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育ての父と岬めぐり

「あなたのお父さんは?」ときかれたら、「いない」と答える。
けれど本当は、わたしには父が二人いる。
一人は実の父。5才で生き別れ、会わないまま28のとき亡くなったと知らせがきた。

もう一人は育ての父。
5才から27まで世話になった。
20年一緒に暮らしたが籍には入っていない。
「お父さん」と呼び続けたが父もわたしも本当の親子ではないと割りきって暮らしていた。
父は酒を飲んでは暴れ、わたしを何度か殴った。
「お前の父親だと思ったことはない。預かって育ててるだけだ」と面と向かって言われた。
陽気で、暗くて、真面目で、理不尽で、意味のわからないひとだった。
父は元歌手だった。全く売れずやめたらしい。
父は売れ残ったレコードを鍋敷きに使い、熱で溶けた黒いレコードを笑いながらわたしにみせた。

わたしが成人してからは、殴られることもけんかすることも少なくなった。
時々家で髪を切ってあげると、お地蔵さんみたいに目を閉じてじっとした。
27のとき、のちの夫となる彼氏と同棲することになり、彼が父に挨拶することになった。
父が経営するラウンジに連れていき、「一緒に暮らしたい」と話した。「暴力だけはだめだぞ」と父が彼に言う。自分はわたしを殴ったくせによく言えるなと思った。
父も彼も酒が入り陽気になったところで、父が「よし、じゃあ歌おう」とカラオケの曲を入れる。
「では歌います。『岬めぐり』」
父は嬉しそうに自分で曲名を言い、歌う。
はじめて聴く知らない曲だった。
なんでいつも歌ってる曲を選ばないんだ。
みんなが知ってる得意な曲を歌えばいいのに、と思った。

実家を出て、しばらくしてから父と母は別れた。最後に父に会ったとき「死ぬときは猫みたいにいなくなるから探さないでくれ」と言った。やっぱり変な人だと思った。
戸籍上もともとなんの関係もなかったし、連絡する必要も手段もなかったので、それから父に会うことはなかった。

数年後、わたしは友人の結婚式に出席した。
自分のスピーチを終え、ホッとして美味しい食事を満喫する。
宴の終盤で、新婦の父が歌うという。
新婦の家に遊びにいったとき何度か挨拶した見覚えあるお父さんがマイクの前に立つ。
緊張しながらマイクをにぎる新婦の父を横目に、わたしは食事を続けた。
イントロが鳴り、わたしは驚いて手をとめる。
顔をあげ、「知っている!」と声に出しそうになる。


あなたがいつか 話してくれた
岬を僕は たずねて来た
二人で行くと 約束したが
今ではそれも かなわないこと


父があのとき歌った曲だった。
彼と暮らすため家を出るわたしにむけて歌ったあの曲。
このときわたしは初めて、『岬めぐり』は新婦の父が嫁ぐ娘にむけて歌う曲なのだということを知った。

友人のお父さんが歌っているあいだ、わたしはめちゃくちゃに泣いた。
会場にいるだれよりも泣いた。
新婦は泣いていなかった。
隣の席にいた友人に「めっちゃ泣くやん」と引かれた。

その後わたしはその彼と結婚した。
わたしが結婚したことも、子供を二人生んだことも、父は知らないだろう。
最後に会ったときすでに70を過ぎていた父は、今生きていたとしても90を越えている。
わたしの戸籍のどこを探しても父の名はない。
生きていたとしても、もう会うこともない。
さみしいとも思わない。
感謝の気持ちはちゃんとある。

わたしの娘と息子を見せたかったなと、少しだけ思う。



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