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ミスiD実行委員長小林司(さん)に対する積年の複雑な嫉妬心について

なんか数年前までには権威ある大人達になんとなく自分の存在を認めてもらいたい的な、漠然とふんわりした気持ちでミスiDに書類を送ったこともあったと思うんだけど(当然書類落ち)、なんかミスiDを毎年遠くから近くから動向を追っている内に私が気づいてしまったのは、「全くグランプリとかミスiDになりたいという気持ちはないけど、小林司にはなりたかった」という自分の気持ちだった…。だから全くミスiDの女の子に対しては全く嫉妬心を持たないけど、小林司に対しては異常に嫉妬を感じるという…。

断っておくけど長年見ているからめちゃくちゃわかっているけど、あの方がやられている仕事はそんな簡単に「なりたい」と言えるようなちょろい仕事じゃないですよ全く。若い女の子達にちやほやされることを期待して同じ仕事をやりたがった人がいたとしてもその人達速攻全員鬱になるんじゃないかってぐらい心身共にものすごく削られるであろう仕事内容と量だよ。常に合理を投げうってまで必ず「女の子達のための」を大事にして誠意を尽くそうとしている方だと思います。(だとしても現実に現れた結果が、本当に彼女たちにとってそれでよかったのか?と思うような場面が多すぎるからこそ、私は永遠にミスiDを完全肯定しきれないんだけど…)

だけどとにかく私は小林司になりたかった。なぜなら私の「好き」はいつまで経っても何も女の子たちのためにならないのに、小林司の「好き」は即座に女の子達のためになるから。


そう気づいた頃から、ミスiDになりたいと思っている人がミスiDに出るならともかく、小林司になりたいと思っている人がミスiDに出るのはどう考えてもおかしいし、万が一何かの間違いで選考を進んだら私は小林司に呼び捨てにされるんだ…と思うとめちゃくちゃ腹が立ってきてその時ぐらいからミスiDに出てみたいという気持ちは消え去りました。

ミスiDの女の子のカメラテストの動画やチアーズの記事に対してSNSで言及したりする時も「でもどうせ女の子達は私に褒められるより小林司に褒められる方がうれしいに決まってる…」といじけながら一生届かないラブレター書いてるみたいな気持ちで書いてて、「絶対に小林司は私が彼女を讃えるために使った言葉以外の言葉を使って選考委員コメントを書け!!!!!!!!!!!」(※毎年小林司はファイナリスト全員に選考委員コメントを書いている)と思いながら、ごく目立たないおたくとして悶々と日々を過ごしてた。あとさらに断っておくと、別に小林司がどうとかじゃなくてちゃんと私が言及したことそのものに対して喜んでくれた女の子もいたし、なので私のこのいじけは現実の女の子達の反応がどうこうじゃなくて完全に私ひとりの世界の中での話です。

だからミスiDのプロフィールに書いた『無力な私の「でも私は好きだよ。可愛いよ」なんて言葉1mmでも価値がありますか?』っていうのはもっと直訳して書くと『小林司じゃないし無名で何の権威もない私の「でも私は好きだよ。可愛いよ」なんて言葉1mmでも価値がありますか?』
って意味です。

「ミスiDという枠組みは肯定しきれないけど、ミスiDに出て選考を進んでゆく女の子達ひとりひとりのことは好きだ」というこの気持ちが、「アバター姿でエントリーすることが普通に選択肢として許されろ」というミスiDに対する一人デモみたいなことをさせているんです私に。