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Gの洗礼

 荒れ狂う国際情勢が気になって、集中しようにもできない今日この頃、図書館で借りた本を読み終えた。
 それは、「機動戦士ガンダム」を生み出した、富野由悠季監督の著書「アニメを作ることを舐めてはいけない -「G-レコ」で考えた事-」である。

 富野監督の現在の最新作「Gのレコンギスタ」(以下「Gレコ」)を企画してから、どのように設定を膨らませたのかを、監督自らが執筆した本である。
 そして、この本を借りた理由は単純に、僕が最も好きなロボットアニメ「Gレコ」の本だったからだ。

 「Gレコ」以前の富野監督に関連する記憶は、小学生の頃、正月の朝っぱらあたりに「機動戦士ガンダム」が放送されていて、ガンダム好きを公言する(ガンプラとかは集めていない)父親の傍で観ていたことと、岡田斗司夫氏の動画で度々話題にのぼっていたことぐらいである。
 終盤あたりの、シャアとララァのキスシーンと、アムロが仲間たちのところに戻ってくるシーンぐらいしか覚えていなかったし、そもそも僕自身、それほどロボットアニメには興味がなかったので、他の富野監督の作品は全く観ていなかったのだが、岡田氏が富野監督の演出の素晴らしさを熱く語る動画を観て、そんなにすごい監督さんなのかと興味を持ったのが、高校生から大学に入ったばかりの頃である。

 そこで富野監督の最新作がテレビ放映されるとなれば、当然観るわけで、録画した第一話と第二話を観たわけだが、これがすごく面白かった。
 画面には、この世界のどこにもありそうでなさそうな世界、その中で大迫力のバトルを繰り広げるモビルスーツの数々、そして、そのパイロットと仲間たちが紡ぐ重厚なドラマ…
 これまで録画しては観て、ブルーレイディスクにダビングしたテレビアニメとは全く違う、わからない部分も多いけど何かがすごいこの作品に、完全に引き込まれてしまった。
 以降、グッズを買い集めているわけではないが、「Gレコ」のファンになり、僕が目指す連続SFアニメの一つになった。
 ちなみに、僕が現在noteに掲載している「アルスナイト」の一部設定や人物構成は、「Gレコ」の影響を受けて作ったものである。

 さて、そんな青春のバイブルのようなものである「Gレコ」の設定を自ら解説する中で、富野監督は何を語っているのか…

 この本を読み終えて思ったのは、「Gレコ」にあった設定がかなり膨大だったことだ。
 「Gレコ」で描かれている時代背景から舞台となる宇宙エレベーターや衛星、コロニーの構造や、その中で暮らす人々の様子が事細かに描かれており、その多さに頭がクラクラするほどだった。
 だが、この膨大な設定によって、登場人物たちのドラマが支えられていることには、納得するしかない。

 同時に感じたのは、先程の自作シナリオ「アルスナイト」の設定の詰めの甘さである。
 僕なりにかなり設定は詰めてあるつもりだったのだが、詰め込み過ぎでドラマが作りにくくなったり、設定説明ばかりになってしまうのを恐れて、あまり決まった設定を書いたりはしていないのだ。
 その結果の詰めの甘さは、大学でシナリオの勉強をしているときに、先生から度々指摘を受けていた部分ではあったのだが、僕の場合、設定の齟齬よりも、物語が思った方向に進まなかったり、本来の意図とは真逆に進みそうになるとイライラするタチなので、どうしてもできなかった。
 だが、それを恐れるあまりに、一番肝心な部分が抜け落ちているのではないか…この本を読んで、その不安感がさらに増大し、そして、もしかしたら僕は、お話作り自体が向いていないのではないかとすら感じた。
 未だに「アルスナイト」の最新話を更新できていないのも、この不安感を一つも払拭できずにいるからかもしれない。

 しかし、こんなにも設定を作り、それを画で表現できる富野監督でも、見落としをしてしまったことがあるようだ。

 富野監督は冒頭、自分が何十年と作ってきたアニメの作り方をしてしまったばっかりに、「Gレコ」で大きなミスを犯したと語っている。
 その一つが、「Gレコ」の主人公機、Gセルフの目だ。
 テレビ版では、他のガンダムシリーズやロボットアニメのように、目を黄色一色で塗っていたが、その後に作られた映画版のGセルフには、瞳のようなレンズが追加されている。
 それについて富野監督は、本来なら目の中に瞳のようなレンズがあるはずだし、デザイン画にわざわざ設計図も描かれていたのに、所詮はアニメのロボットだからと、無意識的に手を抜いてしまっていたのだと振り返っていた。
 「習い性」は危険だ。と、富野監督は語っている。

 この「習い性」の危険性に、これから僕が気をつけるべきところがあるような気がした。
 僕は何かを作るとき、本やネットで調べ、今まで学んでいたことを組み合わせて生み出している。それはいたって普通のことではあるが、常に同じやり方をしているあまりに、いつの間にか「これはこうするもの」という「習い性」に囚われてしまっているのかもしれない。
 常に自分自身のアップデートを怠らないようにする。ついつい忘れがちだが、僕の好きな作品の本で気づくことができたのは、何かの運命すら感じるものだ。

 「Gレコ」は放送当初、わかりづらいという意見が数多く散見される作品だった。僕自身も感覚的にわかっただけで、あまり理解できていないところも多いが、その理解できていないところにこそ、この作品の魅力がふんだんに詰まっているといえよう。
 是非とも買って、「Gレコ」を観ながら読み進めてみてほしい。そうすれば、今までわからなかったことがわかって、作品をまた違った形で観ることができるだろう。
 そこには、富野監督がこの作品を通して伝えたかったメッセージが必ずある。それを見つけてこそ、アニメは面白くなるのだ。

 そして、僕もこれからは「習い性」に気をつけて、富野監督に負けない作品を生み出していきたい。

 その先に 未来という閃光がある!

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