見る滝はどれだけ美しいだろう…。私はバスから降りるとすぐさま滝の方に駆けて行きました。あれほど夢見ていた滝は、意外とあっけなく私の前にその姿を現しました。

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大きな滝でした

私はいろいろに角度を変えて眺めたり、目をつぶって耳を澄ましたりしました。しかし、何の感動も起こらないのです。華厳ノ滝に過剰な期待を抱いていた当時の私にとって、目の前のそれはただの大きな滝でしかありませんでした。

この滝を見た以上、もう日光にいる必要もないだろう。私は帰りのバスを探すことにしました。


帰りのバスに乗りながら、私はさきほどまで読んでいた小説「金閣寺」の一節を思い出していました。

何の感動も起こらなかった。それは古い黒ずんだ小っぽけな三回建にすぎなかった。頂きの鳳凰も、鴉がとまっているようにしか見えなかった。美しいどころか、不調和な落ち着かない感じをさえ受けた。美というものは、こんなに美しくないものだろうか、と私は考えた。

↑主人公が金閣を見たときに抱いた感想

「金閣寺」の主人公の気持ちが少し理解できたような気がしました。

おわりに

これだけの話です。
結局、私は面白い旅ができたのでしょうか。




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