漫才論| ¹⁰⁷「会場のウケ」だけで審査するなら審査員はいらない
今年のM-1ファイナリストの選考は,「賛否両論真っ二つ」というかんじですが,準決勝の会場ではそれらのメンバーのネタは確かにウケていたようです。しかしそこには,「内輪ウケ」的な要素も存在しているということについてはこの記事で書きました
審査員の方は当然,当日の「会場のウケ」だけでファイナリストを選んだわけではないと思います。今回の審査員が実際にどんな基準で審査をしたのかはご本人に聞いてみないと分かりませんが,一般的に考えられる審査の基準について書いてみたいと思います
審査員は「会場のウケ」以外に
何を考慮に入れて審査しているのか
審査に関係する要素はいろいろありますし,審査員によっても感覚が違う部分も当然ありますが,「ウケ」という要素について言うなら,最低でも次の3つの点を考慮に入れて審査していると思います
その会場でウケていた順に順位を決めるのであれば,人間が審査するより笑いの回数や笑い声の大きさなどを測定したほうが公平ですから,「審査員など必要ない」ということになります。しかしそれだと,M-1予選に足を運ぶコアな漫才ファンの反応だけでファイナリストが決まることになってしまいますから,やはり人間の審査員が必要です
「全国の漫才ファン」にどれくらいウケそうか
予選会場には足を運ばない(運べない)漫才ファンの方も,全国に大勢います。その中には,「コアな漫才ファン」「正統派漫才好き」「浅草芸人ファン」「昭和の漫才好き」「地下芸人ファン」「ありとあらゆる漫才が好き」などなど,いろいろなタイプの方がいます
どんなタイプの方であろうと漫才ファンがM-1決勝をみる可能性は高いですから,審査員は,「会場には来ていないそれらのファンにどれくらいウケるか」をイメージしながら審査していると思います。「全員」は無理だとしても,漫才ファンの多くの人が納得できるメンバーを選ぶのは,審査員としての責任です
「一般視聴者」にどれくらいウケそうか
「漫才ファン」というわけではなく,漫才は「まあまあ好き」「嫌いではない」「特別興味があるわけでもないけどなんとなくみる」などなど,一般視聴者がたくさんみるのがM-1決勝です。予選会場にいるコアな漫才ファンのウケだけで選んでしまうと,一般視聴者が蔑ろになってしまう可能性が高いです(今大会はこれが懸念されています)
普段はそこまで漫才をみない一般視聴者の方に,「こんなおもしろい漫才があるんですよ」と宣伝するのも,M-1予選の審査員の役割ですから,コアな漫才ファンだけにしかウケない漫才師は,そうそうファイナリストには選ばれません。攻める選考をするにしても,一般視聴者にギリギリウケるかウケないかのラインを狙うはずです
極力「厳正」な審査であってほしい
そもそも「笑い」に厳正で公平な審査など存在しないとは思いますが,M-1予選の審査は非公開なので,「忖度」とか「印象操作」とか「大人の事情」が極力ない審査であってほしいです。どの組織,どの世界においても,裏事情はいろいろあるとは思いますが・・・
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