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個人的「カッコいい」の話


「カッコいい」ってめっちゃ憧れる

皆さんは「カッコいい!」と経験はあるだろうか。
性別問わず、誰しもが一度は経験している感情だと思う。

かくいう私も「カッコいい」と思ったことは何度もある。
そしてそうなりたいなぁと思いながら、残念ながらこのザマである。

しょんぼりはさておき。
昔からカッコいいと思った機会はたくさんあったのだが、昔から「カッコいい」にはいくつか種類があると感じていた。

その中の一つが異常に私は好きで、それに憧れている。
こいつの正体が最近わかった気がするので、紹介しようと思う。

「カッコいい」ってなんだ

「カッコいい」とは、具体的にどういう状態を指すのだろう。
国語辞典だと以下の記載がある。

「姿・形や身のこなしなどがその時代の人の感覚や趣味に合い、ほめそやされる様子」
「処世態度に潔さがあり、好感をもって受け入れられる様子」

なるほど、わからん。
確認しておいてアレだが、自分でぱっと思い浮かぶものをあげると以下かなと考える。

  1. 顔が良い

  2. 頭が良い

  3. 性格が良い

  4. 行動が良い

いくつか挙げてみたが、どうやら良いことであることは間違いない。
顔や頭は自明だが、性格やとっさにとった行動などを称賛する場合にもよく使われている気がする。
(困っている人を助けた!とか)

ただ、私が前述した異常に好きな「カッコいい」はここには当てはまらない。
せっかくなので、私の思い出と重ねながら説明しようと思う。

「カッコつけないカッコよさ」

幼少の頃、私が大好きな小説に「名探偵夢水清志郎事件ノート」というものがあった。
3姉妹である亜衣・真衣・美衣と名探偵である夢水清志郎が難事件を解決していく、はやみねかおる先生によるミステリー小説だ。

私はこの作品に出てくる主人公、夢水清志郎が大好きだった。
190cmの痩せ型、黒いサングラスに黒の背広。
基本的に記憶力はないが難事件をズバズバと解決していく。

その姿に「カッコいい!」と思ったのだが、その時にちょっとした違和感を覚えていた。
先ほど挙げた4つの「カッコいい」と、私の中であふれる「カッコいい」がちょっと違ったのである。

別に190cmになりたい訳でもなく、痩せたいわけでもない。
服装に憧れがあるわけでもなく、難事件を解決したいわけでもない。

さて、私は何をもって「カッコいい」と感じたんだろうか。
その答えがその頃は分からないままであった。

時は流れ、中学高校の頃にバンドにハマった。
絶叫するボーカル、暴れまわるギターやベース、ドラムに痺れた。

このときの「カッコいい」も同じだった。
見た目や曲が好きなのは勿論だが、それとは違う「カッコよさ」も同時に感じでいたのである。

この頃は少し自分の中の引き出しも増えていたので、ふと感じることができた。

「なんか、カッコつけてないのがカッコいいんだよなぁ」

相手に左右されず、自分の思っていることを音楽にして届ける。
そんな彼らの生き様が「カッコいい」と思ったのだ。

この頃何かと「カッコつけないカッコよさってのがあるんだよ…」と息巻いていたのを覚えている。
勿論全く理解されず、負け犬の遠吠えとしか思われていなかった。

私の感じた「カッコいい」の正体

いまいち言語化ができないまま、大学を卒業し、会社に入った。
色々な人生の先輩たちと会っていく中で、同じような「カッコいい」を感じる先輩に巡り合った。

その人は普通のサラリーマンなので、難事件を解決するわけでも、自身の感情を音楽に乗せるような人でもなかった。
ただ、彼らと同じような「カッコいい」がそこにはあった。

なんだろう、普通に優しくていい先輩なんだよな…
その時、ふと私は一つの答えにたどり着いた。

「あぁ、俺の感じてるカッコいいって『飾らないこと』なんだ」

その先輩は本当に素晴らしい人だった。
自身を過大評価せず、弱いところを隠したりしない。
例えば得意でないことがあったら、一回り年の違う後輩に対しても「ごめん、これお前のほうが得意だから手伝ってもらっても良い?」と当たり前のように相談してくる。
ただ決してプライドがない訳ではなく、先輩としての立ち回りもする。
私のために頭をさげてくれることも度々あった。
何というかプライドの使い方を知っているのである。

夢水清志郎やバンドマンから感じたのはまさにこれであった。

「自分を理解し、認め、弱さを隠さない、飾らない人」

そんな彼らを、私は「カッコいい」と感じていたのである。

自身の思う「カッコいい」を目指して

この答えに行き着いたとき、すごく納得感があった。
同時に「自分は昔からブレてないんだな」というちょっとした安心感もあった。

「カッコいい」という言葉は様々な捉え方がある。
見る人や見る感情、見る状況によってもキラキラと宝石のように変わっていく。

別に誰しもがカッコよさを目指す必要はないし、そのために必死に命を削る必要もない。
いままでの彼らだって「カッコいい」と思われたいからそう生きてきたわけではないのである。

ただ一つ、私は忘れないでおこうと思う。

飾らない人に「カッコいい」と感じていたこと。
またそんな人達に「カッコいいですね」と伝えてあげること。

自分もいつかそう言われてみたいなぁなんて、ちょっと期待しながら。

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