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7/18朝SHOWROOM振り返り・私がなりたいものはずっとミスiDじゃなくて小林司だった。

私がなりたいものはずっと、ミスiDじゃなくて小林司だった。
女の子の彼女にも彼氏にもなれないし、友達にすらあんまり上手になれない私が女の子達のためにできることってなんだろう。
小林司の好きとか評価は女の子のためになる。ミスiDの選考も先に進めるし、賞ももらえるし、仕事も回ってくることもある。

それに引き換え私がどれだけ彼女達の良さを知っていても、好きでも、それが一体彼女達のための何になるんだろう?何にもなれないし何もできてない。
そのもどかしさを抱えていた私がある時突然バーチャルの身体を得ました。しかもこの身体はPCさえあれば誰にでも手に入る。ひとつのソフトやサービスの中に幽閉されない、VRM形式で色んなバーチャル世界へと持ち出せる身体。
その身体で色んな場所へ行き遊んでいるうちに、こういう人生の上でバーチャルの身体を得た私ができること、「別に生身じゃなくてもいい」と言えることなんじゃないかと考えるようになりました。

ミスiDは半年活動名と写真と動画を講談社のサイトに晒しながら、多種多様な女の子達と横並びにされて、参加自由とはいえチアーズという課金・ポイントレースの要素と共に半年走らないといけないということは、それが向いていない人にとっては過酷に感じてもおかしくないオーディションです。
でも別に明確な副賞があるわけでもなく、仕事の斡旋が約束されるわけでもないから、どれだけ頑張ってもそこで一定の評価を得たとしても、それ以外には何も自分に残らなかった。ということにも十二分にありうるオーディションです。
でも私はそこに対して、「そういうオーディションってわかって受けたんでしょ」とか、「そこでチャンスを自分でつかめないのは自己責任」という言葉では済ませたくないし女の子達がミスiDにエントリーすることを通じて、より自分の才能をより発揮できる環境へと向かうためにミスiD側ができることはまだまだたくさんあるはずでしょ、という気持ちがあります。「でもそれすらできないんだったら」の気持ちと、「バーチャルアバターという新しい身体を得てより自分の才を発揮できる女の子がいるんだったら」両方の気持ちで、ミスiDにバーチャルアバターでエントリーするという選択肢が普通にあってもいいはずですよね?ということが言いたくて私は今年エントリーしました。

それは、生身の顔と身体を晒すことで無為に傷つくリスクからも遠ざけられるし、もしバーチャルアバターでのエントリーがいいんだったらもはやカメラテストも現地に行く意味はないわけで、だったら生身の女の子だって遠方に住んでる人とか色んな事情で講談社に行けない人は遠隔でのカメラテストでもよくない?と思うんです。
地方に住んでて様々な事情で簡単に何回も東京に行けない女の子達だっているしでもそれで諦めるのはもったいないし、だからといって例えば金銭的な問題がある中で無理に地方から東京に出て来ようとすればそこには色んな危険が想定されるわけで。
だから私はそういう気持ちも事情も全部全然甘えじゃないと思ってます。顔を出したくないという気持ちも、さまざまな理由で何回も東京には行けないけど審査にもミスiD主催のイベントにも出たいという気持ちも私は最大限叶えられて欲しいです。それがミスiD的な資質を兼ねそろえた女の子の才能を取りこぼさないためにも必要なことだと思ってます。

だからそのために、女の子達の彼氏にも彼女にもなれないし小林司にもなれない私に今できる唯一のことが、バーチャルアバターの姿でミスiDに出ることかもしれない、そう思ってミスiDにエントリーしました。