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#猫を棄てる感想文 いつの間にか戻ってきた「棄てたはずの猫」のこと


 この「猫を捨てる』という本を読んでいると、自分の父親のことを思い出さずにはいられなかった。

 村上春樹さんが書いているのは、「父親」の部分的な人生と、村上さんとの接点としての「猫を棄てに行った話」などのいくつかの思い出だけでしかない。

 長年の確執があって、20年近く顔をあわせることもなかった、なんて書いてあったけれど、その詳しい理由や、お父さんの最晩年での和解の経緯についても、読者には説明されない。

 村上さんは、毎朝お経を唱えている父親に、「誰のためなのか」と尋ねたことがあったと書いている。そして、「亡くなった仲間の兵隊や、亡くなった中国の人たちのため」という返答に、それ以上の質問ができなかった、と。もし尋ねれば、父親は何かを説明してくれたのではないか、と思いつつ。

 僕はずっと父親とあまり折り合いが良くない息子だった。「お前は好きなことをやっていい」と言いながら、模試の志望校が医学部じゃないと、機嫌が悪くなるような人だった。教育にお金を惜しまない人ではあったけれど、夜の町を経済的に潤すのにも、お金を惜しまない人でもあった。酔っ払って帰ってくるたびに、布団に隠れて、寝たふりをするのが習慣になっていた。

 僕の父親は僕が20代半ばのときに、突然亡くなったので、僕は老いた父親を知らない。不仲ではなかったし、怒られたことも記憶にあるのは1回だけだ。手もあげられたこともない。まあ、それはたぶん、僕が親に怒られないように立ち回る、ずるい子どもだったということもあるのだろう。尾崎豊が学校の窓ガラスを割る歌を流行らせていたとき、僕は「窓ガラスなんて割ったって、何も変わるわけないだろバカ」と心の中で嘲っていた。でも、ちゃんと反抗しないで大人になってみると、何がしたいのかわからなくなってしまった。

 客観的にみれば、僕の父親は、そこそこまともな人間だったとは思う。

 少なくとも、子どもを飢えさせなかったし、本だけは好きなものを買っていい、とお金を出してくれた。

 でも、僕は子どもの頃、そんな父親を「子どもにお金やモノを与えることしかできない人だ」と、けっこう軽蔑していたのだ。自分が親というものになってみたら、これがどんなに大変なのかが身に染みた。だが、もはや、「案外立派な父親だったんだね」と伝えることもできない。

 この『猫を棄てる』を読んでいて思うのは、人は、大事なことを、いつも、言うべきときに言えず、聞くべきときに聞けない、ということなのだ。

 村上さんはお父さんの半生を、さまざまな伝手や記録をあたって調べたのだと思うけれど、お父さんが存命で元気なときに本人に尋ねていれば、手間は10分の1くらいで済み、もっと正確なことがわかったはずだ。

 『アンダーグラウンド』では、大勢の人の地下鉄サリン事件での「記憶」を何かに取りつかれたかのように集めていた(それも、聞いているだけでつらくなるようなものが多かった)村上さんが、自分の身近な人には、踏み込むことができなかったのだ。

「尋ねれば、語ってくれたはずだ」

 そして、相手は、もしかしたら、そのことを語っておきたかったのかもしれない。

 でも、相手が大事な人だからこそ、語りたくなかった、あるいは、語るべきではないと判断していたのかもしれない。

 50年近く生きていて、ひとつの悟りみたいなものもあるのだ。

 それは、語られなかったことは、語られない運命みたいなものを持っていた、と決めてしまったほうが、ラクだということだ。人生は推理小説ではないし、求められていない真相だってある。

 覚悟して聞いたはずのことでも、人は、案外傷つくものではあるし、他人事だから受け止められる現実は少なくない。

 子どもの頃、家族で、ある温泉地へ行ったのだが、そこには温泉の地形を利用した「○○地獄」みたいなものがたくさんあって、そのなかに「賽の河原」という場所があった。石が積み上げられているのをみた母親が、地面からひとつ石を手にとり、子どもたちに「こうやって積み上げていくんだよ」と上に重ねるふりをしたとき、父親は珍しく大声で怒鳴った。

「やめろ、そんなことをしたら、子どもが死ぬぞ!」

 子ども心に「死なねーよ」とは思ったのだけれど、くすぐったくも、ちょっと温かい記憶ではある。

 父親は中国地方の山奥の生まれで、医学部に行くために、祖父は田んぼを売ったそうだ。そのことで、兄弟からは「ご飯をお替わりするときは、もっと遠慮しろよ」と言われたり、実家が引っ越したときに連絡がなく、帰省したときに表札が替わっていて愕然としたりしたことがある、と母親から聞いた。あの人は、頑張って勉強して医者になったけれど、そのおかげで周りから浮いてしまって、愛されなかったのかもしれないね、と。

 うまく愛されることができなかった男は、自分の息子にも、愛しているというパフォーマンスをうまく見せることができなかったのかもしれない。

 そして、その息子(僕のことだ)も、自分の子どもたちを、うまく愛せている自信がない。子どもを子ども扱いするのは、案外難しい。  

 村上さんの作品には、長い間、「父親」が登場してなかったのだが、『1Q84』で、はじめて主人公のひとりの父親が登場してきた。それは、村上さんにとっての内面の変化が反映されたものだったのだろうか。

 ただ、そこには「感動の和解」みたいなものがあったのではなくて、ただ、「父親もまた、自分と同じような、不完全で、そのことでもがきながら、身近な人には弱みを見せられない人間だった」ということを認めただけなのかもしれない、とは思う。

 それしかできなかったし、それでたぶん、十分だったのだ。

 でも、そこにたどり着くために、どれだけの時間を要したことだろうか。赤の他人であれば、「スルーできる」はずのことでも、子どもは、親を許せない。「ひどい親だ」と割り切れればラクになるのに、「立派な人間であってほしい」気持ちをなかなか棄て切れない。

 いつのまにか戻ってきた「棄てたはずの猫」は、「父親という存在への思慕」だったような気がする。僕はこの年齢になって、自分の父親が妙に懐かしくなっているのだ。

 年齢や自分が父親になったことを理由にするのは簡単だけれど、本当は「自分でもよくわからないままに、いつのまにかそういう気分になっていた」だけなのだ。たぶん、息子にとっての父親というのは、そういうものなんじゃないかなあ。

 村上さんは、お父さんがずっと熱烈な阪神ファンで、阪神が負けると不機嫌になるのをみていて、タイガースを応援するのをやめてしまったそうだ。

 僕の父親は広島カープのファンで、ずっと広島に住んでいた僕もカープファンだったのだが(そもそも、1970年代の後半に広島に住んでいて、カープファンにならずに生きていくのは子どもにはあまりにも難しい)、僕がカープの負けに癇癪を起こしていると、いつも「お父さんはいつも勝つ方を応援しているぞ。がんばれ巨人!お前もジャイアンツファンになれ!」と嫌味ったらしく言ってきたものだった。

 だが、ビール党の父が、外で飲むときには、いつも「キリンビールにしてくれ」と、異常なまでのこだわりをみせていた。その理由が「キリンはカープの応援をしてくれているから」だったのを僕は知っている。いや、本当にそうだったかは知らないけれど、少なくとも、父は死ぬまで、そう思っていた。

『猫を棄てる』は、あっけないほど短く感じるし、スキャンダラスな話でもない。だけど、読みはじめると、いろんな自分の記憶が、とめどなく溢れてきて、時間を忘れてしまう。

 こんな僕の記憶も、そんなに遠くない未来に、失われてしまう。

 それは、やっぱり寂しい。

 でも、一度こうして生まれたものは、きっと、どこかに溶けて、世界をつくる砂粒のひとつになるのだ。


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