【原文】富士下山ガイド「宝永第一火口」
富士宮口五合目~六合目~宝永第一火口を折り返すルート。火山としての富士山の魅力がぎっしり詰まった良コースである。
歩き始めてすぐ、足元には硬い岩盤が広がる。およそ2万年前にこの地に流れたり、降り積もった溶岩がこの辺り一帯を覆っている。現在私たちが見ている富士山の大部分は玄武岩という火成岩(火山岩)の一種で出来ており、この時期の溶岩には斜長石と呼ばれる半透明の白い鉱物が良く目立つ。同じ玄武岩であっても噴出した時の条件によって色や鉱物の割合、質感などに大きな違いがあることが面白い。まさに石は地球の記憶である。
しばらく進むと広い登山道の両サイドの斜面に青白みがかった大きな岩石が無数に転がっていることに気が付く。1707年の宝永大噴火の際に1万~1万5千年前の新富士溶岩の層が吹き飛ばされた岩盤のかけらである。この地は宝永火口よりも西側に位置しており、噴火当時に吹き付けていたと考えられる強い西風が、小さく、軽い噴出物を東側に運んでいったため、西側の火口周辺には大きく、重い噴出物のみが運ばれてきたというわけだ。登山道の整備で削られた斜面を見ると、赤茶けた2万年前の地層と表面に点在する1万~1万5千年前のコントラストにロマンを感じる。
六合目に到着するほんの手前に大きくえぐれた谷地形が現れる。実はここも噴火口。谷の西側には分厚い岩盤が切り立って見え、東側には噴出したマグマのしぶきが堆積した丘(スパター丘)が確認できることから、年代こそ不明だが、山肌が数百mほど縦方向に割れ、しぶき状にマグマを噴出したことがわかる。富士山には70ヵ所を超える側火口とよばれるこうした噴火口が点在しており、眼下の景色に目を向けると、富士山の裾野にこぶのように見える大小さまざまな丘は全て過去の噴火口であり、噴火する可能性がある範囲は市街地にまで及んでいることがわかる。
山頂へ向かう登山道の分岐点をそのまま東へトラバースして進むと、大きな谷が目に飛び込んでくる。前項「富士宮口五合目~御殿場口五合目」の中でも紹介した八合目直下から続く雪代の谷である。春先には雪渓が残っていることも多く、時期によってはチェーンスパイクや軽アイゼンを持参することをお勧めする。
富士山の岩場には灰白色のなにやらゴワゴワとした物体がこびり付いていることに気が付く。気に留めなければ踏みつけて通ってしまうそうなこの物体は地衣類という大変立派な生き物で、藻類と菌類の共同生命体である。地上にまだ酸素が存在していなかったころ、生物は溶存酸素を頼りに水中のみで暮らしていた。しかしながら生き物にとっての至上命題は生息環境の拡大と繁栄。水中で暮らしていた菌類と藻類も虎視眈々と上陸のチャンスをうかがっていた。そこで、自力で動くことはできないが、光合成によって栄養と酸素を作り出せる藻類と、酸素が無い場所では生きていけないが、動くことのできる菌類の利害関係が一致し、共同生命体となって地上に出てきたのである。地衣類が地上で光合成を行った結果、酸素が発生し、おかげで私達生き物は地上進出の足掛かりを手に入れたというわけだ。足元にある地味ながらも偉大な生命体に敬意をはらって岩場を進みたい。
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