漫才論| ¹⁰⁴M-1グランプリ2021は「M-1」という少し大きめの"内輪ウケ状態"になり, 「M-1自体がスベる」という可能性はないのか❓
M-1グランプリ2021のファイナリストのメンバーを聞いとき,「なんらかの意図的な力が働いているのではないか」と思ってしまいました。それくらい,普通に考えたら「あり得ない」選考だったからです
それでも,準決勝のウケ具合の情報を見るかぎり,選ばれたメンバーの漫才は確かにウケていたようなので,なんらかの意図があって「審査をねじ曲げた」というわけでもなさそうです。だからといって,「ウケているコンビを選ぶ=厳正な審査」であるとはかぎりません。「審査」においては,「誰にウケていたのか」という要素も重要だからです
誰に"ウケていた"のか
ファイナリストに選ばれた漫才師のネタが誰にウケていたのかというと,それは,準決勝の会場にいたお客さんにです。その大半は,「コアな漫才ファン」だと思います。普段からライブに足を運んだり,M-1予選1回戦からずっと熱い視線を送るようなファンです
また,SNSなどでこの話題で盛り上がっているのもやはり「漫才ファン」です。「どちらかといえば漫才が好き」という程度でM-1予選の動画を全部みる方はほとんどいないと思いますし,今回選ばれたメンバーのこともそんなに知らない方のほうが多いと思います
ですから,今回の選考結果で盛り上がっているのは,「漫才ファン」という比較的少数の人です
決勝だけみる人が多数派
ところが,M-1決勝となると状況は一変します。「漫才ファン」や「どちらかといえば漫才が好き」という人以外にも,「決勝だけはみよう」という方が大勢いるからです。こちらのほうが多数派です
「漫才ファン」以外は,M-1というのは漫才の大会なのだから「多くのコンビがいわゆる"正統派漫才"をやるのだろう」という感覚でみる方が多いと思います。その場合,今回のメンバーの"漫才"はどう映るのか・・・
こういう感覚でたまにしか漫才をみない人が去年のマヂカルラブリーのネタをみて,「これって漫才なの?」と感じる気持ちはよく分かります。綺麗な風景画が飾ってあるはずの展覧会に今年も行ってみたら,急に,いまだかつて見たこともない"ピカソ的な絵"ばっかりになっていた・・・みたいな・・・。それを見て,「え?何これ?これって絵画なの?たぶん"絵"だろうけど・・・意味はよく分からない・・・」と感じる方も結構いるはずです。"綺麗な風景画"を見るためにわざわざ足を運んだわけですから・・・
マヂカルラブリーが"ピカソ的"なのかどうかはよく分かりませんが,今年はある意味"ピカソ超え"的なネタをするコンビがそこそこいると思いますので,ご注意ください
「M-1自体がスベる」という可能性
今年のM-1は,これらのメンバーを高く評価した「漫才ファン」とそれを受け入れた「審査員」の選考が,それ以外の「漫才がまあまあ好きな大多数の人」から審査される大会になるのではないかと思います
「よくぞこんな"ピカソの絵"のような今までみたこともない素晴らしい漫才師を発掘してくれた!」という反応が返ってくるのか,「え?何これ?これって漫才なの?漫才の一種なのかもしれないけど・・・意味はよく分からない・・・」という反応が返ってくるのか・・・
後者の反応が大多数だった場合,"M-1"という少し大きめの「内輪ウケ」で終わり,「M-1自体がスベる」という形になる恐れもあります。今後の漫才界の流れを左右する試験的な大会になりそうです
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「みんなで作る漫才の教科書」とは,テーマ別に分類した「漫才論」にみなさんから「質問」「意見」「反論」などをいただいて,それに答えるという形式で教科書を作っていこうというプロジェクトです
THE MANZAI magazine
❶「自分たちにしかできない漫才スタイル」を確立する方法 ❷しゃべくり漫才のうまさは「相槌」で決まる ❸「漫才台本の書き方」と「オチのつけ方」 ➍ボケやツッコミってどのようにして思いつくものなの? ❺「言い訳-関東芸人はなぜM-1で勝てないのか-」は"現代漫才論"ではない-ナイツ塙さんが何を「言い訳」しているのかが分かれば,関東芸人がしゃべくり漫才でM-1王者になる道が見えてくる- ❻漫才詩集「38」
フィクション漫才『煮豆🌱』-いとこい師匠のテンポで-
作: 藤澤俊輔 出演: おせつときょうた
あらゆるオチを誰よりも先に小噺化するプロジェクト『令和醒睡笑』過去の創作小噺を何回も何回も回すと"古典小噺"になる・・・はず・・・【小噺はフリー台本】